僕らの世代にとってデヴィッド・ボウイは最初からスーパースターだった 1983年 4月14日 デヴィッド・ボウイのアルバム「レッツ・ダンス」が英国でリリースされた日

デヴィッド・ボウイに潜んでいた “理解を超えた何か”

デヴィッド・ボウイが亡くなった日のことはよく覚えている。僕は家にいて、確か午後3時30分頃、インターネットのニュースで訃報を知ったのだ。そして、思いのほか動揺し、茫然としながら、心にぽっかりと空いた穴を埋めるべくボウイのレコードを聴き続けた。

僕は遅れて来たデヴィッド・ボウイのファンで、アルバムを遡って聴くようになったのは90年代に入ってからだった。それからは、熱心なファンとは言えないまでも、付かず離れずの距離を保ってきた。ボウイの音楽には、いつも僕の理解を超えた何かが潜んでいた。それを言葉にするのは難しい。ただ、そのギャップが魅力となり、あるいは壁となることで、僕はボウイの音楽を聴き続けたのだと思う。

「スケアリー・モンスターズ」で幕を開けた80年代のデヴィッド・ボウイ

ボウイの80年代は傑作『スケアリー・モンスターズ』で幕を開けた。前作『ロジャー(間借人)』までの実験的な作風から、華やかに表舞台へ飛び出したかのような鮮烈な印象をもったアルバムで、ボウイがまた新しい時代の扉を開こうとしていると歓喜したファンも多かったと想像する。

その次作となった『レッツ・ダンス』は、『スケアリー・モンスターズ』で表現した世界観をさらに押し広げたものだった。オープニングを飾る「モダン・ラヴ」の疾走感はその表れだろう。反面、サウンドは非常に明快になり、それまでのボウイを覆っていた神秘的なヴェールや狂気は感じられない。そして、このアルバムは大ヒットを記録する。

音楽雑誌の表紙を飾っていたスーパースター

僕がデヴィッド・ボウイを知ったのも、ちょうどこの頃だった。まだ中学生だったが、友達はみんなボウイの名前を知っていたし、デュラン・デュランやカルチャー・クラブのように音楽雑誌の表紙を飾る存在だった。つまり、僕らの世代にとって、ボウイはカルトヒーローなどではなく、最初からスーパースターだったことになる。

70年代からボウイを聴いてきたファンと認識が異なるのは、この辺りかもしれない。デヴィッド・ボウイの偉大なキャリアを、『レッツ・ダンス』の前で区切る人達がいることは知っている。しかし、僕が80年代からボウイを知ったせいか、そういう話は今ひとつピンとこない。70年代の偉大な諸作を聴いた後も、80年代のボウイを違和感なく聴くことができるし、それほど退屈だとも思わないのだ。

確かに音楽的に充実していた時期とは言えないが、それは長いキャリアのほんの一部に過ぎない。ボウイは90年代に入って再び助走を開始すると、徐々にスピードを上げ、2000年代以降は優れた作品を多数リリース。そして、僕はその頃のボウイに一番人間的な魅力を感じるのだ。

永遠の夜空の星となった “地球に落ちて来た男”

2016年1月10日、地球に落ちて来た男は永遠に夜空の星となった。新作『★(ブラックスター)』がリリースされたのは、そのわずか2日前のことだった。まるで自分の死さえも表現のひとつにしたかのような幕引きに、僕はショックを受け、混乱し、その見事さゆえに彼の死を胸に深く刻むこととなった。

あのときボウイは全てをわかってやっていたのだろうか? 今でも折りに触れ、そんなことを考えてしまう――。

偉大な表現者の魂に祝福あれ。

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※2019年1月8日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 宮井章裕

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