『絶滅危惧個人商店』井上理津子著 手から手に、プロの技は命を吹き込む

 書名で一目瞭然、大型店や通販に押され、昨今はコロナでも苦境に立つ街の個人商店を描いた一冊である。商店街が寂しくなるのは全国どこでも見られる光景だが、読み始めると、「絶滅」どころかどの店もめっぽう元気がいい。店主の矜持と背負った歳月の厚みが面白く、読後感は爽快だ。

 登場するのは東京都内と横浜市内で青果、鮮魚、豆腐に自転車、時計や古書、おもちゃ、駄菓子などを扱う19軒。「〇〇屋さん」と親しみを込めて呼ばれる店をフリーライターの著者が訪ね歩いて聞き取った。多くは何代かにわたる歴史があり、創業当時の古い東京の様子や戦時中の苦労話、高度経済成長やバブル期に高い商品が飛ぶように売れた話もある。それらは私たちの暮らしの一端として記録されるべき証言だが、読みどころは今の商売を語る生き生きとした店主と家族の姿だろう。

 大田区のある青果店では、50代の長男が午後11時に市場に行き、産地から入荷したばかりのいちごを仕入れ、いったん店に戻って午前4時半ごろに市場で他の青果を仕入れ、店は朝8時から夜8時まで営業し、日付が変わる前の11時には市場に出掛ける。合間に仮眠するだけで、いちごの季節はその繰り返し。「命削って働いてるよ」「でも、面白いんだ」と言う。

 港区芝のビルに囲まれた鮮魚店の女将は80代。豊洲市場まで早朝の電車とバスをダッシュで乗り継ぎ、何軒も回っててきぱきと魚を選ぶ。同行して「大変」と口にした著者に女将は「あらそう? 仕事だからね」とあっさり返す。店先では「ブリとか鯛のあら炊きなんか、いいんじゃない? お酒とお醤油を入れて」と会話を弾ませる。

 ほかにも客の細かい希望に即座に応じる文具店、足の特徴をすぐにつかんで合わせる靴店、自転車、時計の修理が好きで好きで仕方ない店主たちの話が続々と出てくる。個人商店で客が払う代金は確かに小さい。だがこれらのプロの技は、金額の多寡ではなく、手から手に渡る感触の確かさのために磨かれていると感じた。「商いは飽きない」「働くは、はた(傍、または側か)を楽にさせる」と昔からある言葉に現在も命を吹き込む人たちがいる。

(筑摩書房 1500円+税)=杉本新

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