「村上春樹を読む」(111)「爆破される日本近代」 『羊をめぐる冒険』

講談社文庫版「羊をめぐる冒険」

 「この作品が小説家としての実質的な出発点だったと僕自身は考えている」「『羊をめぐる冒険』こそが、長編小説家としての僕にとっての、実質的な出発点であったわけです」

 まったく同じような村上春樹の言葉があります。前者は『走ることについて語るときに僕の語ること』(2007年)での、後者は『職業としての小説家』(2015年)の中での、『羊をめぐる冒険』(1982年)について語る言葉です。

 第1作『風の歌を聴け』(1979年)も第2作『1973年のピンボール』(1980年)もたいへん素敵な小説で、多くの読者を持っていますが、作者自身は初めの二作を小説家としての出発点としては考えてはいないようです。

 事実、例えばこんなことがあります。

 『風の歌を聴け』も『1973年のピンボール』も、1980年代半ばにアルフレッド・バーンバウムによって英語に翻訳されたものが講談社英語文庫として日本で発売されていました。でもそれらの英訳版は英米圏では長く刊行されていませんでした。

 1989年10月に『A Wild Sheep Chase』というタイトルで『羊をめぐる冒険』が講談社インターナショナルから、米国でアルフレッド・バーンバウム訳で刊行されたのが、村上春樹の英語圏デビューとなりました。

 『風の歌を聴け』でも『1973年のピンボール』でもなく、村上春樹は『羊をめぐる冒険』で英語圏へデビューしたかったのでしょう。

 『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』がテッド・グーセン訳で英語圏で刊行されたのは、実に2015年8月のことでした。

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 なぜ『羊をめぐる冒険』が、作家としての出発点となる作品で、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』と、どう違うのか。

 私なりの考えを記してみると、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』は、1度、ある形に奇麗に並べたトランプのカードを、もう1度シャッフルして並べた変えたような作品になっていますが、『羊をめぐる冒険』は、最初から最後まで、1つの物語をだんだんに展開していって、最後にクライマックスが訪れるという作品になっています。

 つまり『羊をめぐる冒険』は、村上春樹自身が「物語作家」としての力を自分の中に、しっかり確信した作品ということができるかと、思います。

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 それと、もう1点。よく読んでみれば『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』も日本近代への歴史意識が記された小説ですが、かなり意識的に読まないと、作品を貫く歴史意識が浮かびあがってこないように記されています。

 でも『羊をめぐる冒険』は戦争を繰り返した近代日本の問題はどこにあるのか、また旧満州や中国との関係などを、かなりはっきりと、真っ正面から描いた小説となっているのです。

 それらのことが『A Wild Sheep Chase』(『羊をめぐる冒険』)で欧米圏に勝負したいという村上春樹の選択へと繋がったのではないかと、私は考えています。

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 前回の「村上春樹を読む」の最後でも少し記しましたが、この12月10日に早稲田大学が早稲田新書という新シリーズを創刊して、その創刊3冊の1つとして、『村上春樹の動物誌』という本を書きました。

 村上春樹作品には「動物」がたくさん登場します。それらの動物は何を象徴しているのか。「動物」に着目して、「動物」の側から、村上春樹作品を読んでいった本です。

 私は、村上春樹という作家は、近代日本への歴史意識を書き続けている作家だと考えています。ですから『村上春樹の動物誌』の中でも村上春樹の歴史意識を象徴的に表す動物として「羊」を挙げて、本の一番最初に書きました。(もちろん、それ以外の問題や楽しさを象徴する「動物」についても、たくさん記していますが)

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 そして、この「村上春樹を読む」でも何回か触れていますが、今年、2020年から、村上春樹作品に関心を抱く人たちと、オンラインでの読書会のようなものを開いています。(参加者は研究者ではなくて、一般の読書家たち10名程度です)

 11月末にも、そのオンライン読書会を開催したのですが、私の『村上春樹の動物誌』が刊行されるということから、その読書会のテーマ作品として『羊をめぐる冒険』を選びました。そうやって、「村上春樹の歴史意識」を表す「羊」について、読んでいったのですが、その読書会の中で、「えっ」と驚く指摘を参加者の方から受けました。

