本田美奈子.を筒美京平&秋元康がトップアイドルへ導いた『LIPS』

『LIPS』('86年)/本田美奈子.

2005年に急性骨髄性白血病により38歳という若さで亡くなった女性シンガー、本田美奈子.。12月23日、彼女のデビュー 35周年のアニバーサリー作品『本田美奈子.コンプリート・アルバム・ボックス』が発売されるとあって、今週は本田美奈子.の作品を取り上げる。平成に入ってからは、ミュージカル俳優としての活躍の他、クラシカル・クロスオーバーへの進出と、音楽活動の幅を広げた彼女であるが、多くの人の記憶に鮮明なのはアイドル期だろう。その中でもやはり本田美奈子.と言えば「1986年のマリリン」ではなかろうか。同曲が収められているのが2ndアルバム『LIPS』である。

シンガーとしての確かな資質

過去、当コラムでは何人かのレジェンド級女性アイドルを紹介してきた。これはその中で改めて感じたことだが、トップアイドルというのは、その人の素材の良さが大切なのは当然として、それを下支えする体制がしっかりとしていることも相当に大切なのである。とりわけ作家陣は重要で、少なくとも優秀な素材がレジェンド級となるには強力な作家陣のバックアップがなくてはならない。バックアップや下支えではなく、ほとんど一蓮托生の間柄と言っていいかもしれない(音楽なのだから当たり前のことか)。

これは中森明菜の『BITTER AND SWEET』を紹介した時に述べたことだが、松田聖子は[作詞:松本隆][作曲:財津和夫]を経て、[作曲:呉田軽穂(松任谷由実)]によってトップアイドルの地位を不動のものとした。聖子以前で言うと、山口百恵には[作詞:千家和也/作曲:都倉俊一]期と[作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童]期があり、桜田淳子には[作詞:阿久悠/作曲:森田公一]期があって[作詞/作曲:中島みゆき]期があった。中森明菜は[作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお]から始まり、歌詞の担当は[作詞:売野雅勇]が多かったものの、曲は[細野晴臣][玉置浩二][高中正義][井上陽水]といったバラエティー豊かなコンポーザーが彼女のポテンシャルを最大限にまで引き出したと言える(井上陽水は作詞も担当)。小泉今日子がキョンキョン足り得たのはシングル「なんてったってアイドル」であることは間違いないけれども、同時期にデビュー前の[久保田利伸]から楽曲提供を受けていたことも興味深いし、その前後での[高見沢俊彦]の存在も見逃せない。薬師丸ひろ子は[作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお]による「セーラー服と機関銃」が代表曲ではあろうが、[作詞・作曲:竹内まりや]の「元気を出して」が彼女のその後のシンガーの軌跡において重要曲のひとつであろうし、中山美穂に関しては、[角松敏生]プロデュースによるアルバム『CATCH THE NITE』が彼女のシンガーとしての到達点と言っても過言ではないだろう。こうして列挙してみると、まさに一蓮托生であることがよく分かる。

その観点から本田美奈子.を見てみると──まずは彼女自身のシンガーとしての資質から述べるとすると、1990年代以降はミュージカルで活動し、『ミス・サイゴン』『屋根の上のバイオリン弾き』『王様と私』『レ・ミゼラブル』などに出演。1992年度第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞している。2003年にはクラシックアルバム『AVE MARIA』をリリース。[ソプラノ的な唱法でクラシックの曲に日本語詞をつけて歌うというユニークなスタイルで新境地を切り開いた]というから、そのプロフィールを振り返るだけでも生粋のシンガーであったことがうかがえる([]はWikipediaからの引用)。

こんな話もある。彼女の芸能界入りのきっかけはアイドルグループのメンバーオーディションだったそうだが、そこに参加した人たちのほとんどが当時のアイドル歌謡を歌う中、彼女は石川さゆり「天城越え」を歌ったという。その歌唱がめっぽう上手かったことで、そのアイドルグループのプロデューサーが彼女をソロシンガーとして育成していくことを決めるきっかけとなったそうである。素材としての本田美奈子.は申し分がなかったことが分かる。『LIPS』に残る歌声を聴いてもそれは納得するところだ。其処此処でソウルフルなコーラスが導入されている点にそれを見出せる。分かりやすいところではM1「Sold out」とM5「JOE」だろうか。いずれも可愛いだけの娘さんが歌えるタイプではないように思う。印象的なコーラスは楽曲に厚みを増しているのは間違いないところとして、彼女もそのコーラスに負けない迫力あるボーカルを聴かせている。本格的なソウルシンガーの歌唱と比べるのはさすがに忍びない感じではあるけれども、当時のアイドルにはレコードですら音程やピッチの怪しいものが多々あった中で、それに比べるまでもなく、相当にしっかりと聴かせるものになっていることはここでも強調しておこう。

