都道府県名と県庁所在地の名前はなぜ違う~愛知・宮城だけでなく千葉・秋田・鹿児島なども元は郡名だった  (歴史家・評論家 八幡和郎)

47都道府県所在地が決まった正確な歴史 【都市伝説】に惑わされない知識の重要性』というのを二週間前に出したら、なるほどともいっていただいたし、気に食わないといって怒っていた人も多かった。

 戊辰戦争は関係ないというところが、とくに気に入らない人が多いようだ。この県庁所在地の問題と同様な反応が出そうなのが、都道府県の名前だ。これも、戊辰戦争で負けたところが県庁所在地と違う名前を付けさせられたと信じている人が多いのだが、これも基本的には誤解である。

そのあたりも、「日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎」 (光文社知恵の森文庫)で詳しく紹介してあるのだが、ここでは全国的な傾向のなかで論じておこう。この類いの議論は、地元での都市伝説、その多くは単なる文学的な妄想を誰かがして、それが人口に膾炙しているとかいうお話がやたら多いのだ。

 まず、現状で言うと、47都道府県のうち名前が県庁などの所在都市と一致しているのが29。していないのが18(さいたま市含む)である。

 それでは、その18の内訳をみると、それでは、その18の内訳をみると、都道府県所在地の郡名と一致しているのが10(岩手・宮城・茨城・群馬・石川・山梨・愛知・滋賀・島根・香川)である。つまり、これが県名と県庁所在地名が一致しないケースの主流なのである。しかも、郡名と関係するのは、ほかにもあるのだ。

 まず、秋田、千葉、佐賀、大分、宮崎、鹿児島は都市名が郡名由来である。千葉、佐賀、鹿児島は江戸時代以前からそうだった。秋田と大分は明治初年にそれぞれ久保田と府内だったが県名に合わせた。宮崎は県庁を置くことが決まって建設された新都市で、郡名に合わせた。

 九州について、官軍のところが多かったので、すべて県名と県庁所在地とが一致しいるという都市伝説があるが、七県のうち四県がそういう事情なので根拠のない話である。また、残りのうち長崎は幕府領だし、福岡藩と熊本藩は最終的にはともかく、かなり遅くまで佐幕だった。

 薩長土肥はいずれも県名と都市名が一致するということを言う人もいるが、これも、鹿児島と佐賀は郡名由来だし、高知の場合は「土佐国土佐郡」なので、国名を県名にすると紛らわしいから仕方ない。

加賀藩とか長州藩という名は存在したことがない

 それでは、なぜ都市名でなく郡名にしたかというと、明治二年の廃藩置県から明治四年の廃藩置県の間にあっては、かつての大名領はその所在都市の名前をとって○○藩と呼ばれたら。それは、例外は一切ない。

 しばしば、国名をとって加賀藩とか紀州藩というが、そんなものは一度も存在したことはなく、明治以降になって使われるようになった名称だ。江戸時代には、藩という名は付けずに単に加賀、紀伊、あるいは加州、紀州といわれただけだ。幕末になって長州などが藩という言葉を好んで使うようになって長藩とかいっていたのが、志士たちの間で流行ったというようなものだ。

 したがって、藩が公式名称になった段階では、金沢藩であり、和歌山藩だった。それが廃藩置県で、金沢県や山口県になった。そして、明治四年11月の第1次府県統合で三府72県になったのだが、このときも、都市名が県名になった(神奈川と兵庫は別)。ところが、大きな藩の城下町だったところでは、県の領域が藩の領域と似ているし、藩庁をそのまま県庁に使ったこともあって、旧藩士たちが藩と県が連続したような気になって、さまざまなことを変えることに抵抗した。

 そこで、県令(知事)たちが県庁をよそに引っ越したり、名前を変えることを政府に希望して認められた。

 そういうもののなかに、仙台藩のように佐幕だったところもあるが、逆に金沢藩のように最終的に官軍の主力だっただけに遠慮せずうるさかったところもある。佐賀権県令になった山岡鉄舟も佐賀藩士がうるさいので伊万里に移転して一時期だが伊万里県となっている。典型的な官軍派の宇和島県も意識改革を理由に神山県になっている。

 また東北をみると、城下町が県庁にならなかった弘前と都市名を郡名に合わせて改名した秋田が官軍で、盛岡、仙台、福島、山形が反政府軍だから、これも明確な傾向はない。

 埼玉はもともと岩槻に県庁を置く予定で、その所在郡である埼玉県としたが、適切な建物がなく予定変更で浦和に置いたが県名はそのままになった。三重も四日市に県庁があった時代に郡名を県名にし、県庁が津移転のあともそのままになった。

 群馬は前橋と高崎で県庁の争奪戦をしたが、両方とも群馬郡なので、どちらに合わせたのかは確定的でない。

 石川は県庁が郊外の港町である美川にあるときに改名したが、金沢もまた石川郡であるから同じことだ。

 なお、郡名については、明治になってから多くの県で郡の合併や分割があった。県名のもとになっているのは、それ以前の郡である。

 また、郡の名前が難読だったり漢字が難しすぎるところも回避された印象がある。長崎市は彼杵(そのぎ)郡、熊本は飽田(あきた)郡だが、そういう名前は避けられたのではないかと思う。

 のこりの県名と県庁所在地が一致しないところについていうと、北海道が命名された明治二年8月には、開拓使は函館にあり札幌は建設すら始まっていなかった。

神奈川県と兵庫県は、廃藩置県以前に幕府の奉行所にかわる統治組織の名前に由来し、それは幕府の奉行所などに起源を持つ。

 栃木県は第二次府県統合で生まれた現在の栃木県の県庁が最初は栃木市に置かれていたのを、宇都宮移転後もそのままにした。

 沖縄は琉球全域の名称でなく本島の名であった。琉球王国の名を引き継ぐのも不適切なので採用されたようだ。

愛媛県は『古事記』に由来して県令の趣味で決まったユニークな例だ。

 なお、明治初期の過渡期における県名の異動については、消えた都道府県名の謎 (イースト新書Q) という本に詳細な情報を掲載している。

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