【追う!マイ・カナガワ】富士山はもう見えないのか(上)横浜自慢の風景、今は昔?

みなとみらい21地区と富士山の〝競演〟を紹介する看板(右手前)=横浜市中区の大さん橋

 「大さん橋から以前はとてもきれいな富士山が見えましたが、市役所やホテルが建って見えなくなってしまい、とても残念です。お金を払えばランドマークタワーから景色は見えますが、誰でも平等に富士山を見られる特別な場所であってほしかった」。横浜市西区の女性から昨年12月、「追う! マイ・カナガワ」取材班にそんな声が寄せられた。新型コロナウイルス禍で客船入港が途絶えているとはいえ、大さん橋はハマの玄関口。2021年、正月の縁起物として、取材班は読者の富士山への思いに応えるべく現場へ向かった。

 年の瀬の横浜港大さん橋国際客船ターミナル(同市中区)。屋上ウッドデッキで散策や撮影を楽しむ人を横目に進むと、1枚の看板が目に入ってきた。

 「みなとみらいと富士山を同時に見ることのできる横浜らしいスポットです」。ただ、その場所からは高層ビル群に遮られて雄大な富士山の姿は見えなかった。

 「クルーズ船を降り立った外国のお客さまに、絵はがきのような横浜の街と富士山を実際に見てほしかった」。投稿者の女性は惜しむ。失われた景観はどこに行ったのだろう。視線の先には、昨年稼働した横浜市の新市庁舎(155メートル)がそびえ立っている。

◆広がる絶景 でも一般には…

 「31階のレセプションルームは西側にあり、ここなら見えるかと」。市の担当者に富士山が見えるか尋ねると最上階に案内された。ガラス張りの新市庁舎西側の窓の大半は遮熱のためドット柄。外を見晴らせる数少ないフロアが31階だ。

 レセプションルームに入ると想像以上の絶景が広がった。横浜の街並み、広い空、丹沢山地、そして浮かぶ富士山…。利用は市長らを交えた式典などに限られ、セキュリティーを理由に一般公開もしていない。

 代わりに開放するのが、3階の市民ラウンジだ。ランドマークタワーや観覧車などを一望でき、担当者は「港町・横浜で見てもらいたいのは、みなとみらいの眺望や夜景」と強調した。当然、富士山は見えない。開庁直後2、3カ月は「都庁のような展望室はないのか」との問い合わせもあったという。

 セキュリティーが理由なら仕方ないのだろうか。

 東京都は1991年から、高さ243メートルの第一本庁舎の45階を展望室として開放、富士山などの眺望を求めて年約200万人が訪れるという。手荷物検査や誘導員巡回で安全面も配慮している。県内でも、藤沢市が2018年から新市庁舎9階を展望デッキとして開放。富士山も望める。執務室には専用のICカードがないと入れないため、保安上の問題はないという。

 自治体により考え方が異なるようだ。

 隣接する「アパホテル&リゾート横浜ベイタワー」(135メートル)の眺望はどうか。アパグループによると、15階以上の約200室から富士山を望めるという。インターネット上には富士山の眺望を絶賛するレビューも見られた。

 市庁舎東側の高層マンション「ザ・タワー横浜北仲」の上層階に昨秋オープンした宿泊施設「オークウッドスイーツ横浜」のロビーがある46階(約150メートル)は一般開放されている。同宿泊施設の担当者によると、360度ガラス張りで富士山も望めるが、コロナ禍で密を避けるためにも積極的なPRはしていないという。

◆大きく見える時代があった

 横浜で富士山がもっと身近な時代はあったはずだ。取材班は本紙アーカイブ室で、印象的な1枚の写真を見つけた。横浜博覧会開幕直前の1988年末、大黒ふ頭から撮影されたもので、高くそびえる富士山と大観覧車が“背比べ”をしているかのようだ。

 写真を見た横浜生まれの女性(29)は「富士山がこんなに大きく見える時代があったの」と驚き、小学生らは「これがみなとみらい?」「戦前みたい」と不思議そう。近年の景観の変化のスピードを実感する。

 横浜みなと博物館の青木治館長(63)は「約30年で港の機能が変化し、必然的に富士山の見え方も変わった。ハンマーヘッドや赤レンガ倉庫など古くからの建造物を残す工夫をしているのも分かる。今も隙間から富士山が見えるとうれしく、全く見えなくなったら寂しい」と話す。失ってから、大切なものの大きさに気付くということか。

 取材班は大さん橋で富士山の写真を撮り続け、ツイッターで発信している桐田敏彦さん(46)にも出会った。横浜で甲冑(かっちゅう)販売を手掛ける経営者だ。

 富士山撮影を楽しむ多くの外国人旅行者と、大さん橋で触れ合ってきた。「海外の人にとっては一生に一度、横浜に来るか来ないか。最高の富士山を見せられるのがうれしかった」。数年前、超高層ビル群が建設されると知ったとき、ショックを受けたという。

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