球界揺るがした小久保裕紀の無償トレード…非情通告した身に残り続ける苦渋の思い

ダイエーの球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏【写真:編集部】

2003年のオープン戦で靭帯を断裂した小久保、アメリカでの手術を行うが…

2020年のプロ野球はソフトバンクが圧倒的な強さを見せつけ日本シリーズ4連覇を飾った。投打でスター選手を揃え12球団随一の育成力で“常勝軍団”を作り上げたが、ホークスの福岡移転となった1988年は苦しいスタートだった。当時、ダイエーの球団経営に携わり球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏が福岡移転の真相、王貞治監督誕生など当時を振り返る。最終回はホークスを変えた男・小久保裕紀。

1993年のドラフト1位で入団した小久保裕紀は間違いなくホークスを変えた男だった。中内オーナー、根本陸夫監督が熱望し獲得した将来の幹部候補について瀬戸山氏は「誰よりも練習する姿、チームを引っ張るリーダーシップ、そして実力もこれ以上にない男」と目を細める。

プロ2年目の1995年には28本塁打を放ち本塁打王のタイトルを獲得。その後も主軸としてチームに無くてはならない存在となったが2003年に球界を揺るがす事件が起こった。

同年のオープン戦で本塁へ突入した際に右膝の靭帯を断裂するなど大ケガを負う。球団からは当初、全額負担でアメリカでの手術を承諾したが「あの話はなかったことにしてくれ」と急転。その他にも当時の球団社長に冷遇されるなどフロントに不信感を抱いた小久保は同年オフに退団することを決意する。

「手術の費用が出せない件も私が伝える役割だった。心苦しかった。納得できない部分は誰もが分かっていたが本人は『選手会長として僕は見過ごすことはできない。もうこの球団ではできません』と。その後、巨人の渡邉恒雄さんに話を持っていき巨人とのトレードが決まった。こちらからお願いした立場、誰かと交換してくれという訳にもいかなかった。小久保も膝を断裂して来季活躍する補償はどこにもなかった」

今年からヘッドコーチで小久保氏が球団に復帰「本当に喜ばしいこと」

小久保が不在の中、皮肉にもチームは阪神を破り日本一に輝く。だが、その裏で“ミスターホークス”と呼ばれた男はチームを去ることを決断し巨人との無償トレードが決まった。

「トレードの話を伝えるのも僕の役目だった。これまで長い付き合いで小久保のこともよく知っている。もう、私も辞める決意ができていた。こんな状況はあまりにも酷かった。だから『小久保、もう飲みに行こう』と誘い巨人へのトレード話を伝えました」

2人は福岡・西新の飲食店で濃密な時間を過ごした。小久保はその翌日に記者会見を開き、巨人への無償トレードが発表された。中内オーナー、根本陸夫、王貞治らと共にチームの基盤を作った瀬戸山氏のホークス最後の仕事はチームの精神的支柱だった男へのトレード通達だった。

このトレードはチーム内でも波紋を呼び同年の優勝旅行をボイコット、ファンからの信頼も失うことになった。それでも、紆余曲折を経て小久保は2006年オフにFA宣言でホークスに復帰。2012年に引退すると、その後は侍ジャパンの監督に就任するなど球界を支え来年からはヘッドコーチとしてソフトバンクホークスに指導者として復帰することになった。

「王イズムを受け継いだ小久保が指導者として戻ってきたことは本当に喜ばしいこと。今シーズン終盤まで優勝争いを繰り広げたロッテには井口監督がいる。これからも球界を盛り上げていってもらいたい。私はもうプロ野球に関わっていませんが陰ながら応援していきたい」

プロ野球界に足を踏み入れ、経営者としての立場としてもホークスが“常勝軍団”になる過程を歩んできた瀬戸山氏。南海の買収、王貞治氏の招聘など大役を全うした男は、これからもホークスの成長を見守っていく。(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

© 株式会社Creative2