神奈川・大磯の左義長、400年伝統の火絶やさず 今年は小規模開催

関係者のみで集まり、正月飾りを燃やした左義長=大磯北浜海岸

 国の重要無形民俗文化財にも指定されている大磯左義長が新型コロナウイルス感染症の影響で今年は中止となった。疫病退散を祈って始まり、戦時下を除けば約400年間途絶えることのなかった伝統の火を消すまいと、地域の関係者のみが10日、大磯北浜海岸(大磯町大磯)で小規模な火祭りを行った。「コロナを退治して来年こそは盛大に開催したい」。近年は正月の伝統も廃れていく中で伝統継承の願いを込めた。

 冷たい海風が吹きすさび、閑散とした北浜海岸。竹で囲われ、しめ縄やダルマなど役割を果たした正月飾りが積み上げられていた。積まれた正月飾りは「サイト」と呼ばれ、例年は8メートルの高さに9基が組まれるものの、今年は2メートルほどサイト1基のみ。左義長を執り行う海岸周辺9地区を中心に集められた。

 午後2時、わらに点火され、一気に燃え上がる火を地域住民約50人が見守った。「心がこもっている正月飾り。コロナ禍だからといってそのまま処分するわけにもいかない」と大磯左義長保存会の芦川博昭会長は静かにつぶやいた。

 左義長は一般的に「どんど焼き」とも呼ばれ、正月飾りを燃やして団子などを焼き、一年の家内安全や無病息災を祈る火祭り。大磯左義長の起源については明確な文献はないものの、地元住民らによると江戸時代初期に疫病が流行したことから始まったと伝えられている。

 大磯の左義長は、師走に子どもたちが家々の玄関先に石をたたきつけて厄を払う「一番息子」や、ふんどし姿の若者が燃えるサイトの前に集まり、海岸で綱引きをする「ヤンナゴッコ」といった一連の行事も残る。左義長の起源などについて調べている地元住民の福田良昭さん(61)は「他の地域が『どんど焼き』として簡素化する中で大磯だけに残る貴重な伝統」と強調する。

 1997年に国の文化財指定を受け、毎年多くの観光客が足を運ぶ。しかし、近年は正月飾りを飾る家も減るなどし、地域の伝統は岐路に立つ。そこにコロナ禍が追い打ちをかけた。

 異例の新年を迎え、芦川会長は「一度中止にしたら復活するときに何倍ものエネルギーが必要になる。地域のつながりを守り続けたかった」と説明する。福田さんも「廃れていく日本の伝統をつないでいきたい。いずれ国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録できたら」と夢を思い描いている。

◆感染拡大の影 各地で

 新年の伝統行事の中止は県内各地に広がっている。三浦市の三崎で毎年1月15日に行われる伝統芸能「チャッキラコ」も今年は実施されない。約300年前から伝わる行事だが、天候不順を除く開催中止は初めてだ。

 着飾った少女たちが小正月に海南神社などで愛らしい舞を披露するチャッキラコ。2009年には県内で唯一、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。

 「ちゃっきらこ保存会」の木村信英会長(72)によると、昨年はコロナ禍で団体練習ができず、本番に向けて個別に稽古してきた。しかし、メインの海南神社奉納では「大勢の観光客が詰め掛け、密になる恐れがある」(木村会長)と判断。新型コロナの感染者数が落ち着いていた昨年10月に中止を決めた。木村会長は「チャッキラコは地域の誇り。中止は残念だが、来年は必ず奉納できるようにしたい」と話す。

 鎌倉では新年の豊漁と海の安全を祈願して11日に材木座海岸で行われる予定だった神事「潮神楽」が中止に。江戸時代中期の不漁の際、大漁を願ったことが始まりとされる神事を引き継いできた五所神社(鎌倉市材木座)によると、「正式な記録は残っていないが、100年ほどは続いてきた」という。同神社管理人の土屋洋行さんは「来年は絶対にやりたい」と話した。

 今月6日に相模原市中央区の田名八幡宮で予定されていた新春恒例神事「的祭(まとまち)」も中止された。一年の豊凶を占う伝統行事で市の無形民俗文化財に指定されている。

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