【ホープフルS】GIへと昇格したオープン特別 担当だったエアシャカールの勝利より記憶に刻まれた頂上決戦

この頃は覚えていると語る松田助手(写真は2000年の菊花賞制覇)

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=1999年ホープフルS】

人間、誰でも〝初モノ〟の記憶は濃いと思うんですよ。それは競馬に関しても同じことで僕が自分の意思で初めて競馬場に足を運んだのはサクラチヨノオーが勝った1988年の日本ダービーの東京競馬場。2着はメジロアルダンで枠連は「2―6」でした。3着コクサイトリプルの「2―2」も持っていたので、個人的にはそっちのほうがありがたかったんだけどなあ…。ちなみに東京は家から自転車で20分程度のホームコース。一方、電車で一時間以上の中山はウインズ立川で見る競馬場でして、この場所を〝初体験〟したのは競馬デビューから3年以上経ってのことだったんですよ。

1992年12月27日。それは僕が初めて中山競馬場に足を運んだ日であり、ジャパンカップを勝ったトウカイテイオーが有馬記念で馬群に沈んだあの日。もちろん、ネット投票なんてものは存在するはずもなく、マークシート投票は始まってましたけど、それでも馬券を買うだけで投票所は長蛇の列。ビッグレースをベストポジションで見ようと思えば、早い段階で全レースの馬券を買い込み、ゴール前でレースをひたすら待つ──。

6レースだったかな。僕にとって初めての中山、僕にとって初めてライブ観戦したホープフルS。そのレースの勝ち馬は来年のダービーを制するウイニングチケットでした。当時はまだオープン特別で30年後にGⅠに昇格しているなんて、夢にも思いませんでした。さらに調べてみると将来のGⅠ馬の名もあるんですよね。初観戦から5年後の1999年。ダービーだけがハナ差の惜敗、三冠馬に限りなく近い二冠馬と呼ばれた名馬エアシャカールのホープフルSもしっかりと観戦してました。

しかし、趣味で行っていた1992年とすでに競馬が仕事になっていた1999年では気持ちが違ったのか? それとも、2分5秒9という凡庸なタイムだったにもかかわらず、着差はわずかにクビというレースが印象に残らなかったのかもしれませんが、驚いたことに翌年の二冠馬のオープン初勝利をまるで覚えていない。とにかく、このような場合の選択は「現地に行っていた関係者に聞く」。これ一択です。

すぐに松田助手に電話。現在は角居厩舎の所属ですが、当時は森厩舎に在籍していた彼。おそらくは当日の中山にも行っているだろうとの予想はビンゴでしたが、こちらもホープフルSのことはまるで覚えていなかった(苦笑)。

「いやあ、どんなレースだったかなあ。その前の石橋さんの馬(パープルエビス)に負けたレースなら覚えているんだけどな。ミルコ(デムーロ)がヘグッて、何をしとるんじゃい! と怒った記憶があるから」となんとも実りのない答え。

おいおい、どうなっとんじゃい! と凄むと「いや、その日のことはよく覚えているんですよ。自分の仕事は終わっていたんですけど、すぐには帰らず、競馬場に残って有馬記念を観戦。グラスワンダーとスペシャルウィークがハナ差の接戦、そのために写真判定も長くてテレビカメラも検量室をずっと映していた。その時、有馬の関係者でもないのに検量室をなぜかうろうろしている僕の姿がばっちり映っちゃった。デヘッ(笑)」。

いやいや、俺が知りたいのはそういう思い出じゃないし。まあ、これもひとつの「あの日、あのとき、あのレース」と思ってください。

ホープフルSに関してはなんとも頼りなかった松田助手ですが、明日の有馬記念=ヴィクトワールピサは関係者らしい(?)コメントを聞かせてくれたので、そちらもお楽しみに!

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