『きらめく拍手の音』イギル・ボラ著、矢澤浩子訳 ろう者と聴者の狭間を生きて

 誰かを称賛したり歓迎したりする時、私たちは拍手をして音を出す。耳が聞こえないろう者は上げた両手の手のひらをひらひらさせて視覚的に拍手の音をつくり出す。それを見た別のろう者も両手をひらつかせ、きらめく拍手が広がっていく。なんと美しい喝采の風景だろう。

 本書は耳が聞こえない両親のもとに生まれた健聴者の韓国人女性が、ろう者と聴者の世界の狭間を生きる困難と、自らのアイデンティティーを模索する過程を明快な筆致でつづったドキュメントだ。

 著者は幼い頃から手話で話す両親と社会との「通訳者」「交渉役」の役割を強いられてきた。同情や蔑みを一身に引き受け、周りに認められようと必死に勉強した。だが高校進学と同時に家を出て、高校をやめ、アジアの旅へ。「ろう者の娘」というくびきから逃れ、ただの「私」になろうとしたのだ。

 やがて、ろう者の親を持つ聴者は「コーダ」(CODA=Children of Deaf Adults)と呼ばれることを知る。ろう文化と聴文化はどう違うのか。コーダとはいかなる存在か。私は何者なのか―。

 母語である手話の世界を話し言葉では十分に説明できない。自らを語る言葉を探して著者は24歳の時、両親の過去と今、コーダの弟の経験を見つめたドキュメンタリー映画「きらめく拍手の音」を撮影する。映画は各国で公開され(日本では2017年公開)、多数の映画賞を受賞した。その書籍版である本書のメッセージは明確だ。

 異なる文化が出合う時、そこには緊張と軋轢が生じる。そのさなかを生きた著者だからこそ、それぞれの文化が持つ独自性と差異の豊かさに気づくことができた。それは一人ひとりが異なる固有の「私」の発見につながっていく。

 手話は動きがきれいなだけではない。長々と話してやっと説明できることが、三次元の空間と顔の表情を使う手話を使えばすぐに伝えられる。二つの言語を一緒に使えば「世の中はどれほど静かだろうか、どれほど美しいだろうか」と著者はいう。そんな世界を少し想像してみた。

(リトルモア 1800円+税)=片岡義博

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