『作詩の技法』なかにし礼著 創作の前後左右裏表

 作詩の技法? そんな取り澄ました中身ではない。食べるために千曲を訳詩した学生時代から「天使の誘惑」「北酒場」「まつり」など数々のヒットを放ち時代の寵児となるまで、のたうち回って言葉を紡いできた著者(12月24日死去、82歳)が明かす創作の前後左右裏表である。

 1980年に刊行した『なかにし礼の作詞作法 遊びをせんとや生まれけむ』を加筆修正のうえ新原稿を加えた。著者は当時42歳。ヒットメーカーの覇気が全編に満ちている。タイトルの「作詞」を「作詩」に変えたところに約4000曲の作品を世に送り出した作家の自負がうかがえる。

 26歳で作詩家として立つまでをつづった第1章。日銭を稼ぐためにシャンソンを訳し、学生結婚し、妻を友人に奪われ、流行歌を書くことを決め……。ひりついた青春の日々は自己劇化もあるだろうが、ひと昔前の名画のようだ。

 圧巻は一つの詩が完成するまでを“実況中継”した「ドキュメント作詩」。独白と詩の添削が50ページ余りにわたり続く。「何を考えるかって? 思いつくままさ」「何が女の秘密だ、バカか、お前は!?」「こんな方法はどうだ?」「ムードはあるが、感動がない」「お、いいじゃないか」。七転八倒しながら燃え盛る創作の炎は「こんなもんだろう。これ以上はもう書けねえや/いやもう、すっかり朝だぜ」でようやく鎮まる。

 作詩は海に飛び込むことに似ているという。美しい貝を見つけるために苦しくても心細くても深く深く潜っていく。「作詩に王道はない」「迷路以上の迷路」と言いつつ明かす極意の数々。例えば歌の頭はまだ誰もが冷静で知的な状態だから、世の中からえぐり出してきた知恵の言葉を置け。「男と女の間には/深くて暗い河がある」(能吉利人作詞「黒の舟唄」)のように。随所に引用される昭和の名歌の一節が無性になつかしい。

 歌は時とともに消えていくと著者は言う。だが「石狩挽歌」(1975年)の衝撃。「時には娼婦のように」(1978年)には絶句した。その鮮烈な言葉の連なりはしっかり胸に刻まれている。

(河出書房新社 2400円+税)=片岡義博

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