田上は昨年4月に投手に挑戦、公式戦登板なしでドラフト指名された
ソフトバンクのドラフト5位ルーキー田上奏大投手が6日、本拠地PayPayドーム内で入団会見を行った。履正社高で新型コロナウイルスの感染者が出たことで、昨年12月10日に行われた新入団会見を欠席してた田上。この日改めて1人で入団会見に臨んだ。
履正社高時代は外野手だった田上だが、ソフトバンクからは「投手」での指名となった。小学校、中学校時代は投手だったものの、高校では公式戦登板なし。それどころか投手を再び始めたのは昨年4月で、わずか半年ほどでプロから指名を受けたのだから驚きでしかない。
驚愕の「投手指名」は新型コロナ禍がキッカケだった。投手としての練習を始めたのは去年の4月頃。新型コロナウイルスの感染拡大で自粛期間となり、センバツは中止に。さらに高校での練習もできなくなっていた時期だという。
「甲子園が無くなって打者でアピールする場がなくなったので、高校でのプロ入りは無理かなと思った。おじいちゃんからは『ピッチャーをやれ』と言われていたんです。自粛期間になって『ピッチャーの練習をしたらいいんちゃうか』と言われて。家の裏にマウンドも作ってくれていてやる気満々だったんで、やらなきゃいけなくなってやり始めた感じです」
昨年4月に投手に挑戦、いきなり147キロをマークする
大学に進んで投手に再転向するつもりでいたという田上。新型コロナ禍で甲子園がなくなり、高校での練習もなくなったタイミングで、祖父が発したこの一言が、投手に挑戦するキッカケになった。
いざ再び投手をはじめてみると、そのポテンシャルの高さを早速、発揮したという。高校の練習で初めて投げると、いきなり147キロをマーク。チームメート相手の実戦練習でマウンドに上がると、DeNAに4位指名された小深田大地内野手らを相手にノーヒットに抑えたという。
その後は練習試合などで登板し、最速151キロをマークした。この練習試合での投球などを見初めたソフトバンクが指名に踏み切ったのだ。
「母子家庭でずっと育ててきてもらっていたので、お母さんをラクさせて上げたかった。チャンスがあるなら賭けてみようかな、とプロ入りを決めました」。ソフトバンクの元捕手である田上秀則氏を叔父に持つ田上。会見では女手一つで育ててくれた母への恩返しを誓っていた。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)