いま、海外で話題のシティポップ♪次に来るのは八神純子「黄昏のBAY CITY」 1983年 11月21日 八神純子のシングル「黄昏のBAY CITY」がリリースされた日

ポプコン入賞を経て、八神純子メジャーデビュー

1月5日は、シンガーソングライター八神純子の誕生日ですので、今回は彼女の楽曲を取り上げますが、その前に彼女の経歴を簡単に振り返ってみましょう。

八神純子は1958年愛知県出身で、1974年のヤマハのポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)の入賞を経て、1978年の自身の誕生日にシングル「思い出は美しすぎて」でメジャーデビュー。そこから3作目となる「みずいろの雨」がその卓越した歌唱力とダイナミックな曲想が話題となりオリコン最高2位、累計約59万枚のヒット。これには大村雅朗による緻密かつ大胆な編曲の技も大いに貢献していることでしょう。

以降、「ポーラー・スター」「パープルタウン」「Mr.ブルー」のシングル3作がTOP10入り、アルバムでは2作の1位を含め7作がTOP10入りし、1980年代後半にアメリカに移住。その後は、日本での活動はたまにリリースする程度でしたが、2011年の東日本大震災以降、CD発売や全国ライヴツアーなどを積極的に行い、休んでいた分を取り戻すかのようにパワフルな歌声を聴かせています。

最高のシティポップ「黄昏のBAY CITY」

セールス全盛期のディスコメイト時代(1978年~1983年)には、他にもシルキーボイスが際立っているボサノバ調の「思い出は美しすぎて」や、夏のまどろみを心地よくさせるミディアム・バラードの「サマーインサマー」なども5か月以上にわたってロングヒットするほど魅力的なのですが、ここではそのレコード会社所属時代の最後に発売されたシングル「黄昏のBAY CITY」に注目してみます。

「黄昏のBAY CITY」は、オリコン最高位も75位と当時はさほどヒットしなかったので、知らない人も多いかもしれませんが、まずは聴いてみてください。渚を感じさせる爽快なイントロ、ミディアム調のポップス、程よく抑えつつも洗練されたボーカル…

「これって、最高のシティポップじゃん!」

…と、初めて聴く人は驚くのではないでしょうか!?

シティポップは草創期、アイドル勢と演歌が優勢だった1983年

本作が発売された1983年は、大川栄策「さざんかの宿」、細川たかし「矢切の渡し」、佳山明生「氷雨」が年間ランキングのTOP5に入るなど、演歌が優勢であり、普段のヒットチャートは松田聖子、中森明菜、近藤真彦、田原俊彦の4強をはじめシブがき隊、河合奈保子、小泉今日子、柏原芳恵といったアイドル勢が常にベストテン番組の半数を占めるような状況でした。

また、シティポップの代表格である杉山清貴&オメガトライブの「サマー・サスピション」が4月発売から8月の終わりにようやくオリコンTOP10入りするほどで、まだまだ市民権を得てはおらず、パワフルなナンバーや優しいバラードで大きなヒット実績のあった八神純子が、新機軸となるシティポップ路線で更なるヒットを飛ばすのは困難な状況だったのかもしれません。

2017年は竹内まりや、2020年は松原みき、2021年は八神純子?

しかし近年、2017年ごろから竹内まりや「プラスティック・ラブ」の海外でのYouTube再生回数が急増したり、2020年には松原みき「真夜中のドア」が世界各国のストリーミングチャートで上位となったり、この系統のサウンドやボーカルが世界的に求められている “ジャパニーズ・シティポップ” であることは、誰が聴いても明らかです。

それでいて、終盤で半音上がってからの「♪ ああ~ あなたを追って~」とパワフルに歌う部分はまさに八神純子ポップスの真骨頂! つまり世界的に求められるサウンドでありながら、彼女の素晴らしい個性が堪能できる楽曲でもあるのです。

そんなことから私は、2021年「黄昏のBAY CITY」の再ヒットに大いに期待しています!

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Song Data
■ 黄昏のBAY CITY / 八神純子
■ 作詞:八神純子
■ 作曲:八神純子
■ 編曲:瀬尾一三
■ リリース日:1983年11月21日
■ オリコン最高位:75位
■ 推定売上枚数:2.0万枚
■ 100位内登場週数:7週

カタリベ: 臼井孝

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