県庁と市役所の名建築を巡る~政治家は公共建築の質向上に勇気を持て(歴史家・評論家 八幡和郎)

住民投票したら反対が多くなるのは当たり前だが

 最近、県庁や市役所の庁舎を新築するところが増えている。平成29年度に長崎県庁が新築移転したし、令和四年には岐阜県庁も竣工予定だ。市役所では横浜市役所が新築移転したし、岡山や松江など多くの町で意欲的な新庁舎がお目見えしそうだ。

 この背景には、「新耐震基準」が昭和56年に定められ耐震性が向上したが。それ以前の建築については、阪神淡路大震災(1995)や東日本大震災(2010)後の耐震診断の結果、建て替えが好ましい庁舎が多いのだが、市民のアンケートなどをとると改築ですませばいいというのが勝ってしまう。

 しかし、補強では長持ちせず、また、仕事の能率、とくにIT化対応を考えても、新築のほうが好ましい。また、鉄骨ブレースなどでの補強をした建物は景観上もよろしくない。

 耐震工事でその場しのぎをしたものの、それがまた限界に来て、ようやく新築に踏み切れたという背景がある。

 豪華庁舎への批判は強いが、県庁や市役所には都市景観のキーポイントなのだから節約ばかりが能であるまい。

 民間企業の本社ビルでも株主にアンケートなどしたら賛成が多いなどありえないのである。国で新築の場合に補助を高い率で増やすとかいう工夫が必要だと思う。

 この県庁や県庁所在地の市庁舎については、「日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎 」(光文社知恵の森文庫)で詳細な表をつけて、全国くまなく紹介しているが、ここではそのさわりを紹介しておく。

 廃藩置県の以前に藩と府県が併存していた時代には、藩庁はそのまま使われ、主として幕府領を引き継いだ府県にあっては、奉行所や代官所を使った。

 だが、必ずしも、適当な建物があるとは限らず、藩校、御殿や家老の屋敷、寺院などを利用したところもあった。

 そして、明治10年あたりから城跡などを中心に新しい庁舎が建設される機運が出てきた。大きな藩のあったところでない府県では、とくにそのニーズが高かった。

 さらに、県令・三島通庸によって建設された山形県庁のように近代化のシンボルとしての意義づけを与えられたものもあり、それは、全国で真似られるようになった。

 現存する県庁舎で最も古いのは。明治村に現存する木造の旧三重県庁舎(明治22年・)であり、煉瓦作りのものでは、北海道旧庁舎(明治21年)がある。

 さらに、ルネサンス様式の京都府庁旧本館(明治37年)、山口県旧庁舎(大正5年)、山形県庁舎(三島の建設した物が消失したあとの物。現・県郷土館文翔館 大正5年)はいずれも重要文化財だ。

 しかし、関東大震災からのちは、耐震面からも鉄筋コンクリート造になった。そして、昭和初期には、神奈川県庁舎、愛知県庁舎、静岡県庁舎などにみられるように、鉄筋コンクリート造の洋式建築に和風の屋根をかけた帝冠様式が流行した。

 しかし、昭和12年施行「鉄骨工作物築造許可規制」で鉄材消費抑制のために滋賀県庁舎を最後に鉄筋コンクリート造建築は建設できなくなった。この時期の建築家としては、佐藤功一、置塩章、矢橋賢吉らがおり、佐野利器らは構造設計で活躍した。

戦後は、高層化が進み、鉄骨造や鉄骨鉄筋コンクリート造になった。

最高傑作と言われる香川県庁旧館

 それでは、現在も県庁舎として使われているもののなかで評価の高いものにはどんなものがあるか。だいたい、ベスト10に近い感覚で選んでみよう。

 建築として最高傑作は、香川県庁旧庁舎(現在は本館)。丹下健三の若い頃の代表作で、五重塔のイメージを生かし、ピロティが設けられ、コンクリート打ち放しの美しさを世に知らしめた。

名護市役所 Photo by 写真AC, Inushita

丹下健三は、新旧の東京都庁舎の設計もしており、ノートルダム寺院のような新庁舎は、新宿の新しいランドマークになった。倉吉市役所は建築学会賞をとっている。なお、建築学会賞をとった市庁舎としては、名護市役所(象設計集団アトリエ・モビル)、羽島市役所(坂倉準三)、旭川市役所(佐藤武夫)がある。

 黒川紀章も庁舎は得意で、沖縄県庁は地域の文化を巧みに取り入れているし、福岡県庁も九州を代表する公共建築だ。大阪府庁の新庁舎も設計したが、維新府政のもとでお蔵入り。

 建築学会賞をとった唯一のものは、安田臣設計の大分県庁舎。安田は島根県庁舎も設計しているが、これは、竹下登育ての親で文化人でもあった田部長右衛門知事が官庁街全体の景観を重視した町造りをした一環である。

戦前の有名建築家では、佐藤功一が滋賀県庁や栃木県庁を設計しているが、国会議事堂に似た滋賀県庁は本館としてそのまま使われている。栃木県庁は敷地内に移動させて 昭和館として使われている。群馬県庁も佐藤だが、33階建ての超高層ビルを新庁舎として建て、旧庁舎は「昭和庁舎」として使用されている。

 置塩章のものとしては、宮崎県庁がそのまま使用されているが、茨城県庁も三の丸庁舎として現存。

国会議事堂や旧総理官邸を設計した矢橋賢吉のものも多かったが現役は山口県庁。石川県庁は「県政記念しいのき迎賓館」として保存。佐野利器が主たる設計者となった徳島県庁舎は県立文書館として残っている。

 片岡安は大阪中央公会堂がよく知られているが、大阪市の旧庁舎を設計するなど、關市長時代に御堂筋などの景観をつくった功労者だ。東京駅で知られる辰野金吾の協力者だった人だ。

 拙著の表紙に使った愛知県庁は、瓦屋根を乗せた「帝冠様式」の傑作。隣接する名古屋市役所も同様の様式でそのコンビネーションが二重丸だ。帝冠様式の物としては神奈川県庁もある。

 岡山県庁は、昭和32年に前川國男設計で竣工。水平な窓が並ぶモダニズム建築で長さが東西約150mに及んでいるのが特徴。権威主義的な戦前様式から脱して戦後の息吹を感じさせる名建築だ。前川圀男は世田谷区役所も有名だ。

 奈良県庁旧庁舎は和風瓦屋根をのせる木造の名建築といわれたが、片山光生の設計での新庁舎も景観に十分に配慮されており、評価が高い。

 近年の庁舎は、日建設計による大阪市役所や新潟県庁に代表されるように、モニュメンタルな塔屋などを持たない実用的なものが多い。もちろん十分に美しいのであるが、県や町の顔には成りにくいところが、物足りない。とくに、ほかにモニュメンタルな建築がない町ではそうだ、

 新庁舎を建てるときに旧庁舎の保存運動ががよくあるが、必ずしも優れた建築に対して行われるのでなく、市民運動家で熱心な人がいるかとか、建築家の系譜に属する人の勢力が強いとかに左右されることが多く、本当に残したい建築が残されているわけでない。

 また、もし残すとしたら、現地でなくとも、その町の中心部にして欲しい。徳島とか長野の旧県庁が郊外に移されているが、それでは、町の歴史の証人としての意味がない。

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