テニス杉田、夫婦で地球1周移動 コロナ禍でセルビア移住決意

 男子テニスの杉田祐一(三菱電機)は新型コロナウイルス禍の中で昨年8月から再開したツアーに妻友美さんと夫婦で海外遠征に挑んだ。同11月までの3カ月間で一度も日本に帰国せず、移動距離は実に地球1周相当の4万キロ以上。スポーツのイベントが次々に中止となる中で、米国、イタリア、フランス、ドイツ、ベルギー、カザフスタン、ブルガリアの7カ国で9大会に出場。日本のアスリートで誰よりもコロナ禍の世界を体験した杉田選手と、サポートしてきた妻友美さんに激動の2020年の3カ月を振り返ってもらった。(共同通信=吉谷剛)

 -3月に中断したツアーが8月に米国で再開。ホテルと会場のみに移動が制限された「バブル」生活はどうだった?

 最初はストレスにならず、思いのほか快適に安全安心に感じた。米国の次にローマに移り、欧州からが大変だった。バブル生活自体は変わりはないが、移動がストレスになってきた。大会があるときは試合会場で週に2回のペースで検査を受けられたが、一時的な練習拠点としていたセルビアからの出国時は自力で医療機関に予約をして検査をやらないといけなくなり、それが大変だった。飛行機の搭乗前にも検査を受け、到着までの48時間以内に陰性結果を提示しないといけない。そういうことの繰り返しがストレスになった。

 一食事面はどうした?

 日本から炊飯器と米、レトルト食品を大量に持っていった。ホテルでは外食はできずルームサービスしか食べられなかったので、外にも出られないのがストレスになり、気持ち的に大変になってきた。食品で荷物がとんでもない量でスーツケースも5、6個といつもの遠征より2個多い感じだった。移動も大きい車でいっぱいに積む感じで荷物の量で移動が毎回大変だった。

全仏オープン1回戦で敗れた杉田=2020年9月、パリ(AP=共同)

 (2017年7月にツアー初優勝を果たし、同年10月には世界ランキングで日本人歴代2番手の36位にまで上昇した。しかしコロナでツアーが中断した3月時点での世界ランクは87位。東京五輪に出場するには上位60~70位につける必要がある。リオデジャネイロ五輪に続いて東京五輪出場も狙う杉田は、より順位を上げるために感染リスクを冒しても海外での大会出場を続ける決断を下した)

 -ローマの後にイタリアで下部大会のチャレンジャーにも出場した。感染予防策の点では規模が大きい四大大会と違ったか?

 週に2回検査というのは変わりはないが、チャレンジャーは自由でバブル生活ではなくなった。ホテルの外にも食事にもいけるし、ホテルには一般のお客さんもたくさんいた。いつ感染するか不安も募り、感染したら遠征自体が終わってしまうので試合だけに集中するのが難しくなった。感染したくないという消極的な気持ちが多くを占めて、テニス以外の時間は手洗い、うがいばっかりやっているような1日になった。

 -9~10月には四大大会の全仏オープンに出場。クレーコートでも好結果が出ない時期が続いた。

 パリのホテルも完全なバブルではなく、一般客もいた。食事はルームサービスだけではなくデリバリーサービスが使えるようになり、外から注文したものも食べれるようになったが、このころから欧州の感染者数も爆発的に増えていったので、外部との接触をするときに不安は増した。例年パリは外に出てリフレッシュした気持ちで挑める大会なのに、そこでの単調なホテル生活、毎日同じような食事でかなり精神的にこたえた。全仏後に日本に一度帰るつもりでいたが、日本に帰ると2週間の自主隔離で練習ができないということでそれで帰国は断念した。テニスの技術、感覚うんぬんではなく、ツアーでのエネルギーが出てこなかった。モチベーションが上がらず、コートで楽しむ、自分のテニスで表現するというものが出てこなかった。自分自身を鼓舞しなければいけず、孤独の戦いで自分の気持ちを上げるのが難しかった。

オンライン取材に応じる杉田祐一、友美夫妻

 (妻の友美さんは2019年4月の結婚後から杉田の試合に同行し、サポートしてきた。コロナ禍でも夫婦2人で戦う姿勢は崩さなかった。以前からインフルエンザなどの感染症対策に細心の注意を払っていたため、意外にも落ち着いて対処できたという。その献身的な支援に杉田も感謝しきりだった)

