中村泰士さん追悼 「最期まで音楽の話をしていた」人生最後に披露した歌は『喝采』

左から、かせだあきひろ氏、神田幸氏

20日に肝臓がんのため亡くなった作詞・作曲家の中村泰士さん(享年81)のマネジャー・神田幸氏と、1994年からアレンジャー、ライブのキーボードとして音楽活動をサポートした、かせだあきひろ氏が24日、大阪市内で取材に応じた。

9月半ばに「調子が悪い」と不調を訴えた中村さんは、10月には「外出するのもしんどい」とこぼすようになり、同月14日に入院。肝臓がんと分かり、抗がん剤治療を開始した。

2週間後に退院し、2日後にはレコーディングに参加。11曲を収録した。11月14日にはBillboard大阪でのライブにも出演した。

一時は抗がん剤治療の経過も良好だったが、今月5日に行われたクルーズ船でのライブステージ後に「入院したい」と訴え、再入院。19日に容体が急変し、20日に実姉と神田氏にみとられ息を引き取った。棺にはギターや譜面などが入れられたという。

神田氏によると、中村さんは闘病中、一度も弱音を吐くことなく「81歳まで音楽を作ってるのは俺くらいやろ」「寝るのが怖い。起きた時に歌が書けなくなったらどうしよう」などと「最期まで音楽の話をしていた」という。病状についても「俺は毎日、生まれ変わってくるから、死んでも悲しむな。楽しくやってくれ」と明るくふるまっていたという。

また、中村さんは「僕のコンサートを見たことのない人に見てもらってほしい」と〝遺言〟も残していた。来年4月にも中村さんが大好きだったBillboard大阪に、30~50代の人を招待して「中村泰士メモリアル『G POP』ライブ」を開催。闘病中に収録11曲に生演奏を交えて披露する予定だ。

かせだ氏は「心に穴が開いた感じですね。あと2年やると言ってましたから、与えてあげてほしかった。でも、今ごろは神様の前で新曲を書いて、仲の良かった人たちと歌っているんじゃないですかね」と悼んだ。

中村氏が再入院前のライブで披露した人生最後の歌は、1972年にちあきなおみが歌い、レコード大賞を受賞した「喝采」だったという。音楽に愛され、すべてをささげた希代の音楽家は、天国でも多くの名曲をつくり続けるに違いない。

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