【プロレス蔵出し写真館】32年前 急死を疑われた〝入れ墨獣〟クラッシャー・バンバン・ビガロ

大阪でのベイダーで負った抜歯前の傷痕を見せるビガロ(1988年9月10日、大分・日田市)

天下御免の向こう傷――「旗本退屈男」の主人公・早乙女主水之介を地で行ったのが、新日本プロレスの常連外国人レスラーだった〝入れ墨獣〟クラッシャー・バンバン・ビガロ。

頭部全体に彫られた刺青がトレードマークだったビガロの前頭部に、勲章ともいえる傷痕がくっきり残っていた(写真)。

これは今から32年前の1988年9月5日、大阪府立体育会館で行われたビッグバン・ベイダーとの2度目のシングルマッチで負った傷だ。鉄柱2連発とマイクの攻撃で大流血したビガロは試合後、大阪市内の病院へ直行。15針を縫う重傷で全治3週間と診断された。

1週間後の12日に行われる福岡国際センターでベイダーとの再々戦が決まったビガロは、対決を2日後に控えた10日、大分・日田玖珠地域産業振興センターでの試合前に本紙カメラマンを呼び止め「この傷を撮れ!」とばかりに、抜糸前の生々しい傷痕を指さした。

ところで、このシリーズのビガロは来日早々、新日本のスタッフに急死(あるいは変死)を疑われるちょっとした騒動を起こしていた。

それは――

3日の夕方に来日する予定だったビガロは、飛行機が大幅に遅れたため、成田空港に到着したのが翌朝の6時になった。外国人レスラーの常宿だった東京・西新宿の京王プラザホテルにチェックインしたのは8時ごろ。16時から宣伝用のスタジオ撮影が予定されていたのだが、16時半を過ぎてもビガロはロビーに降りて来なかった。

渉外担当の杉田豊久氏が部屋に電話をかけたが、呼び出し音がむなしく響くだけ。その後、何度電話をかけても一向に出る気配がない。

ビガロに何か異変があったのか? 杉田氏と、スタジオを予約していたオフィシャルカメラマン山本正二氏の頭に不安がよぎった。

過去、部屋で急死したレスラーがいたからだ(1972年2月に日本プロレスに来日したルイス・ヘルナンデスが急性心不全と心筋こうそくで。1984年2月に全日本プロレスに来日したデビッド・フォン・エリックは急性腸炎の発表)。

ホテルのフロントで事情を話し、杉田氏と山本氏、そしてフロント係の3人が部屋に急行。スペアキーで慌てて中に入ると、なんとビガロはグーグー大いびきをかいて寝ていただけだった。3人はホッと胸をなでおろした。

「とにかく何事もなくてよかったけど、スタジオ借りてたから料金も心配で…待たせてるから。スタジオは新宿だったから歩いて行ったんだけど、途中ビガロが居酒屋に入ってビールを瓶ごと売ってくれって店員に頼んで、ビールをラッパ飲みしながらスタジオまで歩いてたな。水みたいに飲んでたよ」(山本氏)

スタッフに心配をかけたことも露知らず、ビガロはマイペースだったようだ。それでも「今、思い返してみるといい奴だったよね」(山本氏)

あの風貌だが、27才のビガロ青年(88年当時)はスタッフ、そしてマスコミからも好感度が高かった(敬称略)。

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