 -コロナ禍での遠征で大変だったことは。

友美さん:これまでの遠征でも手洗いうがい、鼻洗いとかは徹底してやっていたので、コロナで流行しはじめても何か変わったことをやったわけではなく、今までどおりのことを徹底した。除菌の回数は増やしたことはあったが感染予防に関してはそこまで大変だったことはなかった。日本で(感染予防の)物資が品薄だったので、それらを買いそろえるほうが苦労した。大会では主人を奮い立たせるところが一番大変だった。

杉田:コーチやトレーナーらが感染しても僕が試合に出られなくなるので、サポートする側の方が精神的にきつく大変だったと思う。妻が感染して僕が試合に出られなくなったら重圧になっていたと思うし、実際に(外国選手では)コーチやトレーナーが感染して辞退する選手もいたので、そこは妻もストレスがあったと思う。

友美さん:自分が陽性になったらという思いは不安で、検査結果が出るまでの間は本当にドキドキしていた。コロナがどういう風に感染するのかというのも分からない部分があったので、とにかく感染予防でできることを徹底した。

無観客で開催されたニューヨークの全米オープン会場=2020年8月、ニューヨーク(共同)

(杉田はセルビアに一時的な練習拠点を置き、カザフスタンやブルガリアの大会にも出場した。テニスのツアーは季節ごとに米国、欧州、アジアと大会開催地が集中し、選手もそれに合わせて出場する大会を選択する。しかしコロナ禍でアジアでの大会はほぼすべて中止になり、移動が負担になる日本選手にとっては不利な戦いを強いられた)

 -途中でシーズンを終わらせる気持ちはなかったか?

 セルビアから出国するときに自主検査をするのが大変だった。この状況なら大会に出ても、じっとしていても変わらないなと思い(遠い)カザフスタンにも行くことにした。体が元気なうちは大会に出て早くいい状態を戻したいなと思っていたし、大会に出て自分のテニスを取り戻すことを最優先にした。どうしても四大大会出場や五輪出場につながる世界ランキングを上げたかったし、けがもしていなかったのでポイントを取りに行く、感覚を取り戻すことを追っていった。

 -3カ月の遠征を振り返ってみて?

 ネガティブなことは発信したくはないが、本当に過酷だった。楽しみもなかったしホテルと会場の行き来で、ただ感染防止を徹底して試合にいくという状況の3カ月だった。感染を恐れて緊迫した中で大会をやっていくという感じで精神的にきつかった。ただ試合ができたことはうれしいし、ツアーの選手と戦えるのはうれしかった。大会もないスポーツも多いなかで世界を飛び回り、テニスはそういう意味では難しい競技の一つだったと思うが、関係者が大会を実施してくれたことはありがたかった。

コロナ禍で高校生と合同練習を行う杉田(右)=2020年6月

 -今年からセルビアのベオグラードを拠点にする。

 コロナのこともあるが、海外を拠点に最後もう一度自分のテニスにかけてみたいなと思った。セルビアの元トップ10選手、ヤンコ・ティプサレビッチとタッグを組んで、彼がヘッドコーチを務めるアカデミーで練習する。今回は全仏の後に一時的に一緒に練習をして、その後のカザフスタンの大会で調子を取り戻せた感じはあった。自分にプラスになるなと思ったし、ここでやりたいと思った。こういう時期なので(コロナの)リスクもあるが頑張ってみたい。セルビアにはものすごい数の選手がいて、若い情熱的な選手から刺激を受けるしツアーで生きてくると思う。そこで戦い抜くことは楽しみ。2021年は本当の勝負。テニスにすべて集中してぶつかれる。後先考えずに、全力で打ち込める場所を見つけた。

 -東京五輪に向けてもう一度奮起。

 オリンピックもそうですし、テニスに集中してスポーツが全力でできるような環境になるまで自分を高めていくだけ。もちろん五輪も無事に開催できるようになって、そこで自分もさらに上を目指していけたらなと。スポーツが復活できるように、そこで自分も盛り上げていければと思うし、準備をしっかりしていきたい。

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