【新春対談 DeNA・三浦大輔監督&蝶野正洋=後編】「理不尽な人は?」「いっぱいいました」

ハマスタを背景にキメた蝶野&三浦監督。絵になるタッグだ

ついに監督に就任した「ハマの番長」があの〝黒いカリスマ〟と22年ぶりの電撃合体を果たした。2021年からDeNAを率いる三浦大輔新監督(47)と、プロレスラー・蝶野正洋(57)の新春ビッグ対談だ。実はこのプラン、三浦監督自らの〝緊急提案〟で実現したのだが、主導権を蝶野に握られると数々の「黒い勧誘」を迫られタジタジに…。大いに盛り上がった対談の後編をどうぞ!

【後編】

蝶野 今までで一番怖い監督は誰だったの?

三浦 怖かった監督ですか…怖いって感じたことはなかったですけど、18歳でこっちに出てきたときは監督もコーチもみんな怖いイメージでした。

蝶野 理不尽な人はいなかったの?

三浦 いっぱいいました(笑い)。理不尽っていうか…監督、コーチ、まあ、先輩もいましたけど。昔は「なんでこんな練習してんのかな」っていうのも…。

蝶野 それは今振り返っても、やっぱり理不尽だと、意味がないと。

三浦 いや…あの(お互いに)目的が違ったのかなと。でも、精神面は鍛えられましたね。理不尽なことでも負けたくないっていう。だからこそ自分は理不尽なことは言いたくないですね。

蝶野 そこをどう変えるかだよねぇ…(ニヤリ)。変えるのは東スポだと思うよ。

――蝶野さんはこれまで大阪、九州スポーツの客員編集長だったんですが、2021年からは東京スポーツグループ全体の「強化部長」に就任していただくことに

蝶野 最近、東スポはおとなしいからな。やっぱり捏造、偽造が東スポの専売特許なんだから、そういうのをもう一回、取り戻さないと。

三浦 そうですよね。最近カッパとかUFOとか見なくなりましたしね。

―― …。ちなみに理不尽といえば年末恒例の蝶野さんのビンタですが

蝶野 実はアレ、俺は納得してやってないんだよ。もう14回くらい出てるんだけど、ビンタは基本的に一番嫌いなこと。でも、あれで年末、皆さんに楽しんでもらっているからと思って割り切ってやってる。だから、三浦監督も、理不尽だな、嫌だなと思っても、それが話題になって、宣伝効果になるんであればさ、理不尽なこともやるってことだよ。だからキャンプ中、1人か2人、ビンタすりゃあいい。

三浦 いやいやいや…(苦笑)。

蝶野 あ、選手にやると問題になるから、コーチにやればいいんだな。

三浦 ま、まあ…。でも、注目されないと、見ている人に楽しんでもらわないと面白くないんでね。「横浜DeNAベイスターズ、面白いな」と思ってもらえるようにしていかないと、とは思いますよね。

――改めて2021年の抱負を

三浦 蝶野さんとこうしてお会いするの久しぶりですからね。こういうゲンのいい対談をさせてもらって、楽しかったですし、何としてでも優勝しないといけないと思います。

蝶野 オーダー決めるときもさ、今までの監督みたいなやり方じゃつまらないから、タロットカードとか「こっくりさん」とか、ああいうので決めないとさ。

三浦 そうですよね、同じようには…って、そうじゃないですけど(爆笑)。迷ったらということで…。あと、シーズン中、苦しいときは来ていただきたいです。選手たちにも気合入れていただいて。プロレス好きな選手もいっぱいいてるんで、始球式とかもいいですね。

蝶野 始球式か…でも俺、もう届かないんだよな(苦笑)。あ、始球式に監督出たら面白くない? 監督が130キロくらいの球投げて「お前ら気合入れてけ!」って今までないパターンじゃない?

三浦 …み、見たことはないですね。

蝶野 で、俺がバッターでもいいしな。監督が始球式やるのいいよ、な?
三浦 いやあ…。

☆みうら・だいすけ 1973年12月25日、奈良県生まれ。右投げ右打ち。91年、高田商からドラフト6位で当時の大洋ホエールズに入団。97年、自身初の2桁勝利(10勝3敗)を機に背番号「46」から「18」に変更。翌年に鈴木尚典外野手とともに蝶野正洋率いる「nWoジャパン」入り。自己最多タイの12勝(7敗)を挙げ、リーグ優勝、日本一に貢献。以降「ハマのエース」として長きにわたりチームをけん引する。2016年には投手コーチ兼任となり、同年に現役引退。通算成績172勝184敗、防御率3.60。19年から一軍投手コーチに復帰し二軍監督を経て、21年から背番号「81」を背負い、横浜DeNAベイスターズ監督に就任した。

☆ちょうの・まさひろ
1963年9月17日、米国・ワシントン州シアトル生まれ。186センチ、108キロ。東京で育ち、84年4月に新日本プロレス入門。同年10月5日の越谷大会での武藤敬司戦でデビュー。欧州武者修行から帰国した87年に武藤、橋本真也と「闘魂三銃士」を結成して注目を集める。鉄人ルー・テーズ直伝のSTFを極め、91年の第1回G1クライマックスを制覇。翌年も連覇し、一気に新日マットの頂点に立つ。96年にはハルク・ホーガン率いるnWoに加入。「nWoジャパン」を結成し、マット界の枠を越えた一大ムーブメントを起こし翌97年に本紙制定プロレス大賞MVPを受賞する。2010年に新日プロを退社してフリーに。主なタイトル歴はNWAヘビー級王座、IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座など。

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