お金で解決できることは確かに大きいという事実、離婚して人生を立て直した42歳女性

「人生の困難の9割はお金で解決できる」と言いきった人がいます。確かにそういう側面はあるかもしれません。苦しめられた親からの遺産で、自らの尊厳を取り戻し、人生を立て直そうとしている女性がいます。


息苦しい家庭で育ち、夫も厳格な人で

「どうしてあの人と結婚してしまったのか。当時は夫が息苦しい家庭から救ってくれるように思えたんですよね」

サトエさん(42歳)は、苦笑いをしながらそう言います。彼女は教師の両親のもと、ひとりっ子として育ちました。

「親はとにかく世間体を気にする人たちでした。特に母は教師として、やさしくて子ども思いと評判はよかったみたいですが、私に対しては『親のメンツをつぶすようなことはしないで』と常に言っていました。父方の祖母と同居していましたが、母と祖母は仲が悪かった。両親も決して夫婦として良好な関係ではなかった。私は誰にも心を開けないまま大きくなったのだと思います」

大学に進学して教師を目指しましたが、あるときふと「教師になりたいわけではない」と自分の本心に気づき、民間企業に就職しました。その時点で親から「あなたには絶望したわ」と言われました。それからは同じ家に住みながら、家族としてではなく同居しているだけという生活になりました。親とはほとんど会話がなかったのです。

「親は私をあきらめたんだとわかって、逆に少し気が楽になりました。その分、寂しかったけど」

そんなとき、会社の先輩とつきあうようになったのです。彼は4歳年上でした。

「彼には家の状況は言えませんでした。親に結婚したいと言ったら、あらそう、と。結局、結婚式はせずパーティだけ。父がちらっと顔を出しましたが、母は来ませんでした」

サトエさん自身も気持ちが晴れませんでした。

「当時から自分の気持ちに気づいていたんです。親から逃れるために結婚したいだけだと。だったらひとり暮らしをすればよかったのに、形だけでも肥後されていないと落ち着けなかったのは私の気持ちの弱さだと思います」

27歳で結婚、1年後には長女が、その2年後には長男が生まれました。彼女は専業主婦として家庭におさまりました。

夫と義母のモラハラに耐えて

子どもたちが5歳と3歳のとき、夫がひとり暮らしの義母を引き取ると勝手に決めてしまいました。

「何の相談もなく、ある日突然、義母との生活が始まりました。子育てに家事にとすべてに口を出されておかしくなりそうでしたね。夫に言っても、『うまくやってくれよ』『仕事以外で煩わされたくない』と逃げるだけ」

義母は当時60代半ば。まだまだ元気で、家の中を牛耳っていきます。電気代が高い、もっと節約しろと言いながら、自分はあちこち電気をつけっぱなし。

「私は主婦としても母としても、自分を確立できないまま、夫や義母に翻弄されていました。夫は『おまえは嫁なんだから、オレの母親の言うことに従っていればいいんだよ』と。このままじゃいけない、義母がいるなら私は仕事をしようと思ったのが34歳のときでした」

夫や義母の反対を押し切ってパートで仕事をするようになったサトエさんは、改めて働くこととは、母親とは、人としてどう生きたらいいのかなどを考え直すことになりました。

「女性の多い職場だったんですが、シングルマザーでがんばっている人、仕事を掛け持ちしている人などがたくさんいました。中には子どものころに両親が離婚して苦労しながら定時制高校に通いながら働いている人もいて。私は生きることをないがしろにしてきたと痛感したんです」

38歳のとき父が、そして40歳のときに母が亡くなりました。

「母のときは最後に少しだけ病院に通って話をすることができました。最後まで『あなたをうまく育てられなかったことは後悔している』と言っていましたが、私はそんな母の言葉も受け流せた。こういう母にはなるまいと再確認できましたしね」

サトエさんにとって、子どもたちは宝もの。自分と違って自由に人生を歩んでいってほしいと願っていました。そのためにも彼女はお金を貯めたかったのです。自分にお金があれば、夫や義母が反対しても、子どもに好きな道を歩ませてやれるかもしれないから。

そしてまったく期待していなかったところへ、親の遺産が入ると知らされたのです。相続税を払っても億というお金が入ることになりました。

お金があるからこそできた選択

「離婚しよう。そう思いました。中学生と小学校高学年だった子どもたちに、この家を出ていかないかと尋ねると、ふたりともうれしそうに頷いたんです。ちょうどパート先で正社員にならないかと誘われていたのでそれに乗っかり、賃貸マンションを契約して、一気に家出を敢行しました」

離婚届にサインしてテーブルの上に置いておきましたが、夫が納得するはずもありません。調停も遅々として進みませんでしたが、義母がしびれを切らして「もう別れなさい」と言ったことで離婚が成立したのが1年前です。

「あんなに苦しめられた親からの遺産で、私はようやく自由を得ることができた。親に感謝するしかないんでしょうね。私がどうしても離婚したかったということで、夫からは養育費だけもらっています。別居したばかりのころ、言いたいことは言う、3人で話し合って仲良くやっていくことを約束してと子どもたちに言ったら、ふたりとも急に伸び伸びして表情まで変わったんです。今までどれだけこの子たちが抑圧されてきたんだろうと申し訳なく思いました」

今は本当に幸せとサトエさんは明るい笑顔を見せます。遺産がなかったら、この笑顔もなかったのでしょう。お金で解決できることは確かに大きい。せつない気もしますが、それが事実なのかもしれません。

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