プロ入り後に球速10キロ減… 元中日右腕「想像と真逆の野球人生」でも未練なき訳

昨年限りで現役を引退した元中日投手の阿知羅拓馬氏【写真:津高良和】

2020年限りで中日を戦力外となった阿知羅拓馬氏

後ろ髪を引かれることはない。昨年限りで現役を引退した元中日投手の阿知羅拓馬氏は、晴れやかな気持ちで2021年を迎えた。7年間のプロ人生。苦しい時期の方が多かったが「悔いは全くない」と言う。現役続行にこだわってもおかしくない28歳がすんなりとユニホームを脱いだ決断は、少し意外とも思える。

どのルーキーとも同じ思いで、プロの門をくぐった。2013年のドラフト3位で、JR東日本から入団。「もちろん、1軍でバリバリ投げるイメージしか持っていませんでした。でも、現実は甘くなかった」。1年目の14年は1軍登板がなく、2軍戦でも10試合で防御率10.64。15年も1軍デビューは遠かった。フォームは崩れ、気がつけばアマチュア時代から球速は10キロ落ちていた。

「プロに入って周囲に圧倒され、できないところまでやろうとして自分を崩しちゃう。その壁を自分は越えられなかったのかなと思います」

16年はリリーフとして1軍13試合に登板して防御率2.51と兆しを見せたが、18年は故障の影響もあって1軍マウンドから遠ざかった。19年は先発として7試合に登板して念願のプロ初勝利も挙げたものの、20年は再び1軍登板ゼロ。「いい時は手がつけれないほどだけど、悪い時はストライクも入らなくなる。調子の波が激しかった」。その波に乗れないまま、昨年11月に戦力外通告を受けた。

中日でもがき続けた日々「しんどい時でも手を抜いたことはなかった」

「思い描いていたものとは、真逆の野球人生でしたね」

ただ、その声色に悲壮感はない。結果だけ見れば通算24試合登板、1勝4敗、防御率4.84だが、阿知羅氏自身はプロ7年間の過程を見る。「当たり前のことですが、しんどい時でも一日一日の練習や試合で手を抜いたことはなかった。だから全く悔いはなかったんです」。最後までやり切ったと思えた分、潔く現役を退くことができた。

裏表のない快活な人柄で、誰からも好かれた190センチの大型右腕。たとえ試合でメッタ打ちにあった日でも足を止め、取材に丁寧に答えた。年末年始に選手寮が閉まると、帰省せずに名古屋市内のビジネスホテルに泊まり、ナゴヤ球場に通ったことも。その姿には、「ひたむき」という言葉がよく似合った。

ボロボロになるまで現役でいようとするのも、自ら区切りをつけるのも、それぞれの野球人生。「一応7年やったので、次の人生に生かせたらなと思います」。柔道整復師の資格を取得すべく、春からは学生に。中日でもがき続けた日々は、きっと次への糧になってくれる。

【画像】阿知羅氏が投稿した“中日の現役引退”3ショット

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(小西亮 / Ryo Konishi)

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