 今回の「村上春樹を読む」は、思ってもいなかった、その参加者からの指摘と、それへの私の驚きというものについて書いてみたいと思います。

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 同作は「背中に星の形に茶色い毛がはえていた」羊を探して、主人公「僕」が北海道の十二滝町の高台にある牧場まで旅する物語です。

 十二支にも入っている「羊」は日本人にとって古くからなじみ深い動物の印象がありますが、でも明治ごろまでは、ほとんどの日本人が見たことのない動物でした。確かに、3世紀前半の日本の様子を記した「魏志倭人伝 (ぎしわじんでん)」にも「其地無牛馬虎豹羊鵲」とあって、羊は日本にはいないと書かれています。

 『羊をめぐる冒険』によると、日本に羊が輸入されたのは江戸末の安政年間で、幕末までは1頭も「羊」は存在していなかったのです。

 同作では、北海道の十二滝地区に村営の緬羊(めんよう)牧場が1902年(明治35年)に作られ、道庁の役人がやってきて牧舎建設を指導し、政府からただ同然の値段で「羊」が払い下げられます。

 それは日露戦争が迫りつつある時代。「大陸進出に備えて防寒用羊毛の自給を目指す軍部が政府をつつき、政府が農商務省に緬羊飼育拡大を命じ、農商務省が道庁にそれを押しつけた」のです。

 その後、羊の頭数はどんどん増加して、戦争が終わって間もない1947年(昭和22年)には27万頭にも北海道ではなっていました。でも羊は、この作品の時代設定である1978年には5千頭に減ってしまっていたのです。

 戦後、羊肉羊毛が輸入自由化され、オーストラリア・ニュージーランドから輸入されたこともありましたが、「羊」という動物は、幕末まで日本になく、明治期から国家レベルで輸入、育成され、戦争中にどんどん増加して、敗戦後まもなくは27万頭にもなっていましたが、その後は、見捨てられたように5千頭にまで減少してしまう動物です。

 「まあいわば、日本の近代そのものだよ」と同作にあります。

 つまり「羊をめぐる冒険」という題に、こめられた意味は「日本近代をめぐる冒険」ということなのです。このように「羊」は「日本近代」を象徴する動物で、だから満州と日本のことも『羊をめぐる冒険』の中で描かれるのだろうということを『村上春樹の動物誌』の冒頭に記しました。その考えを基に、読書会の中で、私も話していました。

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 さて「背中に星の形に茶色い毛がはえていた」羊を探して、「僕」と耳のモデルをしているガールフレンドが十二滝町に向かう場面は次のようにあります。

 第八章の最初の「十二滝町の誕生と発展と転落」の項では「札幌から旭川に向う早朝の列車の中で、僕はビールを飲みながら『十二滝町の歴史』という箱入りのぶ厚い本を読んだ。十二滝町というのは羊博士の牧場のある町である」と書き出されています。

 同章の次の項「十二滝町の更なる転落と羊たち」では「我々は旭川で列車を乗り継ぎ、北に向って塩狩峠を越えた。九十八年前にアイヌの青年と十八人の貧しい農民たちが辿ったのとほぼ同じ道のりである」と書かれています。

 『十二滝町の歴史』によると、明治13年の初夏、十二滝地区に最初の開拓民である津軽の貧しい小作農18人が移ってきました。その時、開拓民たちは、アイヌ語で「月の満ち欠け」という意味の名前を持つ青年を道案内に雇い、青年と開拓民たちは、現在の旭川を越え、塩狩峠を越えて北上し、地形・水質・土質を調べ、結構農耕に適した十二滝地区に定着するのです。札幌から、260キロも離れたところでした。

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 よく読むと、これらの文章に「旭川」が意識的に繰り返し書かれています。

 僕とガールフレンドが宿泊した札幌の「いるかホテル」で「羊博士」が、羊のいる牧場の細かい地図を描いてくれるのですが、それは「旭川」の近くで支線に乗りかえ、3時間ばかり行ったところにふもとの町があるとのことです。その町から牧場までは車で3時間かかります。

