背筋が凍りついた中国による『目に見えぬ侵略』|石平 『目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画』(飛鳥新社刊)を読むのは、私にとっては近年に滅多にない、強烈な読書体験であった。  

怖いが一気に読み進む

『目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画』(飛鳥新社刊)を読むのは、私にとっては近年に滅多にない、強烈な読書体験であった。

本書は周知のように、豪州で刊行された Silent invasion という著作の邦訳だ。内容は書名のとおり、オーストラリアに対する中国の「目に見えぬ侵略」を告発するものである。

元中国人の私にとって、ここで告発された「中国の侵略」の中身はあまりにも衝撃的で、想像を絶するものであった。読みながら私は何十回も背筋の寒さを覚え、そして何十回もページを閉じては深いため息をついた。

読み進めるにつれて気持ちがだんだん重くなってくるが、それでも一気に読んでいかないと気が済まない。まるで世界一怖いお化け屋敷に足を踏み込んだかのようで、心胆を寒からしめて、絶叫しながらもどんどん前へ進んでいったのである。

決して神経の細くないこの私に、背筋の寒さを覚えさせてはため息をつかせたものは何か。中国の「目に見えぬ侵略」の恐ろしい正体は、一体どういうものだったのか。本書で暴露された夥しい実例から、ほんの一部だが拾ってみよう。

不動産購買者の80%が中国人

たとえば、豪州北部のダーウィン港の99年間の租借権が、中国共産党と密接な関係のある中国企業に売却されたこと。世界最大の石炭積出港であるニューキャッスル港も、中国国営の複合企業体に買収されたこと。そして、豪州における外国籍の不動産購買者の80%が中国人であること。中国企業と中国人は、文字どおり、豪州を買い占めているのである。

中国人による不動産の買収には、何らかの「特別な意図」を感じさせるケースもある。2015年に、オーストラリア保安情報機構(ASIO)本部から80メートルしか離れていない不動産物件が、人民解放軍とがりのある中国人富豪によって買収された。ここからは、情報機関の出入りを完全に監視できる。

豪州のアナウンサーも中国共産党員、軍隊もターゲット

狙われているのは情報機関だけではない。オーストラリアの軍隊も当然、中国の諜報活動の重要なターゲットである。

2009年、当時のオーストラリア国防大臣フィッツギボンは、中国系の女性実業家、劉海燕と「非常に親密」な関係にあることをマスコミに暴露された。のちに、この劉海燕は人民解放軍総参謀部第二部とがっていることが突き止められた。

あるいは、オーストラリアの公共放送であるSBSには北京語放送局があるが、そこで働くラジオアナウンサーの何人かが中国共産党の党員である、と自ら認めているという。

豪州の著名大学の先端技術を扱う研究部門にも、人民解放軍や中国政府の黒い影が忍び寄っている。

国家的研究プロジェクトに中国人上級研究員

オーストラリア国防大学には「オーストラリア・サイバー・セキュリティ・センター」という研究機関がある。文字どおり、サイバー攻撃を防ぐための先端技術を研究・開発するための機関だ。中国は何年にもわたって、そこの博士課程に留学生を送り込んでいた。彼らは当然、ここで開発されている技術にアクセスできる。おまけにこの研究センターに勤めている中国人教授は、中国国家安全部所属の実験室と共同研究までやっているのである。

オーストラリア連邦科学産業研究機構が人工知能(AI)研究のための「データ61」という研究部門を立ち上げて国家的研究プロジェクトを進めていた。この「データ61」に所属の中国人上級研究員の一人は人民解放軍国防科技大学とも深い関係をもっていることが、のちになって分かった。

選挙を動かす中国人票

豪州に住む中国系・中国人はおよそ100万人もいるが、彼らの多くは中国大使館・中国領事館の下で組織化されていて、中国政府の意向を受けて立派な政治活動を展開している。

たとえば議会の選挙になると、オーストラリア国籍の中国系の人々が大使館によって組織票として動員され、中国共産党に忠実な中国系議員を当選させる。その一方では、中国の気に入らない議員を落選させている。

