大林宣彦監督の遺作が見継がれる理由 「海辺の映画館 キネマの玉手箱」

「海辺の映画館」より(配給:アスミック・エース)(c)2020「海辺の映画館―キネマの玉手箱」製作委員会/PSC

 大林宣彦監督の遺作となった映画「海辺の映画館 キネマの玉手箱」が2020年7月の公開以来、各地の映画館をリレーする形でロングラン上映を続けている。上映約3時間のこの作品の“語り部”ともいえるナレーション担当の声優、広中雅志さんと“見継がれる理由”を探った。(共同通信=小池真一)

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 尾道にある海辺の映画館「瀬戸内キネマ」が閉館の日、日本の戦争映画を特集上映することになる、という筋立て。客席の3人の青年がスクリーンの中に紛れ込んで目にしたのは、戦争に次ぐ戦争、まさに日本の戦争の歴史絵巻だ。

「海辺の映画館」より(配給:アスミック・エース)(c)2020「海辺の映画館―キネマの玉手箱」製作委員会/PSC

 大林監督は戦争という重いテーマを扱いながら、悲惨な場面で全編を覆うことはしていない。むしろ、喜劇(コメディー)や楽しげなミュージカルのエッセンスをちりばめている。一体何が始まったんだろうと観客を戸惑わせるオープニング…。実にユニークで斬新な映画であることは間違いない。

広中雅志さん(提供・青二プロダクション)

 「『反戦をエンターテインメントで見せたい』というのが大林監督のお気持ちでした」と振り返る広中さんは、「世界まる見え!テレビ特捜部」「ビートたけしのTVタックル」「サンデー・ジャポン」、大みそかの「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」の「笑ってはいけない」シリーズなどテレビ番組のナレーターとしておなじみだ。アニメファンには、超大作「銀河英雄伝説」の人気キャラクターである“誠実な赤毛の知将”こと、キルヒアイスの声で知られる。

 「エンターテインメントを通して反戦を訴えるという趣旨を損なわないように、一部を除き、フラットなナレーションを心掛けました」と語る。

 反戦とエンターテインメント―実は両者には密接な関係があったのではないか? かつて、大林監督はこんなエピソードを語ってくれたことがある。

福島の高校生と交流する大林宣彦さん=2015年4月福島県伊達市

 映画「この空の花―長岡花火物語」の製作で、第2次世界大戦中の地元の戦禍を伝える長岡戦災資料館を訪れたときのこと。大林監督は、語り部ボランティアのひと言が、強く印象に残ったという。

 「うちのじいさまは日清、日露戦争の体験者で、『勝っている戦争はいいぞ、こんな楽しいことはないぞ』と話していました」

 「だからこそ戦争が好きな人間になるな」というのが、同資料館の教えだ。

 「海辺の映画館」でも、明治新政府が旧幕府勢力と戦った戊辰戦争や日中戦争を勝者の視点で描いた場面がある。瀬戸内キネマの観客は笑顔で観賞している。戦勝祝いのちょうちん行列のシーンでも、万歳する市井の人々のなんとうれしそうなことか。人々が戦争を望んできたのかもしれない、という恐ろしい真実を、広中さんは優しく誠実な声音のナレーションによってわたしたち観客の心に届ける。気づきを促すように―。

 全編に織り込まれた膨大なナレーションは一つ一つ、大林監督から広中さんに口伝えされたものだという。

 「なにしろ台本にはナレーションは一言もないのです。監督が、映画の最初から一緒に見ながら、言葉とその入れ所を探っていく。僕はひたすら『監督の代わりに語る』という意識で、声にしました。監督の『オッケー!』の一言にほっとする。その繰り返し。一度オッケーが出ても、しばらくして『あそこのシーンだけどネ…』と追加や再録音が入って。結果的に大林監督と多くの時間を過ごせたのは幸せでした」

大林宣彦さん

 日本大学芸術学部映画学科卒の広中さんにとって大林監督は憧れの存在、数十年来の心の師でもある。名作「EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」など1960年代の大林監督の16ミリ自主製作映画を何度も見てきた。そんな広中さんだからこそ、今回「海辺の映画館」に携わって驚かされたのは、大林監督の「昔と変わらない映画創りの姿勢、常に斬新な表現の追求」だったという。

 「自主制作映画・個人映画のにおいというかイメージをこの映画にも感じました。本当にやりたいことをやっている。『ヴェテランの少年』『若き日の自分にウソはつくまい』ということをよくエッセイなどにお書きになっていましたが、少年時代の自分自身との約束を守るため、映画作家としてぶれてない。明日を未来を見続け信じていた60年代に回帰しているようにさえ感じました」

 「海辺の映画館」の街は極彩色に染まり、キュビズム絵画のような映像が不自然につながりつつ背景に広がり、大きな魚が画面を遊泳する…。反戦をエンターテインメント映画で訴えるという構想も含め、見る者の意表を突き、のけぞらせ、わくわくさせる大林映画ならではの表現が満載だ。

「A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る」の表紙(提供・立東舎)

 20年10月出版の「A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る」(立東舎刊)の中で、大林監督は「海辺の映画館」について、「SFムービーみたいなもの」と説明している。

 「同じことを二度やってはいかん、という思いで、前の作品の真似をしていないか、いつも戒めています。映画は科学文明が生んだ芸術ですから、表現は発明であり、常に新しい発明をしなくてはいけない」(同書)

 大林映画の集大成とも評される「海辺の映画館」について、広中さんは「監督の頭の中をそのまま映像化したような作品」とする。

 「どんな映画になるのか、収録中はなかなか分かりませんでしたが、撮影中のスタッフ・キャストの皆さんも同様だったのではないでしょうか。でもとにかく、監督のためにどうにかしたいという気持ちは皆同じ。そして出来上がったのが監督そのもの、監督の分身のような映画です」

 ある日、広中さんは「海辺の映画館」を見た人から「監督に会ってきた気がした」と言われたという。

 「それはうれしい感想でしたね。反戦の願いを映画に託した大林監督、そんな監督と観客が出会うことによって、想いは引き継がれていく。そうした過程の中でナレーションが役立っているとしたら、こんなにうれしいことはありません」

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