『銀の夜』角田光代著 生は、終わるものではなく続くもの

 他人に支配された自分の人生、について考える。それは必ずしも、束縛欲の強い誰かと人生を共にするということではない。自分のプライベートを自分以外の何かに捧げるということでもない。自分で選び取った相手と、自分の意志で結婚をしても、あるいは自分の意志でそれらを選び取らなくても、それでも自分の人生は、自分ではないものに支配されうるものである。

 物語の主人公は3人。夫の浮気を承知しながら、その切り札を出し渋っているイラストレーターのちづる。男に人生を委ねることや、かいがいしく尽くすことの馬鹿馬鹿しさを母親から刷り込まれて育ち、そのおかげで逃した幸福が山ほどあったのではないかと、母親を恨みながら日々を重ねる伊都子。自分の娘を芸能スクールに通わせながら、なかなか本心を口に出せない娘の挙動に苛立ちを募らせる麻友美。3人は10代の頃、アイドルバンドとしてデビューし、竜巻に揉まれるみたいな青春期を過ごした面々である。

 ある者は、自分の人生のすべてはあの時期に詰まっていると信じ、ある者は、あれは一時の気の迷いであったと結論づけている。30代半ばを迎えても、彼女たちは折に触れて集まり、酒と食事を共にしながら、3人で共有してきたことや、あるいは共有など1ミリグラムもできなかったことを確かめ、噛み締めながら帰路につく。

 物語の序盤は、そんな3人の鬱屈した生活をそれぞれに描写する。怒りや、悲しみや、誰かにぶちまけてしまいたいことを、3人とも必死でこらえながら生きている。夫への不信。私生活を自分には明かさない恋人への不信。自分の分身であるはずの娘に対する不信。相手は自分とは違う生き物なのだと、頭ではわかっているのに、彼女たちはそのことに苛立ち、悲しみ、けれどその悲しみを誰にも吐き出すことなく飲み込んでいる。親友であるはずの面々に対してもである。いや、親友であるはずの面々だからこそ、か。

 それぞれの紆余曲折を生きる女たちに、バンド再結成の提案が舞い込む。引き受けたい者、そうでない者。それぞれが、それぞれの方法で生きもがく。それは、自分の人生を自分の手中に取り戻すための闘いである。やがて3人は、伊都子の母親の最期にふれて、とある海辺へとたどり着く——。

 本書について実に興味深いのは、「あとがき」に記されている通り、この物語が作者の仕事場から、2017年の大掃除のときに発掘されたものであるという事実である。書かれてから10数年経った年の瀬に、何の校正も施されていなかったその原稿の束は、読み返しても作者の記憶には残っていなかった。しかし思い直してみれば、この物語の中で30代半ばだった登場人物たちは、2020年現在には50歳を迎えているはずなのだ。作者は、旧友に再会するみたいにして、この一冊を世に出すことを決めた。そう、物語にエンドマークが記されても「人生」は続く。「人生とは、続くものである」という大前提に、この物語は立脚している。そのことへの感嘆、そして愛おしさ。「人生」という代物への大小様々な思いによって、この一冊は編まれているのである。

(光文社 1600円+税)=小川志津子

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