90年有馬記念Vオグリキャップとの「縁」 マラソン五輪メダリスト・有森裕子氏が語る

有森さん(顔写真)が大事にするオグリの引退式写真と武豊騎手のムチ(ánimo提供)

一年納めの有馬記念(27日、中山競馬場)が近づいてきた。有馬記念といえば1990年、「芦毛の怪物」と呼ばれたオグリキャップが有終の美を飾ったレースから、23日で30年となった。非良血馬ながら、公営の笠松競馬からJRAに移籍し、有馬記念2勝を含むGⅠ4勝を挙げ、広く大衆に愛された。そんなオグリのストーリーを自身に投影させたマラソン女子の五輪2大会メダリスト・有森裕子さん(54)が、本紙にその「縁」を語った。

有森さんは、オグリの引退式での雄姿が収められた写真と、90年の有馬記念などに騎乗した武豊騎手から贈られたムチを宝物にしている。写真は友人にプレゼントされ、ムチはテレビ出演の際にもらったという。

有森さんは名馬との縁をこう語る。

「運命的なものを感じました。母に『岡山のオグリ』と言われ、親しい方々も『オグリ=有森』と。(同馬の)ストーリーにも共感し、自分に重ね合わせたりしました。写真とムチは(自分を)プラスに変えられる縁起物です」

前走のジャパンカップは11着と惨敗。その前の宝塚記念、天皇賞(秋)と合わせると3連敗となったオグリには限界説もささやかれた。4番人気に甘んじたオグリが劇的な勝利を飾り、引退の花道を飾った90年12月23日の有馬記念は、今でも多くの競馬ファンが「感動のレース」のトップに挙げる。

翌91年1月には京都競馬場、笠松競馬場、東京競馬場と、オグリの引退式が3か所で行われた。最後となる3回目の引退式が東京競馬場で行われた1月27日、有森さんは大阪国際女子マラソンで当時の日本最高記録となる2時間28分1秒をマークし、一躍注目される選手となった。

オグリとの共通点はまだある。有森さんは先天性の股関節脱臼で生まれ、オグリは出生時に脚が外に曲がり、自力で立てなかったと言われる。血筋に恵まれないサラブレッドと、スカウトされず、自ら実業団チームの門を叩いた無名の大卒ランナー。有森さんにとってオグリは「自分の中にある反骨精神みたいなものを応援してくれる存在でした」と明かした。

約17万人が中山競馬場を埋め尽くし、「オグリコール」に沸いた有馬記念を最後にオグリがターフを去った後、競技生活で「もがいていた」有森さんは世界へ羽ばたいた。92年のバルセロナ五輪で銀メダル、96年のアトランタ五輪では銅メダルを獲得。現在では珍しくなくなったプロランナーへの道も切り開いた。

迷信から出産が控えられがちな「丙午(ひのえうま)」の年に生まれたことでも馬を意識し、魅せられていた有森さん。常々「スペシャルであること」を大事にしているだけに、縁を感じたオグリがスーパーホースであることも気持ちを高める材料になった。

伝説となった「奇跡の復活V」から20年後の2010年7月、オグリは余生を過ごしていた北海道の牧場で骨折した影響で死んだ。有森さんは自身の30年間を「止まることを知らない気持ちで怒とうのように駆けめぐった」と振り返り、「記憶に残る素晴らしい馬がいたタイミングで、自分が重なり合った。私にとってラッキーでした」と名馬との「接点」の奥深さをかみしめた。

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