その「やりたい」は本当の「やりたい」なのか? “ゲームの楽しさ”と“プログラミングの楽しさ”の違い

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ゲームもプログラミングも、子どもたちにとって「楽しい」と感じるものでしょう。しかし、その「楽しい」に違いはあるのでしょうか? 角川アスキー総研の遠藤諭氏が、その「楽しい」の正体をひもときます。

プログラミングは《悪だくみ》に似ている

『チョコレート工場の秘密』や『おばけ桃の大冒険』の作者ロアルド・ダールの作品に、『ダニーは世界チャンピオン』(柳瀬尚紀訳、評論社)という小説があるのをご存じでしょうか? コンピューターなどはまったく出てこないのですが、これがプログラミングするのに似た気分になってくる小説だと思います。

プログラミングをやっている人たちを見るとき、これからはじめる子どもたちを見守るときの参考になるかもしれません。プログラミングの楽しさについて、少し掘り下げてみます。

ダニーは世界チャンピオン-ロアルド・ダールコレクション-6-ロアルド-ダール

『ダニーは世界チャンピオン』は、9歳の少年ダニーとパパが、村の仲間たちの協力を得て、横暴な地主をやっつけるという内容です。地主が地域の有力者や利権をもたらすような人たちを招いてやる《キジ撃ちパーティー》を失敗させる計画を立てます。そのためには、パーティー前日に、地主の所有する森からキジが1羽もいない状態にしようという結論にいたります。

しかし、森には3人の番人がいて夜まで見張っています。1羽や2羽をつかまえるのすら大変なのに、200羽もいるキジをどうやって森から運びだすのか? ここでダニーが考えだしたアイデアがあまりにすばらしく、《世界チャンピオン》だというこの小説の題名となっています。

そのアイデアとは、キジをすべて眠らせてしまうこと。しかし、これを成功させるには具体的な方法や実行する手順をキッチリと固めなければなりません。

ストーリーの紹介はネタバレになってしまうのでこのあたりにして、プログラミングとの共通性について見てみましょう。以下、プログラミングで行うことに、小説の内容をあてはめてみました。

キジを眠らせるために必要なものの数が足りないのをどう解決するか? 200羽いるキジを1羽残らず眠らせるには? など、ダニーとパパが考えをめぐらせ議論するやりとりは、ほとんどプログラマーの会話そっくりで笑ってしまうほどです。

はたしてダニーとパパ、村の協力者たちはこの計画を成功させることができるのか? それにしても、彼らは、理由はあるにしろ密猟をしていることになります。プログラミングは《悪だくみ》に似ていると言えるかもしれません。

ファンブック的な単行本の『「ダ」ったら、ダールだ!』の帯の“作家になってなかったら”にあるとおり、発明家や科学者っぽいところがロアルド・ダールにはある。小説に出てくるパパのお父さん(おじいさん)が考えたというキジを獲るアイデア、内側に糊を付けた紙のコーンの底にレーズンを置いてそれを食べようとしたキジを目隠して掴まえるというのもすごい!

プログラミングの奥深さはそれを人がやること

しかし、この小説がいちばんプログラミングとそっくりと感じさせるのは、このストーリーだからではありません。

前日の夜にキジを眠らせて運ぶところまではうまくいくのですが、翌朝、ダニーもパパも予想していなかった展開になってしまいます。村へ運んでもらうための乳母車の中からキジたちが目を覚まして1羽、また1羽と出てきて最後はすべてのキジが飛び立ってしまうシーンは、さすがロアルド・ダール(ここでは詳しく書けないので、やっぱり、ちゃんと小説を読んでもらうのがよいようです)。

これ、プログラミングが自分の考えたとおり動かない《バグ》が発生した状態です。入念に立てた計画にほころびが生じて、ビックリするような現象がとびだしてきます。

いちどでもプログラミングを経験した人は、この《バグ》をつぶすために大変な時間と手間がかかったという人がいるはずです。なかなか、思い通りに行かず投げだしたくなったことがある人もいるかもしれません。しかし、自分で考え、ときには仲間や先生のアドバイスもあってそのプログラムが動いたときの感慨はちょっと言葉では表現できないものがあります。小さな奇跡を見るような感覚。

実は、この自分の失敗を解決していく過程も、ちょっとした謎解きのようで楽しかったりするところが、プログラミングのおもしろさでもあります。ひょっとしたら、失敗を楽しめるようになるのがプログラミングの学びの1つかもしれません。