時代の寵児、秋元康氏とのコラボ

ここからは作家陣の話。アルバム『LIPS』収録曲は全て[作詞:秋元康/作曲:筒美京平]によるものであるが、まずは作詞家、秋元康から行こう。前述の通り、歌唱力には定評があった本田美奈子.である。デビュー曲1st「殺意のバカンス」から3rd「青い週末」までは[作詞:売野雅勇/作曲:筒美京平]、4th「Temptation(誘惑)」では[作詞:松本隆/作曲:筒美京平]という鉄壁の布陣が楽曲を提供していたことからも、いかに彼女が将来を嘱望されていたかが分かる(いずれも1985年の作品)。最初期においては若干方向性に迷いがあったとも聞くが、4th「Temptation(誘惑)」がスマッシュヒット。翌年のさらなるステップアップを狙ったスタッフは次作の歌詞を秋元康に依頼する。

当時の秋元氏と言えば、自身が構成を手掛けたテレビバラエティー番組『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』が高視聴率を上げていた頃で、そこに出演していたとんねるず、おニャン子クラブの楽曲の作詞も担当し、それらもヒットを連発と、氏がまさに時代の寵児となった時期である。本田美奈子.のスタッフはもともと秋元氏と親交があったそうで、その関係性から実現したコラボレーションだというが、これが見事に当たった。当時の秋元氏と言えば、とんねるずに演歌を歌わせたり、タブー視を取っ払って女子高生にセックスを歌わせたり(←これがおニャン子クラブ)と、視聴者の斜め上を行くような作風が特徴ではあった。結果としては、そこがさらにワンステップ上を目指す本田美奈子.にジャストフィットと言える。彼女の最大のヒット曲M3「1986年のマリリン」が生まれ、これによって、ついに本田美奈子.は本格的なブレイクを果たすことになる。

《マリリン 長い髪をほどいて/マリリン シネマスタア気取るわ/いつもよりも セクシーなポーズで/じれたあなたのそのハート 釘づけ》《マリリン ちょっと甘く歩けば/マリリン 私生まれ代わりね/いつのまにか 危ない大人/シャイな私のこの気持ち わかって》(M3「1986年のマリリン」)。

今、改めて歌詞を見てみると、それほど過激な内容ではない。1st~4thシングルも文字通り相手を“誘惑”するタイプの歌詞だし、次作である5th「Sosotte」もそんな内容なので、これだけが特に異質という感じもない。“マリリン”とはMarilyn Monroeのことだというが、「I Wanna Be Loved by You」とか「Happy Birthday,Mr.President」をもじった言葉が出て来るわけでもないし、これだけを見てMarilyn Monroeらしい内容かと言われたらちょっと微妙ではある。『LIPS』のジャケ写に写るコスチュームからすると、Marilyn Monroeというよりも、その“再来”と言われたMadonnaに近い印象だったのだろう。ぼんやりしているとまでは言わないけれど、歌詞だけで見たら当時の秋元氏にしてはややパンチに欠けるようにも思う。『LIPS』で言えば、よりバブル期の軽薄さが光るM2「リボンがほどけない」やM7「ドラマティックエスケープ」、あるいは氏が同時期におニャン子クラブを手掛けていたことの証左とも言える「1986年のマリリン」のカップリング曲であるM8「マリオネットの憂鬱」などのほうが秋元康らしい気はする。それぞれの歌詞を以下に記す。

《砂時計 落ちてゆく 時がふたりを黙らせる/もうきっと 同じテーブルで/冷えたシャブリを飲むこともない》(M2「リボンがほどけない」)。

《ガラス張りのエレベーター 夜を昇って行く/ネオン管の ハレーションが 流星みたいだね》(M7「ドラマティックエスケープ」)。

《ハレンチなことしたい 噂になるほど やばく/ハレンチなことしたい 後悔なんかはしない/私 本気よ》《束ねてた髪はほどいて 紺のブレザーも脱ぎ捨て/鏡の前で も一人の 自分を探していたのよ》(M8「マリオネットの憂鬱」)。

