ベルリン慰安婦像でも敗北 河野談話の破壊力|山岡鉄秀 日本外交はなぜ完敗したのか。日本政府の抗議を受けてベルリン市ミッテ区長は「すぐに撤去させる」という方針だったのだが、コリア協議会の圧力に屈し轟沈した。ナチス・ドイツへの反動、声を上げられない日系住民の苦悩、ドイツにいる“反日左翼活動家”、そこには様々な要素が絡み合っているのだが、またもや浮かび上がったのは河野談話の亡霊だった――。

“亡霊”によって見事に逆転されてしまった

ベルリン市ミッテ区に建てられた慰安婦像が当面存続することになった。12月1日に開催された区議会で、慰安婦像の永続的な設置を求める動議が賛成24票、反対5票の賛成多数で可決した。

この決議には法的拘束力はないのだが、フォン・ダッセル・ミッテ区長は決議の受け入れを表明し、慰安婦像撤去命令の撤回をミッテ区法務局に依頼した。したがって、区に対して行政裁判所に提訴していたコリア協議会も提訴を取り下げ、慰安婦像は当初の予定どおり、1年間はいまのまま存続することになる。

どうしてこんなことになったのか。
そこには様々な要素が絡み合っているのだが、またもや浮かび上がったのは河野談話の亡霊だった。

慰安婦像撤去の勧告を出したフォン・ダッセル区長は当初、日本大使館に対して非常に申し訳ないという態度だったという。内容をよく見ずに承認したのはまずかった、すぐに撤去させる、という姿勢だったそうだ。

しかし、区長は予想外の状況に遭遇した。まず、区長を支えるべき区議会の多数を占める左派の3党から思わぬ批判を受けたのだ。自身が属する緑の党、社会民主党(SPD)、左派党に異議を唱えられて、腰砕けになってしまった。

さらに、コリア協議会との裁判に勝つ自信も揺らいでしまった。当初は「コリア協会の申請書に碑文に関する記載がなかった」ことが瑕疵として指摘されていたが、よくよく調べると、それらしい記載が無くはなかったということになった。

もうひとつの論点として、外交関係を阻害するという論点があったが、ドイツの裁判所では認められにくいという。そんなわけで、フォン・ダッセル区長がすっかり弱気になったところで前述の動議をぶつけられてしまい、轟沈した。

現地の日系住民はなぜ沈黙しているのか

今回は日本からも、多くの個人や団体から意見がミッテ区に送られた。姉妹都市である東大阪市、新宿区、津和野町、姉妹都市ではないが、文京区や名古屋市からも慰安婦像に反対するレターが送られた。

私自身も、独自に区の文化芸術歴史企画課長であるウテ・ミュラー・ティシュラー氏に質問状を送ったが、返事はなかった。日本からの反発の大きさにミッテ区側は態度を硬化させ、日本外務省との交信さえ消極的になったらしい。

また、ドイツ自身の戦時中の強制売春は人権侵害も甚だしく、日本の慰安婦制度どころの話ではないが、それはドイツ人もわかっているらしい。それでも慰安婦像の撤去に同意しないのはなぜか。

理由は複数ある。基本的にドイツはナチス・ドイツへの反動もあって、左翼志向が強い国である。ミッテ区議会も全55議席のうち、区長が属する緑の党が12議席、社会民主党(SPD)が15議席、左派党が10議席で合計37議席と過半数を占める。

彼らには、日本をドイツよりも悪辣な国にしておきたいという願望が強い。自分たちが欧州最凶でも、極東にはもっと酷い国があると考えることで癒されたいのだ。

これは広くドイツ人に共有される感情で、彼らは日本をナチスと同じ絶対悪に固定することで、癒しを得ようとしている。具体的には、昭和天皇=ヒトラーで、天皇陛下万歳はハイルヒトラーだ。

反論することはナチスを肯定することと同義の歴史修正主義であり、極右政党の「ドイツのための選択肢」(AfD)と同じだとレッテルを貼られる。

このような背景があるから、現地在住の日本人は反論の声を上げたがらない。本来なら、豪州でやったように外務省に任せきりにせず、現地在住の日本人(含む日系人)がまとまって反対の声を行政に届けることが望ましい(豪州では豪州人住民も反対の輪に加わった)。税金を払っている現地住民の声が本来、最も議会に響くはずだからだ。

逆に、反対意見がないと「現地の日系住民も反対していない」と利用されてしまいかねない。しかし、極左的風潮が強いドイツでは一度極右のレッテルを貼られると生きていけないので、現地の日系住民は沈黙してしまう。

ドイツにいる“反日左翼活動家”

一方、ドイツには反日左翼活動家のような日本人が多く在住している。慰安婦像の除幕式で歓迎のスピーチをした日本人がふたりもいた。これは早速議会で、「像に賛成する日本人もいる」と利用された。

しかし、どんな日本人が賛成しているかが問題だ。驚くべきことに、ベルリンには1986年に極左活動家で知られる故小田実氏が設立した「独日平和フォーラム」という団体が未だに存在している。

彼らは韓国反日団体を支援し、コリア協議会のホームページに協力団体としてリストされている。独日平和フォーラムは欧州における反日活動の拠点となり、反日韓国人学者が主導する反國運動を支援している。

他にも、独日平和フォーラムの共同設立者で「いまになって、従軍慰安婦を否定するような言論を日本政府が発すると、世界に対する日本の信用が没落する。あり得ない」と発言した『週刊金曜日』の執筆者である梶村太一郎氏の奥方が、慰安婦問題担当を務める「ベルリン女の会」という団体もある。