豪州に住む人民解放軍の元軍官や入隊経験者は、「オーストラリア中国人元軍人協会」という解放軍OBの会を作っている。彼らは時には、解放軍の軍服に身を包んで軍帽や徽章までつけ、オーストラリアのあちこちの街に集まってイベントを行い、中国の国旗を掲げて軍歌を熱唱する。

2017年に中国の李克強首相がシドニーを訪問した時、協会のメンバーたちは総出で歓迎しに行ったが、会長は帰宅してから自らの日記に「今日、中国の国旗がシドニーを征服した」と書きつけたという。

一つの国を丸ごと乗っ取る

以上、本書から拾った中国の「目に見えぬ侵略」のほんの一部の実例である。軍事力こそ使わないものの、この恐ろしい「目に見えぬ侵略」の全体像については、本書にはこう書き記されている。

《われわれの学校や大学、職業団体やメディア、鉱山業から農業、観光業から戦略的資産である港や送電網、地方議会から連邦政府、そしてキャンベラの主要政党までが中国共産党の関係機関によって浸透され、その複雑な制御と影響のメカニズムによって誘導されている》

つまりいまの豪州では、国と地方の政治、経済と産業、社会のインフラと人々のライフライン、そしてメディアと教育という、およそ一つの国を形成している骨格部分のほとんどが、中国共産党の浸透工作によって侵食されていて、中国共産党の影響力を及ぼす範囲内になっているのである。

まさに、中共による豪州乗っ取り工作であり、「目に見えぬ侵略」そのものであろう。一つの国が、外国勢力によって丸ごと乗っ取られようとしている。

怪しげな中国人大富豪の侵蝕

問題は、中共は一体どうやって、軍事力も使わず、オーストラリアというれっきとした独立国家を乗っ取ることができたのか、だ。

本書によって暴露された中国共産党の国盗みの巧妙な手法のうち、常套手段の一つは金にものを言わせることだ。

たとえば、豪州における怪しげな中国人大富豪、黄向墨の「大活躍」はその実例の一つ。

2000年代に豪州に移民してきた広東省出身の中国人大富豪、黄向墨は、来豪してから4~5年のうち、オーストラリア政界の上層部との幅広い関係を築き上げた。彼のオフィスには、近年のすべてのオーストリア首相と談笑する写真が飾ってあり、当時の首相のケビン・ラッドとも親しく会談したという。

一外国人の彼が、短期間にオーストラリアの政界にそれほど深く食い込めた理由は、金の力以外にない。彼と彼の会社はオーストラリアの二大政党、労働党と自由党の両方に巨額な政治献金を行い、この国の政党の最大の献金者となった。

一方、黄向墨は高い報酬でオーストラリアの元大物政治家を雇っていく。2014年には上院議員の一人を自分の会社の現地法人の副社長として雇い、15年にはニューサウスウェールズ州の元副知事で国民党の元党首までをも自分の雇員にした。

そして黄向墨はこうした政界のコネを使って、中国政府のためのロビー活動に励んだ。2014年4月、中国・オーストラリア自由貿易協定についての両国間交渉が行われた時、黄向墨はオーストラリア側の交渉責任者である貿易大臣のアンドリュー・ロブ氏を香港にまで誘い出して、中国関係者との会合を開いた。

そこで黄向墨は、両国間貿易協定交渉の懸案事項である中国人労働者の受け入れ問題について、中国政府の意向を受けて「受け入れるべき」と主張して参加者を誘導した。その結果、「中国人労働者をオーストラリアは積極的に受け入れるべき」との報告書が出されたのだ。

同時に、黄向墨はロブ貿易大臣の選挙区の労働党支部や、ロブ個人の選挙ファンドに多額な献金を行った。

元外相が中国の下僕となり中国のめに働く

このようにして、一人の外国人商人が相手国の担当政治家を金の力で動かし、オーストラリア政府は中国との貿易協定の締結において、自国の国益ではなく、中国の国益を最大化してしまう異常事態になった。もはや豪州政府は、中国政府と中国商人によって乗っ取られたと言っても決して過言ではない。