しかも、いまなら仲間やコミュニティーと一緒にプログラミングすることは一般的です。『ダニーは世界チャンピオン』でも、最後に描かれているのは人々の心が通っていること、とくにパパからダニーへの思いです。

プログラミングの楽しさ、基本的なところだけを書き出してみると次のようになりそうです。

  • みんなを楽しませる、誰かの役に立ったらサイコーという楽しさ
  • アイデアを思いつく、世界ではじめてのものを作る楽しさ
  • 工作や作文に似たクリエイティブな作業の楽しさ
  • 自分の考えたものや分身といえるものを実際に動かす楽しさ
  • バグはしばしば苦いけど謎を解く楽しさもある
  • 仲間と一緒にやる、コミュニケーションや世界にアピールする楽しさ
  • 自分が問題を解決できるようになる強い見方がついた感覚の楽しさ

ゲームの楽しさは、あまりにもポジティブでよくできている

ところで2カ月ほど前、教育関係者の間ではたぶん話題になったに違いないと思うのですが、軽井沢風越学園の「かぜのーと」という関係者のブログに興味深い内容がありました。

私立の幼小中一貫学校である風越学園がそもそも注目されているということなのですが、それについては今回の本題からは離れてしまうので、興味のある方は、あとで調べてみてください。

風越が子どものネットを禁止したってよ:自由を広げるための制限!? | かぜのーと | 軽井沢風越学園

上記がその記事で、神戸大学の赤木和重准教授によるものでした。教育専門の先生がひさしぶりに風越学園を訪問してきたときのことが書かれているのですが、勝手におおまかに要約させてもらうと、次のようなことでした。

風越学園では小学校3年生から中学校1年生までの子どもたちは、1人1台ノートパソコンを持参して学習している。調べものやノートなど文具的な使い方をしているとのこと。

ところがとくに昼休みに、このノートパソコンを使ってYouTubeやゲームをする子どもが目立ってきた。風越学園は、目の前に広大な自然が広がっているのに、外で遊ぶ子はほとんどいない。それくらいYouTubeやゲームは、強力に子どもたちを惹きつけていたということでしょうか。

そんな状況から、赤木さんが訪問したまさにその日、「お昼休みはネット接続を遮断する」というネット禁止令が出された。これには、なにしろ禁止令ですから、ノイズが出てくることが予想されます。子どもの意見を聞かず、一方的に見えますからね。昼休みに予習復習したい子はどうするんだ、ともなりそう。

子どもの「したい」「やりたい」を大事にする、自由をモットーとするという風越学園の理念と矛盾するのではないか? とならないかと思ったのだそうなのですが、「そんなことはない」ときっぱり答えたネット担当スタッフ・ざっきーさんの説明に私も唸りました。このあたり、ぜひとも「かぜのーと」のその記事をジックリ読んでみてください。

なのですが、ここで引用のような形で書かせてもらうと、YouTubeやゲームをひたすらやっているようすは「自分でコントロールできている状態」ではない。それはもはや子どもたちの「したい」「やりたい」という感じではない。つまり、「自由」ではないということなのでした。そして、こうした説明を子どもたちにもしたことで、とくに紛糾することなく子どもたちに聞き入れられたというのです。

ゲームは、それをプレイヤーする人を楽しませます。プレイを重ねて自分が上達するゲームも魅力的です。ところが、ゲームはそれを全能感に近いところまで拡大して見せることで、主客逆転、ゲームを繰り返しプレイするように導くのが一般的。実際に、ゲーム業界ではそれを「リテンション」と呼んでどれだけプレイを継続するかが重要な設計・営業上の指標となっています。だから自分の意思でゲームをやっているにもかかわらず、「誰かの目的に消費されている状態に見える」とざっきーさんも説明したのだと思います。

ソーシャルメディアではより明確に、ユーザー自体が、消費されるデータでありさらにコンテンツにまでなっています。

あなたは“客”ではなくて“商品”なのだ - 週刊アスキー

フェイスブックなどは、あなたのポストしたものや存在自体が、宮沢賢治の『注文の多い料理店』みたいに、運営側や他の利用者に消費される商品だというわけです。

そうしたことに比べて、プログラミングの楽しさは、いかにも健全でどれもクリエイティブに見えます。しかしそのプログラミングも、子どもが自由に「こんなことをやりたい」というところからでないと、大人の押しつけとなり、楽しくない気がします。

これまでの【遠藤諭の子どもプログラミング道】は