筒美京平のメロディーが全開

ただ、M3「1986年のマリリン」の“マリリン”なるキーワードと、そのコンセプトはメロディーメーカー、筒美京平の作曲家魂に火を付けたのではないだろうか。アルバム『LIPS』に収録されたM3「1986年のマリリン」を聴いて、そんな想像が止まらなくなった。そう思うほどに同曲は筒美節全開なのだ。どこを切ってもキャッチーで素晴らしいメロディーが詰まっている。出だしこそ、どこかで聴いたような気がしないでもないが(特に『LIPS』収録の“ニュー・ヴァージョン”はそう)、ギターが鳴るとそれが大分糊塗される感じではあるし、そのギターもなかなか広がりのあるメロディーを奏でている。そして、歌。Aメロは《接吻の後はため息が出ちゃう/月の雫のスパンコール/車のルーフに金のラメ》で、Bメロが《誰も知らない 恋の約束/午前2時に眠るオフィス街》であるだろうが、Aメロ前半は《接吻の後は》と《ため息が出ちゃう》との間が空いていて、しかも《月の雫のスパンコール》の部分が《接吻の後は》とは雰囲気が異なる。さらに《車のルーフに金のラメ》ではメロディーが突き抜けていくような印象があって、Aメロ部分は所謂Aメロと簡単に片付けられない抑揚がある。そこだけでも相当起伏に富んでいるのだ。

Bメロは《午前2時に眠るオフィス街》の箇所にパンチがあり、ドラマチックさを加速させていく感じ。それも《誰も知らない 恋の約束》までの溜めが効いているからだろう。グイグイとドライブしていく感じがとてもいい。その上で──これをブリッジと呼んでいいものかどうか迷うが、Bメロとサビをつなぐ箇所に2小節の、これまたドラマチックな楽器パートを差し込んでいる。この箇所はほとんど“ここからサビですよ!”と言っているも同様で、聴き手の高揚感を増幅させるに十分な効果があると言えるだろう。そして、この楽曲で最も重要な箇所──これが発表された時の本田美奈子.にとって最も重要なキーワードが注入されたサビへと突入していくのである。インパクトのある《マリリン》のフレーズはしっかりとリフイン。その後は《いつもよりも セクシーなポーズで》でまさに艶めかしさを示し、最後の《じれたあなたのそのハート 釘づけ》ではブレイクポイントでけれんみを出しつつ、しっかりと決める。カッコ良く締め括っているのである。こうして分析してみると、見せ場のてんこ盛りであることがよく分かる。稀代のメロディーメーカー、筒美京平の真骨頂と言って良かろう。

M3「1986年のマリリン」に興奮しっぱなしで、これ一曲で随分と語ってしまったが、もちろん『LIPS』はこれだけに留まらない。それぞれタイプが異なるものの、ともにミドルテンポのM4「スケジュール」とM6「バスルームエンジェル」ではシルキーな歌声を堪能できる歌メロを聴けるし、スリリングでいなせなM7「ドラマティックエスケープ」も、オリエンタルなエッセンスが入った独特のメロディーを聴かせるM9「YOKOSUKAルール」もひたすらカッコ良い。フィナーレのM10「愛の過ぎゆくままに」では、のちに彼女がミュージカル俳優になったことや、クラシックとのクロスオーバーに挑んだことにも納得の表現力の確かさを確認できる。

その上で、もうひとつ推し曲を挙げるなら、M1「Sold out」になるだろうか。イントロでのベースからしてサウンドに80年代感が満載なのは好き嫌いが分かれるところだろうが、そこでのメロディーラインもちゃんとキャッチーで、オープニングからなかなか聴かせてくれるナンバーである。ギター、ブラスセクション、コーラスのいずれもその旋律がはっきりとしていて、食材に例えるなら、皮まで食べられるとか骨まで食べられるとか、捨てる部分がないような感じだ(例えが微妙なのは御免)。この辺からも筒美京平らしさが如何なく感じられる。それでいて、本田美奈子.自身の歌はバッキングに見劣りすることなく、実に堂々とした印象で、ラスサビではアドリブ気味なヴォーカリゼーションを見せる辺り、デビュー2年目のアイドルシンガーとしてはなかなかのものと言えよう。そこに乗る《ナンパな声 かけないで》という歌詞はシンガーとしての自信を重ねているかのようだし(さすが秋元康!)、本田美奈子.という不世出のシンガーの代表作である『LIPS』の1曲目にも相応しいと思う。

TEXT:帆苅智之

アルバム『LIPS』

1986年発表作品

<収録曲>
1.Sold out
2.リボンがほどけない
3.1986年のマリリン [New Version]
4.スケジュール
5.JOE
6.バスルームエンジェル
7.ドラマティックエスケープ
8.マリオネットの憂鬱 [Album Version]
9.YOKOSUKAルール
10.愛の過ぎゆくままに

『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』一覧ページ

『これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!』一覧ページ

『ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲』一覧ページ

© JAPAN MUSIC NETWORK, Inc.