 紹介したように「僕」とガールフレンドが十二滝町に向かう時「札幌から旭川に向う早朝の列車の中で、僕はビールを飲みながら『十二滝町の歴史』という箱入りのぶ厚い本を読んだ」と記されています。さらに「我々は旭川で列車を乗り継ぎ、北に向って塩狩峠を越えた」とあります。

 アイヌ青年に導かれた津軽の貧しい小作農18人の開拓民たちも「彼らはとうとう現在の旭川に辿りついた」とあります。もっとも彼らには「旭川」は安心の地ではありませんでした。さらに北の十二滝地区を目指したのです。

 そして、「鼠」が暮らしていた建物にあった新聞の切り抜きには「旭川の近くで駅伝大会が催された」記事が載っています。

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 ですから、この「旭川」とは何かを考えることも『羊をめぐる冒険』で重要なことなのです。

 『羊をめぐる冒険』には「羊男」という「羊の着ぐるみ」を着た者が登場します。その「羊男」には、日露戦争を羊の防寒具を着て戦って、戦死した、アイヌ青年の息子の姿が重なっていますし、さらに「羊男」は「僕」の友人で自死してしまう「鼠」と重複して感じられてくる存在です。

 そして「僕」が「どうしてここに隠れ住むようになったの?」と問うと「戦争に行きたくなかったからさ」と「羊男」は話しています。「羊男」は戦争忌避者なのです。

 「十二滝町の生まれかい?」と聞くと「うん」と「羊男」は答えます。さらに「町は嫌い?」と聞くと「下の町かい?」と「羊男」が言った後、「兵隊でいっぱいだからね」と羊男は答えています。

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 この「兵隊でいっぱい」の「下の町」は、普通に読むと「十二滝町」かと思いますが、それは『羊をめぐる冒険』に頻出する「旭川」のことではないかと、私は思います。

 この「旭川」は明治三十四年(1901年)から昭和二十年(1945年)まで旧陸軍第七師団があった土地であり、軍都として栄えました。

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 私も取材で「旭川」を訪れた際、旧陸軍第七師団関係の資料などを展示している「北鎮記念館」を見学したことがあります。「北鎮記念館」には日露戦争や満州事変、ノモンハン事件、さらに大東亜戦争に参戦した同師団の関係者が残したものがたくさん置かれていて、中には日露戦争などを戦った際の羊の防寒具、『羊をめぐる冒険』で描かれる「羊男」とそっくりの防寒具が展示されていました。

 ですから村上春樹作品の中での「旭川」は、「戦争の歴史」「戦争の死者」と結びついた土地だと思います。詳しくは『村上春樹の動物誌』に書いたので、それを読んでいただけたらと思いますが、その「旭川」の地名は『ノルウェイの森』(1987年)、『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)、『ねじまき鳥クロニクル』(第1部、第2部1994年。第3部1995年)などに繰り返し登場する重要な場所となっています。

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 このような読みを展開しながら、読書会をしていたのです。でも参加者の一人から、その「旭川」は「背中に星の形に茶色い毛がはえていた」羊を探す物語と関係があるのでは…という指摘を受けました。何故なら、旭川の市章が「☆のマークに真ん中が赤い○」というデザインになっているからです。

 旭川市によると「本市の徽章は、明治44年6月29日に制定されたもので、北海道は北斗星をもって表象されているところから、北斗星の外形を持って北海道を表わし、これに赤色の日章を中心に配して、北海道の中心たる本市を表示したものです」とあります。

 かつての軍都である「旭川」が重要な場所として出てくるので、旭川市章と同じ「背中に星の形に茶色い毛がはえていた」羊を探す旅なのかもしれないという考えです。なるほど、もしかしたら……そうかもしれないと思わせる指摘でした。

