都心の“洞窟”と“築堤”

“洞窟”はあくまで薄暗く狭い

 【汐留鉄道倶楽部】東京都港区のJR車両基地跡にあるガード「高輪架道橋」をくぐる小ぶりな区道はまるで“洞窟”のようだ。高輪地区と芝浦地区の230メートルをつなぐこの道を4年半ぶりに訪問した。

 その間、今年7月には山手線30番目の新駅「高輪ゲートウェイ」が開業、一帯は都心では最大規模といわれる開発地域となった。基地跡地に高層ビルや文化・商業施設、ホテルなどのビル群が整備され、何年かすれば都内屈指のとてつもなく巨大な新しい街が誕生することだろう。

 前回訪問時、このコラムで“洞窟”を「出口までの妙な不安と圧迫感。頭を傾けないと上部のコンクリートにぶつかってしまう」と書いたが、この道はまさに「低い、狭い、暗い」の3拍子そろった魅力をもっていた。さて、その後どうなったか…。

 今回も都営泉岳寺駅で降りて高輪側から入った。周辺は工事現場だらけで変貌の渦中にあった。看板によると車は4月から通行不能となっていた。歩行者と自転車は従来通り通行できる。持参した巻き尺で一番低いと思われる天井までを測ると165センチだった。入り口にあった高さ限界を示す「1・5メートル」の標識よりやや高め。とはいえ薄暗く窮屈な道を前かがみでないと歩けないし、自転車は皆、押して歩いている風景は4年半のまま。

 明治時代に横浜まで鉄道が開通した時に東京湾に流れる水路が道に転用されたようだが、長い間よく残っていたな、という印象。古びた看板が所々目につくし、鍵の掛かったなぞの鉄製ドアもいくつかあった。

 ゆっくり歩いて反対側の芝浦地区へたどり着いた。こちらも白い柵やフェンスだらけでどんな工事が進んでいるのか分からない。新幹線が車庫に向かうための高架橋が目に入った。再び来た道を戻り、出口から国道沿いを少し歩くと巨大な「高輪ゲートウェイ」駅が見える。

(上)標識が低さを物語る、(下)高輪ゲートウェイ駅から見た工事現場。築堤はどのあたり?

 港区などによると、付近に新たな対面通行できる立派な道路ができるという。“洞窟”自体は残るだろうが、封鎖されて人の行き来が可能となるかどうか分からない。ただ、新しい道路の完成は相当先のようだ。

 こんな小旅の数日後、駅近くで1872年に初めて鉄道が開業する時に海上に造られた「高輪築堤」の遺構がこのあたりの工事現場から発見された、と知りびっくりした。線路を敷くために海上に設けた四角い石垣がのり面に整然と積まれ線路を支えていたという。

 手元にある明治30年発行の東京の復刻版地図を見ると確かに新橋を出て「芝離宮」の先あたりから陸地を離れ「田町」「車町」「高輪北町」なんて町の沖合、海の上に線路が延々敷かれている。それが埋め立てられて100年以上も土中に眠っていた石積みが、工事で姿を見せたというのだ。現場は“洞窟”入り口の上の移設前の山手線が走っていたあたりにもあるようだ。

 築堤は移築され、どこかに保存されるのだろうか。可能なら現地でそのまま手を加えず残して街を完成させてほしいものだ。

 見学会が近くあるというので早速申し込んだのは言うまでもない。ぜひとも見たい。倍率はとても高そうだけど…。

 都心の洞窟と築堤。高層ビルであれタワーマンションであれ、都心は再開発工事がこれでもか!というくらい大盛り上がりだ。そこかしこで重機が土を掘り起こし、周囲は無味乾燥な白いフェンスが覆っている。どんな現場にも土中に歴史が潜んでいることは忘れないでいよう。

 ☆共同通信 植村昌則

 ※汐留鉄道倶楽部は、鉄道好きの共同通信社の記者、カメラマンが書いたコラム、エッセーです。

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