この団体は、ブランデンブルク門のような代表的な観光地でわざわざ日本を非難する横断幕を掲げて集会を開いたりしている。どんな思想を持とうと自由だが、はっきり言って恥ずかしい。

海外には学生運動崩れのような左翼活動家系の日本人が移住しているケースがままあり、その傾向は北米で顕著だが、欧州ではドイツが際立っている。現地で常軌を逸した反日発言を繰り返すドイツ人を調べてみると、これらの団体のメンバーで、左翼日本人の反日思想をそっくり受けついでいたりする。

そのようなドイツ人の発信があまりにも酷いので反論してほしいとの要望が現地邦人からあったので、それらの発信を熟読したうえで、反論文になるような意見書を改めて書いてフォン・ダッセル区長に送った。

今回は私がアドバイザーを務める松田政策研究所の松田学代表との連名とし、国会議員からの推薦文をカバーレターとして付けた。山田賢司議員、三谷英弘議員、小熊慎司議員、松川るい議員、池田佳隆議員、長尾敬議員、小野田紀美議員、日独議連に属する7人の国会議員が連名してくれた。

興味のある方はこちらのサイトから参照していただきたい。
https://matsuda-pi.com/report/2020_02.html

英語サイトで村山談話や河野談話を肯定?

対談「戦後70年を語る」村山富市元首相、河野洋平元官房長官 2015年06月09日
対談「戦後70年を語る」村山富市元首相、河野洋平元官房長官 2015年06月09日

反論をいくらしても状況が変わらないのはなぜなのか。

ミッテ区議会が歴史的事実認定の参考としたのが、日本外務省ホームページに掲載されている河野談話だというのだ。議会で交付された文章を見ると、たしかに日本外務省ホームページのリンクが掲載されている。

□歴史認識について安倍政権は、終戦50周年と60周年の村山談話と小泉談話を完全に継承する。

□慰安婦問題に関して、計測不能な痛みと困難を経験された慰安婦の方々のことを思うと胸が痛み、前任者と思いを共有する。

□河野談話がこの問題を取り上げている。これは官房長官談話であり、菅官房長官が記者会見で述べたように、安倍政権で河野談話を見直す意図はない。

□先に述べたように、我々は歴史に謙虚に向き合わなければならない。歴史問題は政治問題や外交問題に転化されるべきではない。歴史検証は専門家と歴史家の手に委ねられるべきである。

これを外国人が読めば、日本の慰安婦制度は著しい女性の人権侵害であり、強制連行や性奴隷化を日本政府は否定していないと理解するだろう。この下には、2014年3月3日付の菅官房長官と記者の会話を書き起こしたものがリンクされている。

記者 安倍総理が歴史認識に関しては前任者の見解を継承すると言ったが、それは村山談話や河野談話を継承すると理解して間違いないか?
菅官房長官 以前申し上げたとおりです。
記者 安倍政権が河野談話を継承することについてその整合性をどう説明するのか?
菅官房長官 なんの矛盾もない。第一次安倍政権でも河野談話を継承した。河野談話を保持するのが日本政府の基本的な立場だ。

さらに歴史問題Q&Aが続き、その下には村山談話、加藤紘一談話、河野談話、アジア助成基金関連を含めて過去の発信が網羅的にリストされている。

負けるべくして負けた日本

一方、日本語サイトの構成はなぜか違っている。前述の安倍首相の参議院予算員会での発言の前に、安倍首相の終戦70周年談話が載っており、菅官房長官の記者会見は載っていない。

その後、小泉首相の終戦60周年談話、町村外務大臣がニューヨークで行った「戦後60年を迎えた日本の世界戦略と日米関係」という政策スピーチの和訳があり、再度小泉首相のアジア・アフリカ首脳会議におけるスピーチ、そして村山首相終戦50周年談話と続く。

不思議なことに、河野談話が見当たらない。しかしよく見ると、下のほうに慰安婦のセクションがあり、そのなかにある「日本政府による調査と内閣官房長官談話」というリンクがある。それをクリックすると、さらに「平成5年8月4日の内閣官房長官談話」というリンクがあり、それをクリックすると河野談話が現れるのである。

英語サイトでは河野談話を前面に押し出し、日本語サイトでは河野談話を目に触れない場所に隠しているかのようだ。この外務省ホームページをベルリン市ミッテ区議会が検証したら、日本政府が悲惨な慰安婦制度を歴史的事実として認定していると考えても仕方がないだろう。

彼らの左翼的思考のせいだけにはできない。日本外交は河野談話を前面に押し出し、それゆえに負けるべくして負けたのである。私を含めた民間人がいくら反論しても、日本政府の公式見解の前には霞んでしまう。

今回、慰安婦像の保持に賛成した区議たちのなかには、設置許可期限が切れる1年後に、区議会が関与しながら、碑文の内容も見直し、より一般的なオブジェにして永久設置すべきだという意見が見られた。コリア協議会は、間違いなく設置許可期限の延長を申請するだろう。

日本大使館は、全力で慰安婦像の抽象化と一般化の実現に取り組む必要がある。しかし外務省ホームページがいまのままでは、未来永劫に日本の汚名が晴らされることはないだろう。

ベルリンの慰安婦像問題を教訓として、全面的な見直しに取り組むべきだ。

著者略歴

山岡鉄秀(Tetsuhide Yamaoka)

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