市民に親しまれ67年…長崎・新大工「新天満市場」老朽化で幕 最後の4店舗「名残惜しい」

大みそかまで普段通りの営業を続ける新天満市場の中村鮮魚店=長崎市新大工町

 長崎市の新大工町商店街にある新天満市場が年末で閉場する。1953年から市民に親しまれ67年。かつてさまざまな業種が入居し、客であふれた市場は、施設の老朽化を理由に幕を閉じる。「名残惜しいね」。最後まで残った鮮魚店、青果2店、精肉店の計4店舗の店主らは、常連客らとのやりとりを胸に刻みながら大みそかまで営業を続けている。
 新長崎市史などによると、49年に新大工町公設市場が開設。公設市場や周辺の店が集まり53年に新天満市場が誕生した。当時から続く鮮魚店の中村優三さん(74)と青果店の松尾保さん(72)は、それぞれ父親が創立メンバー。「東京五輪があった年(64年)にこのビルが建って、その年末に父が他界。18歳で何も分からず働いた」。中村さんは振り返る。
 最盛期は35店舗が入居。鮮魚、野菜、果物、肉、鯨肉、総菜…。何でもそろった。大型スーパーがなかった矢上地区からの客も多かったという。この地で創業し36年目の精肉店、林田喜一さん(66)の妻美也さん(61)は「よそ行きの服を着てバスで来る人もいた。すれ違えないくらい人が多かった」と懐かしむ。
 だが、時代が平成に移ると、大型商業施設が各地に進出。客足が減り、年を追うごとに空き店舗が増えていった。鉄筋コンクリート5階建てのビルも老朽化。雨漏りなどを修理して営業を続けてきたが、限界が来た。管理会社によると、建物は取り壊し、跡地の利用については検討中という。
 「父に申し訳ないね」。松尾さんが寂しそうにつぶやく。「今のお客さんは、店ごとに話をしながら買い物する市場より、1回で支払いが済むスーパーに行くよ」。市場の組合長を務める中村さんは「お得意さんは70~80代。新型コロナで出歩く人も少なくなった。名残惜しいけど、やめるのにちょうどいい時期だったのかも」と淡々と話す。

67年の歴史に幕を下ろす新天満市場

 今月1日、閉場のお知らせを店頭に掲げると、常連客からは「なんで」「どこ行くと」と質問攻めに。青果店の西山美貴子さん(70)は「うちは近くに移転するけど、会えなくなる人もいるだろうし、寂しくなる」。
 中村さんの鮮魚店は4店舗で唯一、店じまいする。父の死後、早朝3時から夜10時ごろまで56年間、働き通してきた。「1月からの生活はまだ想像できないね」。妻の定子さん(70)とともに大みそか、正月用の刺し身やベニサシなどを手渡すのが最後の仕事になる。

 


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