フロントも無視できなかった野村監督のボヤキパワー 経済効果は驚異の…

チームの雰囲気も変わってきていた

【球界平成裏面史・楽天09年編(4)】 名将にしてボヤキキャラがお茶の間にまで浸透していた平成21年(2009年)当時の楽天・野村克也監督はヘタなタレントよりも高い人気を誇っていた。その影響力の大きさに揺らぎ始めた球団フロント…杜の都を舞台に展開された指揮官の去就を巡るドラマはサイドストーリーも充実していた。

野村監督の教え子が球団創設初のAクラス、クライマックス・シリーズ(CS)進出に向かって勝ち進んでいく――本筋であるべきストーリーでは、スポ根マンガばりの愛と感動のシーンで大盛り上がりだった。

9月末になると、チーム関係者からこんな話が出てきた。「選手のあいさつを気に留めなかった監督が、最近は一人ひとり手を上げて応えているんだよ」。正確には「気にも留めなかった」のではなく全てに対応しきれていなかっただけだが、コーチ陣は「見えるもの(上位)が出てきたことで『お前ら頼むぞ』という気持ちになっている。その行動(あいさつへの対応)も意気込みの表れだろうね」と前向きに解釈。「決して選手を褒めたり持ち上げたりしない人だから、ああいう行動一つでも選手は意気に感じるものだよ」と、うれしそうに話していた。

そしてCS進出へのマジック2で迎えた10月3日のKスタ宮城。西武との直接対決を14―5で制し、球団創設5年目で初のAクラス入りが決まった。

これで指揮官の進退問題も潮目が変わるかと思われたが、翌4日、奮闘をねぎらいに球場へ姿を現した楽天グループの総帥・三木谷会長が次期監督問題について「決定権は自分にはない。俺は本当に何も知らない。(島田)オーナーに聞いて」としながら「後任者選びは進んでいるのか?」の問いには「うん」。

〝野村勇退〟に変わりがないことを改めて明言した。

一方で、次期監督候補の本命と目されていた東尾修氏にまつわるストーリーも風雲急を告げていた。正式に打診するどころか、話自体が白紙になったとの情報が飛び交うようになったのだ。

当初は最有力で間違いなかったそうだが、東尾氏サイドの三木谷会長への〝粗相〟が原因で消滅したという。ある球界関係者は、声を潜めてこう語っていた。

「東尾さんと親交のある財界トップの人が三木谷さんを会合に招待し、そこで東尾さんを交えた次期監督についての話し合いがあったそうなんだけど、人を介して、しかも呼びつけてというやり方に、三木谷さんが気分を害した。それが最終的に首を縦に振らなかった理由と言われています」

ここで名前が急浮上したのが、この年限りで広島監督を退任するマーティー・ブラウンだった。球団関係者は驚きをもってこう語っている。

「以前から三木谷会長は『次は外国人監督でいいんじゃないか』と語っていたが、周囲が『もうちょっと国内で探しましょう』と諭したほど。そこで出てきたブラウン監督だからね」。

別の関係者も「『球団、チームのシステムを理解し、守ってくれる人がいい』というフロントの希望にも沿っているし、広島OBとはいえ外国人ということで『他球団のカラーが染み込んでいない』という条件にもはまっているようだ」。

しかし、球団内に「野村監督続投」を推す声が根強くあったのも事実。その手腕もさることながら、Aクラスなのにクビ…という一般的に考えると「謎」でしかない人事が、球団のイメージダウンにつながることへの懸念も背景にはあった。

ノムさん人気は相当なもので、特に試合後のボヤキは夜のニュース番組のスポーツコーナーでも連日放映されていた。それに付随してこんな話まであった。

「実はこの不景気の中、スポンサー料1億円以上のトップスポンサーに注目している企業があるんです」と切り出した球団関係者はこう続けた。

「その理由の一つが、試合後の会見で野村監督が立つ場所に映るあの壁面広告。もともとはトップスポンサーさんへのオプションの一つだったが、最近はアレによる広告効果を目当てにしているという話もある。球団の営業の中にはアレをセールスポイントの一つにしている人もいる」

もし野村監督が〝Aクラスでもクビ〟になればスポンサー離れも招きかねない。大逆転での続投はあるのか。周囲が混沌とする中、今度は三木谷会長と〝あの大物〟が写真週刊誌に激写されることになる。=続く=

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