【昭和ロックを語る時が来た!】織田哲郎 娘を喜ばすつもりで作った「おどるポンポコリン」だけど…

大いに語り合った織田(左)とユカイ

【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!:織田哲郎編(最終回)】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(58)が、ゲストを招いて昭和時代に巻き起こった日本のロックムーブメントをひもとく。シンガー・ソングライター、作曲家、プロデューサーとして多数のヒット曲を世に送り出した織田哲郎(62)をゲストに迎えた最終回。1990年代前半、次々とバンドをデビューさせ、曲をヒットさせたビーイング黄金期当時を語る。

ユカイ 前回、音楽を辞めることも考えていた時期に話が来たのが、後の大ヒットアニメ「ちびまる子ちゃん」の曲だったと。

織田 30歳のころ、仕事に疲れきってさ。ちょこちょこ印税も入ってお金に困る状況ではなかったから、あんまり仕事しないでのんびりしてたんだよ。遺書みたいな気分で自分のアルバム1枚作って。そんな時に(長戸)大幸さんから頼まれたのが「ちびまる子ちゃん」の曲。放送が始まる前だから、1989年か。

ユカイ 大ヒットしたよね。

織田 訳が分からなかったよ。「なんだ!? 何が起こってるんだ!?」って(笑い)。

ユカイ 休んでたのに、受けようと思ったのはなぜ?

織田 まる子の設定がちょうど娘と同じぐらいでね。子供が喜ぶことをあまりしてこなかったから、喜んでくれるかなと思って。でもたいして喜ばなかった(笑い)。

――「おどるポンポコリン」(90年発売)は奇天烈で面白い曲です

織田 作曲する前に「ちびまる子ちゃん」を全部読んでね。あの漫画のノスタルジック、センチメンタルな部分をイメージして作ったのが「ゆめいっぱい」(90年発売)。ヘンな部分を象徴するのが「おどる――」で、よし、ヘンな曲にしてやろうと思ってたら、作者のさくらももこさんが全く素晴らしい詞をつけてくれて、ヘンで楽しい曲になりました。

――「ゆめいっぱい」は発表から30年たった今も、聴くとグッときます

織田 なんかくるよね。自分でも思う。すごく好きな曲ですよ。俺の曲、長持ちしてる曲が多くて、ZARDの「負けないで」や「揺れる想い」も、誰かが歌ってくれたり、CMで使ってくれたり。自分が作った曲がずっと愛されていると感じられるのはありがたいことです。

ユカイ 長戸さんから頼まれたって話だったけど、織田さんのアイデアは?

織田 音楽自体は俺が作ってたけど、歌ってたB.B.クィーンズは大幸さんのアイデアだね。

ユカイ「ちびまる子ちゃん」の曲のヒット以降、ビーイングが力を持って、90年代前半に次々にバンドを出して売れたでしょ。バンドマン的には「この名前はないわー」ってのもあったけど。

織田 バンド名を考えたのは大幸さんだと思うけど、雑なのもあったかも(笑い)。次々にヒットしたのは、大幸さんが圧倒的なビジョンを描いて仕組みを作り、尋常じゃない馬力でけん引した結果だね。大幸さんは音楽マニアで研究家。あの人、弦アレンジができる音楽的な素養を持っている上で、古いレコードをものすごい数持ってたり、すごい熱意で研究する人だったから。

ユカイ 当時のビーイングバンドのヒット曲の多くは織田さん作曲。自分の曲が当たり続けたのはどう思ってました?

織田 こんなこともあるんだなって感じかな。30歳過ぎてたのが良かったと思う。いろんな経験をした後だったから。ユカイくんはしんどいよな。いきなり20代で売れちゃうと大変だと思うよ。

ユカイ 売れてる気持ちはなかったけど(笑い)。若かったし、暗中模索だった。

――織田さんの曲がこれだけヒットし、長く愛されるのはなぜだと思いますか

織田 ひとつには俺の根っこにフォークがあるからかな。プログレとかも好きだけど、フォークはアコギ一本でみんなで歌えるものじゃん。歌ってそういうものじゃないかなと思ってる。あの時代はカラオケにうまくはまったのもあるのかな。

ユカイ 織田さんは長戸さんと一緒にひとつの時代をつくったよね。

織田 時代をつくったとか、考えてないんだ。俺は音楽が好きで、音楽は世の中で不必要にならないから、その中で自分がやれることをやって、人が曲を愛してくれたらそれでいい。大幸さんは最初から俺のことをすごく才能があるという感じで扱ってくれて、そう思ってくれる人に出会えたのは本当にありがたいね。

☆おだ・てつろう 東京都出身。シンガー・ソングライター、作曲家、プロデューサー。1979年デビュー。80年代半ば以降、作曲家として「シーズン・イン・ザ・サン」「負けないで」「おどるポンポコリン」などのヒット曲を手掛け、自身のシングル「いつまでも変わらぬ愛を」もミリオンセラーに。累計シングル販売数4000万枚以上。ダイアモンド☆ユカイらとのバンド「ROLL―B DINOSAUR」で2枚のアルバムをリリース。織田哲郎LIVE2021「幻奏夜Ⅴ」を1月9日(土)にヒューリックホール東京で開催。

☆ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。

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