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 さらに、1935年7月、「満州」にいた若き「羊博士」は、その「羊」と出会い、羊と交霊をして「羊は羊博士の中に入ってしまう」のです。1936年2月、「羊博士」は本国に戻されます。そして「羊は私の中から去ってしまった」「しかし、それはかつて私の中にいた」のだと「羊博士」は語っています。

 つまり「背中に星の形に茶色い毛がはえていた」羊は「満州」から「羊博士」とともに日本にやってきて、「羊博士」の身体を抜け出した後、今度は「羊が獄中の右翼青年の体内に入ったこと。彼が出獄してすぐに右翼の大物になったこと」が同作には記されています。さらに、その右翼の大物は「中国大陸に渡り、情報網と財産を築きあげたこと。戦後A級戦犯となったが、中国大陸における情報網と交換に釈放されたこと。大陸から持ち帰った財宝をもとに、戦後の政治・経済・情報の暗部を掌握したこと」が書かれています。

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 そして、この中国と深い繋がりを持つ右翼の大物の第一秘書の黒服の男が、「僕」に「背中に星の形に茶色い毛がはえていた」羊の探索を依頼してくることから始まるのが『羊をめぐる冒険』なのです。

 同作の最後、「僕」が見つけた羊のいる牧場にある建物を目指して、黒服の男が歩いて行くのです。でも、そこには「僕」が仕掛けた時限爆弾が置かれていました。

 上り列車を待っている「僕」はチョコレートをかじりながら発車のベルを聞きました。「ベルが鳴り終り、列車ががたんと音を立てた時、遠い爆発音が聞こえた。僕は窓を思い切り押し上げ、首を外につきだした。爆発音は十秒間を置いて二度聞こえた。列車は走り出していた。三分ばかりあとで、円錐形の山のあたりから一筋の黒い煙が立ちのぼるのが見えた。

 列車が右にカーブを切るまで、僕は三十分もその煙をみつめていた」と書かれています。「羊」も黒服の男も爆殺されたのです。

 この後に「エピローグ」がありますが、でも時限爆弾による爆殺というエンディングは村上春樹の長編の終わり方としては、かなり珍しい、劇的なものです。

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 この最後の場面、「張作霖」の爆殺と関係がありますか? という指摘が、読書会の参加者からありました。正直「えっ」と驚きました。

 張作霖(1875~1928)は、中国の軍人・政治家。馬賊の出身で、東三省を支配下に収め、奉天派総帥となり、1927年北京で大元帥。28年国民政府の北伐軍が北京に迫ると東三省へ撤退、その際に関東軍の陰謀による列車爆破で死亡しています。なお、当時の日本政府は爆殺事件の真相を秘匿するため、満州某重大事件と呼んでいました。

 満州と関係した「羊」、『羊をめぐる冒険』の最後は、時限爆弾による爆殺で終わっているのですから、張作霖爆殺のことを連想してもおかしくはないのですが、私はこの指摘を受けるまで、まったく、そんなことを思い描けませんでした。

 私の読みが「羊」は戦争に繋がる日本近代の歴史を象徴する「動物」という観点から、読書会を進めていたので、その延長線上に、最後の爆殺の場面が「張作霖爆殺」と関係あるように読めてきたのでしょう。

 現実の読書会でのいろいろな読みが重なって、そこから飛躍もあって、そのようなものが導き出されてくるのです。

 張作霖は乗っていた列車が爆破されて殺されてしまいます。読み返してみれば『羊をめぐる冒険』の「僕」は列車に乗っていて、仕掛けた爆薬が爆発したことを確認しています。

 列車と爆殺の関係は逆ですが、村上春樹らしい逆転と言えるかもしれないですね。

 『羊をめぐる冒険』では、「僕」が北海道に入ってから、列車に乗る場面はかなり出てきますが、これも最後の場面との呼応として考えられていたのかもしれません。

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 読書会の参加者みなが、驚いた指摘ですが、実際に読書会に参加していない方々には、やや唐突に感じるかもしれません。でも読書会というものの楽しさが横溢する指摘でした。「他の読書家たちと読むのは楽しいなぁ」「いゃぁ、在野に読書家ありだなぁ」と、つくづく思いました。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

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