『一橋桐子(76)の犯罪日記』原田ひ香著 76歳のシンデレラが迎える結末

 物語は、76歳の「桐子」が、同居していた親友の「トモ」を失うところから始まる。結婚をせず、家族を持たず、ひとりで生きてきた桐子に、同居を持ちかけてくれたのはトモだった。ホテルのビュッフェで舌鼓を打ち、俳句の会で憧れの君に胸ときめかせ、3年続いた青春の日々は、トモの死で幕切れを迎える。そのとたんである。桐子にわんさかと不都合が押し寄せる。トモの形見の品々は、すべて息子が引き上げて行ってしまう。二人で暮らした住まいは、今の経済力では住み続けることができない。かろうじてありついている清掃のパートも、いつまで務まるかわからない。独り身の女が、老齢に達し、それでもひとりで生きていくことの困難が、まず読み手の心臓を絞りあげる。

 そこで、桐子は思うのだ。そうだ、刑務所に入ろうと。そうすれば、少なくとも食事にありつくことができ、病に倒れれば看護や介護を受けられる。手始めに、万引をしてみる。コンビニのコピー機で一万円札のコピーに挑む。パチンコ屋の清掃中に、顔見知りの客から闇金の手伝いを持ちかけられる。それらの現場ひとつひとつで、桐子には、友人が増えてゆく。

 人と交わるということ。「個」や「孤」を生きる老人にとって、きわめて困難なあれやこれやが、ケーキ屋のショーケースのようにきらきらと、桐子の目の前に現れる。桐子はそれらのケーキに、ひとつひとつ、きちんと向き合う。女子高生の親友ができて、清掃の仕事場では若いボーイフレンドもできる。

 そのことが終盤、急激に花開く。かなりのシンデレラ・ストーリーが、八方塞がりだった桐子を待ち受けている。私も独り身中高年だ、桐子の境遇を我が事として読み進めてきたけれど、そうか、私が読んでいたのは、おとぎ話だったんだな。一抹の寂しさと共に本を閉じながら、それでも、私の両目はじわりと潤んでいる。物語中盤、主人公と女子高生による、とある企てのあたりから涙腺がおかしなことになっていた。本書は、老人の孤独についての物語ではなく、人と人との結びつきについての物語である。

(徳間書店 1650円+税)=小川志津子

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