<いまを生きる 長崎コロナ禍> 「我慢」の限界超え夢追う

 

 2020年は、新型コロナウイルス禍により、多くの人が「我慢」を強いられた年でもある。
 通信制「N高等学校」2年の平野伊吹さん(17)=諫早市=。大好きな囲碁で全国に挑む「最後の年」と決めていたが、県予選や本大会は中止になった。

 諫早高2年の時、「起立性調節障害」を発症。起床時に頭痛や目まいなどが激しくて学校に通えず、N高へ転校した。やがて病を克服し、3年連続の全国高総文祭出場を目指していた中での中止。不完全燃焼で高校囲碁を引退した。
 なじみの碁会所も8月から休止中で、練習はインターネット対局のみ。相手が見えないから「上達している感覚はない」。人と向かい合って囲碁を打てない状況は、平野さんにとって我慢の「限界」だった。
 今、「医師になる」という夢がある。大学受験は1年後。囲碁に注いだ情熱を勉強に振り向け、机に向かう。囲碁は3日に1回、勉強の合間にネットで一局打つだけだ。「今は夢に向かって頑張る時。大学生でまた囲碁の大会に出場したい。その頃にはコロナが収束しているといいな」

1年後の大学受験に向けて英会話に励む平野さん(左)=諫早市本町、IONA英会話諫早教室

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 我慢は夜の街でも続く。佐世保市中心部の繁華街。例年は忘年会シーズンでにぎわうスナックやバーも、客はまばらだ。4月に取材したラウンジのママ(42)を再び訪ねると、「1人も来ない日もよくあるよ」と寂しげに言った。
 感染拡大の可能性が高いとして、接待を伴う飲食店は敬遠され続けた。売り上げが例年の半分以下の月ばかり。スタッフを減らし、何とか営業を続けてきた。
 心の支えは客の温かい言葉。「落ち着いたら行くね」と連絡をしてくれる人。「店が残っているか心配だった」と数年ぶりに来てくれた人。「その人たちのためにも、店は残したい」。ママはそう言った。
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 影響は家庭にも及んだ。佐世保市内の女性(39)は9人の子を育てている。塗装会社に勤める夫の月収はコロナ禍以前よりも10万円以上減った。春先には子どもたちの臨時休校で食費や光熱費も膨らみ、暮らしを圧迫。限界を感じていた頃に、市内の子育て支援団体が行う弁当の無料配布活動と出合い、何とか日々を乗り切ってきた。
 だが、その後も、会社の経営不振で夫の収入は戻らず、貯金は底をついた。市に生活保護の受給を勧められたが、断った。「働きたくても働けない人がもらうべきものと思ったから」。夫婦げんかも増えた。子どもたちにあたり、申し訳なく思う時もあった。
 子育て支援団体は春先以降も毎月、手作りの弁当や寄付で集まった食品を提供してくれる。「疲れてない?」「何かあったら言ってね」。自分と同じ子育て中のメンバーからの言葉が何よりうれしい。「きつい時は弱いところを見せてもいいんだ」。そう思えるようになった。
 「欲しいものはないけれど、来年は家族みんなで遠出ができたらいいな」。ささやかな幸せがまた戻る日を願っている。
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 27日朝。五島市に暮らす平田耕一さん(80)、幸恵さん(73)夫妻は、段ボール3個を荷造りしていた。手作りのかんころ餅や干しシイタケ、地元産の米-。1個は東京に暮らす長男、2個は埼玉の長女と次男に送る。孫へのお年玉も忍ばせた。

子や孫に贈る手作りのかんころ餅やお年玉を段ボール箱に詰める平田さん夫妻=五島市内

 夫妻は4月の取材時、大型連休やお盆には子や孫と会えないと諦めていた。「また今度」と電話で交わした帰省の約束は、果たせないまま。息子2人は正月に帰ってくる予定だったが、全国での感染急拡大を受けて取りやめた。
 「来年の夏も帰って来られないかも…」と少し寂しそうに語る夫妻。それでも地域の役員として住民のために奔走したり、趣味のグラウンドゴルフに打ち込んだりと、慌ただしく、健康に年が暮れてゆく。孫とはLINEでつながっている。
 「とにかく新年も、みんなが元気でいてくれれば。それだけでいい」。2人はそう願いを込め、段ボール箱をそっと閉じた。

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