<いまを生きる 長崎コロナ禍>介護福祉士目指す留学生 家族との死別乗り越え ひた向きに「夢」追う

 長崎県内で介護福祉士を目指す留学生の中には、新型コロナウイルス禍で母国の家族との「最期の別れ」がかなわなくても、懸命に学び続ける人たちがいる。介護現場の担い手として期待を集める外国人材。「孤独を抱える高齢者のために私たちは今ここにいる」。そんなひた向きな思いが彼らを支えている。

 17日午後。佐世保市椎木町の長崎短大。年明けの介護福祉士の国家試験に向けて学生が課題に取り組んでいた。教室の前方に座るのは、フィリピン出身のバティアンシラ・マリーアン・モンドヨさん(31)と、デヴィラ・ジェニファー・マルティネスさん(28)。分厚い教科書を手に一心にペンを動かした。
 2人は昨年、同短大と介護施設が連携して外国人介護人材の育成・就業に取り組むプログラムで来日した。介護福祉士の養成コースで学び、放課後は市内の病院でアルバイト。卒業後は人材不足に悩む青森県の施設に就職予定だ。
 マリーアンさんは、自身ときょうだいの学費を工面するため、働きながら母国の大学で介護を学んだ。海外で人を支える仕事に就くのが自分と亡くなった両親の長年の願い。そのチャンスをつかもうと来日した。
 上下関係を重視する日本の文化、授業や実習で飛び交う難解な専門用語…。留学生活は壁ばかりだった。「日本語も、日本のお年寄りのことも分からない私に何ができるのだろう」。実習で施設を訪れるたびに不安が押し寄せた。だが、つたない言葉でも話しかけるうちに、高齢者から感謝の言葉が返ってくるようになった。「私の思いだけで日本に来ていない。いつも『あなたはできる』と自分に言い聞かせてきた」
 最終学年を迎えた今年6月。フィリピンで漁師として働いていた18歳の弟が仕事中の事故で亡くなった。当時、フィリピンは出入国を厳しく制限。帰国して日本に戻ったとしても、2週間の自主隔離で経済的負担が増える。泣く泣く帰国を諦めた。
 恥ずかしがり屋だが働き者だった弟。携帯電話のビデオ通話で最期の姿を見ることしかできなかった。「家族が何よりも大切なのに」。今でも弟を思い出し、泣きたくなる。ただ、コロナ禍を心から恨んではいない。「弟も帰られなかったことを分かってくれたはず」と信じる。
 ジェニファーさんは、9月に伯父を新型コロナで亡くした。脳梗塞で言葉が不自由だったが、会えばいつも「元気か」と気遣ってくれた。母親から訃報を聞いて落ち込んだが、当時は実習の真っ最中。悲しむ間もなく勉学に打ち込んだ。今自分にやれることはそれしかないと思った。
 コロナ禍は、日本で学ぶ留学生たちにも、「コロナ以前」とは違った苦労や悲しみを強いる。それでも、ジェニファーさんは「今、家族と離れているからこそ、これから出会う日本のお年寄りには愛を持って接したい。利用者さんの心を満たすために私たちはいる」と力を込める。
 「来年したいことは」と尋ねると、彼女たちは「試験に合格すること。そしてできれば、家に帰りたい」と口をそろえて笑った。
 まだ先は見通せない。でも「夢」がある。だから2人は頑張れる。

介護福祉士の国家試験に向けて勉強するマリーアンさん(後方)とジェニファーさん=佐世保市、長崎短大

© 株式会社長崎新聞社