中国政府と黄向墨の手のひらで転がされている政治家は、アンドリュー・ロブだけではない。労働党の元外相のボブ・カーもその一人。

2014年、黄向墨はシドニー工科大学に180万ドルを寄付し、「豪中関係研究所」を創立したが、黄の意向によって、その初代所長に任命されたのはこのボブ・カーだった。

以来、ボブ・カーは中国政府と黄向墨の下僕となったかの如く、渾身の力で中国の国益のために働いた。

研究所が創立された2014年5月は、前述の豪中自由貿易協定交渉が行われている最中だった。ロブ所長の研究所は金主、黄向墨の意向を受けて、研究報告をまとめて発表。報告書の内容は案の定、中国人労働者の受け入れを協定の一部にすべき、との提言が含まれていた。

そしてオーストラリアのマスコミ報道によると、豪州連邦議会で協定の審議が行われた時、豪中関係研究所の報告書はたびたび中国人労働者受け入れ積極論の権威ある論拠として引用された。中国人富豪に雇われているボブ元外相は、中国の国益に大きく貢献したわけである。

その後、ボブ元外相の親中姿勢はよりいっそう鮮明になっていった。彼はオーストラリア国内で中国のために働くだけでなく、中国共産党の公式メディアにも時々登場して、共産党の宣伝工作に寄与した。中共のメディアに「ご意見番」として顔を出しては「小平改革の劇的な成功」を賞賛したり、中国の「文明としての強さ」を賛美したりした。

対外的に強硬姿勢で有名な環球時報にまで登場して、中国のことを賞賛しながら、海外の中国批判にむきになって反発した。オーストラリアでは一国の外相まで務めた大物政治家が、中国に買収されて中国の国益のために働き、中国政府の飼い犬にまで成り下がっている有様である。

これはおそらく、豪中関係史においてだけでなく、世界の外交史上においても稀に見る大珍事であろう。このまま事態が推移していけば、オーストラリアという国はいずれ中国に完全に乗っ取られて、一属国に成り下がっていくのに違いない。

日本は他人事ではない

本書を読み終わって、ふと思いついた。豪州で進行したこのような恐ろしい事態は決して他人事ではなく、この日本でも同じようなことが起きているのではないか、と。

オーストラリアが中国にとって経済的にも地政学的にも乗っ取る価値のある国であると判断されたのならば、経済・技術大国であり、アメリカの同盟国である日本は、それ以上に中国にとって魅力的な乗っ取りの対象となっているのではないか。中国がオーストラリアでやった侵略を日本でやっていない理由はどこにもないのではないか、と。

そう考えてみれば、これまでは摩訶不思議に思っていた様々な現象について、その背後にある理由や意味がはっきりと見えてくる。

つまり、元首相や元外相、そして政権党の元幹事長などの日本政界の錚々たる大物たちが一貫して中国を擁護し、日本の国益を犠牲にしてまで「日中友好」に拘っていることの理由だ。

議員だけではない。日本の一部マスコミや「識者」、経済人が一貫して中国の肩を持ち、中国賛美論に徹している理由や、日本の大学が熱心に「孔子学院」を設立、中国人留学生を無闇に受け入れている理由もよく見えてくるではないか。

中国による日本の乗っ取り

著者のクライブ・ハミルトン氏は序文で、「中国の目に見えぬ侵略」を徹底的に調べようと決心したきっかけを書いている。

それは、2008年4月24日に首都キャンベラで北京五輪聖火リレーが開催された時、何万人もの中国人が現場に集まり、抗議するチベット人たちを威嚇した場面を著者は目撃し、それに恐怖を覚えたからだという。

これを読んで私が真っ先に思い出したのは、これと同じ恐ろしい場面が日本でもあったことだ。そう、2008年4月26日、同じ北京五輪の聖火リレーが長野市の中心部で催された時、チベット人の抗議者と日本人のチベット支援者を妨害するために、数千人の中国人が五星紅旗を振りかざして暴言を吐いて、暴力を振るったという大騒動だ。

あれから12年、この騒動(事件)のことはすでに忘れられているようだ。だが、この12年間で、中国による日本の乗っ取り、侵略はかなり進んできているのではないか。

日本で進んでいるはずの中国の「目に見えぬ侵略」に対し、われわれ日本国民は、もっと大きな危機感をもって真剣に考えるべきではないのか。そして、日本という国とわれわれの子孫のために、いますぐにでも反撃の狼煙を上げていくべきではないか。(初出:月刊『Hanada』2020年9月号)

第2弾『見えない手』が遂に発売

石平

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