古式捕鯨「地域を支えた産業」 平戸・生月でシンポジウム

鯨組の衰退の要因などについて意見を交わした古式捕鯨シンポジウムのパネル討論=平戸市生月町開発総合センター

 江戸から昭和まで北部九州などで盛んだった捕鯨をテーマにしたシンポジウム「古式捕鯨とは何か」が20日、平戸市生月町の市生月町開発総合センターであり、捕鯨組織(鯨組)が雇用や農地整備など、地域経済を支えた産業だったことを研究者が報告した。
 同市生月町博物館・島の館などでつくる実行委、日本鯨類研究所主催。長崎新聞社など後援。和歌山県太地町歴史資料室の桜井敬人(はやと)学芸員らリモート参加を含む4人の研究者を招いた。約130人が聴講した。
 同博物館の中園成生学芸員は17世紀前半、現在の和歌山県から平戸に古式捕鯨(人力での捕鯨)が伝わり、欧米の銃砲を使った捕鯨技術が広がった19世紀末ごろ廃れた歴史を紹介。研究者4人は文献調査などの成果を報告した。
 中園学芸員がコーディネーターを務めてパネル討論し、中部大人文学部の末田智樹教授らが鯨組は捕獲から解体・採油などの加工まで多くの従事者が必要だったこと、鯨肉や油などの販売網も整えた基幹産業になっていたことを紹介した。
 また鯨組衰退のきっかけになった1840年代以降の不漁について、九州産業大経済学部の古賀康士講師は「米国の船団が北太平洋捕鯨に進出し、日本海を南下する鯨が減少したのが要因」と指摘した。
 末田教授は取材に「4人の報告は内容が重複したところもあったが、補完し合った面もあり、有意義だった」と振り返った。

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