佐世保出身コンビ躍動 寝食ともに支え合い成長 ラグビー北陽台 CTB中濵とWTB田中勘

【2回戦、長崎北陽台ー明和県央】長年築き上げた信頼関係を力に、大舞台で躍動する中濵(左)と田中勘=花園ラグビー場

 3年間、寝食をともにしてきた絆が、互いの勇気になっていた。佐世保市出身のCTB中濵友宏とWTB田中勘太は、長崎北陽台の3年生10人の中で唯一の下宿組。支え合って成長し、主力として迎えた高校最後の冬、2人はチームの16強入りに大きく貢献した。この日、練習通りのサインプレーから、鮮やかなトライを決めた中濵は「勘太と一緒にスタメンで花園に立ててうれしい」と笑顔を見せた。
 2人は東相浦幼稚園のころからの幼なじみ。途中で田中勘が引っ越して、小学校は別々になったが、ラグビーが再会させてくれた。中濵が幼稚園の年長から所属する「ゆのきラグビースクール」へ、田中勘が小学2年で入校。中学部でも一緒に楕円(だえん)球を追い掛けた。
 高校はそろって青いジャージーを選択。「小さいころから憧れていた」(中濵)、「北陽台で活躍するゆのきの先輩たちみたいになりたい」(田中勘)。それぞれの思いを胸に親元を離れ、学校近くの同じ下宿に入った。
 全国上位を目指すチームのレベルは高かった。生活面も含めて、ついていくのに必死だった。でも、下宿に帰れば、不安や愚痴をこぼせる仲間がいる。「勘太はどんな相手にも強気なタックルで突き刺さって勢いづけてくれる」(中濵)。「友宏はいつも大事な場面でディフェンスを突破してくれて心強い」(田中勘)。時に言い合いもしながら、互いに励まし、刺激を受けて前へ-。迎えた最終学年の今年、2人はチームに欠かせない存在になっていた。
 そんな中、11月上旬の花園県予選準決勝で、田中勘が左肩を脱臼して戦線離脱。中濵は入浴時に頭を洗ってあげたり、移動時に2人分の荷物を持ったりした。田中勘が欠場した1週間後の決勝。中濵は「勘太の分まで頑張ろう」とチーム最初のトライを決めて花園切符獲得の立役者となった。
 田中勘が復帰して、今、目指してきた舞台に2人で立っている。卒業後は別の大学に進学予定で、同じチームで戦うのは今大会が最後だ。それぞれの役割を果たした2回戦の後、2人は同じ言葉を口にした。「一緒に少しでも多く試合がしたい」。1分、1秒でも長く、青いジャージーを着て。

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