2016年ETRC、“巨大なクルマ”に魅了された初めての本格トラックレース観戦【サム・コリンズの忘れられない1戦】

 スーパーGTを戦うJAF-GT車両見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。

 今回は2016年にオーストリア・レッドブルリンクで開催されたヨーロピアン・トラック・レーシング・チャンピオンシップ(ETRC)。ETRCのプロフェッショナルなレースにがっつり魅了された一戦に思いを馳せます。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 それは非常に変わったモーターレース経験の始まりだった。私はパリの中心部、セーヌ川のほとりの打ち捨てられた元売春宿で、たくさんのトラックドライバーたちとビールやシャンパンを飲んでいた。非現実的な1日の、非現実的な終わりだ。ひとりのドイツ人女性が私のところにやって来てこう言った。

「オーストリアに来なさいよ。絶対に気にいるわ」

 少し時間をさかのぼるが、その日の昼間に私はフランス自動車クラブの図書室で、トラックレースについてと、FIAがいかにヨーロッパ・トラック・レーシング・チャンピオンシップ(ETRC)の知名度を上げようとしているかについて説明を受けた。夜にはパーティが開かれ、それが前述の珍しい場所で開催されたというわけだ。

 私はオーストリアへの招待を受け入れた。招待した女性はチャンピオンシップの主催者だった。最初のラウンドは数週間後のレッドブルリンクで行われるという。私はシュピールベルク地方が好きだ。運転をしたくなかったので、レンタカーを借りなくても何とかなるサーキットのひとつという意味でも最適だ。

レッドブル・リンクがあるのはオーストリア シュピールベルグ地方

 ウィーンからサーキット近くのクニッテルフェルト駅までは有名なユネスコ世界遺産のゼメリング鉄道に乗っていく。電車で山を登り、壮観な景色を見られる旅が終わると、ETRCの主催者と同じようにコースから数kmのところにある小さなホテルにチェックインするように言われていた。

 ホテルは伝統的な感じの良いホテルに見えた。だが私がチェックインしようとすると、フロントの男性はたどたどしい英語で「あなたの部屋は午後10時ごろまで騒音がある」と説明した。彼の言っていることがよく分からなかったが、自分の部屋に着くとその意味が分かった。私の部屋のドアの脇には、大柄で少々酔っ払ったオーストリア人男性が銃を手にして座り込んでいたのだ!

 私の部屋は、射撃場の上に位置しており、地元の人々が大量の銃弾を撃っていた。そこはまさに私のベッドが置いてあるすぐ下にあるのだ。さすがの私もホテルのバーへ引き下がることにした。

 バーではサーキットのマネージャーと話をした。彼は、コースには興味深い拡張計画があると私に話した。A1リンクと、後にレッドブルリンクとして再オープンしたこのコースは、両方ともターン1に隣接する小さな丘の後ろを通るように迂回しているという。

 このエステルライヒリンクの古い西側のセクションは、何年もの間放置されていた。しかし私がオーストリアに向かう前に見た写真では、放置されていたセクションは大規模な改修が加えられており、そのためにサーキットは6kmに延長されていた。

 サーキットマネージャーは「改修は行われたのだが、新セクションを実際にオープンすることは、地元の強い反対があるために難しい」と説明した。F1はおそらく延長したコースを使わないだろうが、世界耐久選手権にとっては良いことだ。再オープンの計画が承認されなければ延長部分は使用できないことになる。当時もまだ許可は下りていないようだった。

 そのうちにトラックレースの関係者たちがバーで私たちに加わった。その後ビールを何杯か飲んでから私は寝ることにした。私は自然と早起きができるほうではないのだが、朝6時、オーストリア軍のマーチングバンドが勇ましい演奏を始めた。ビールを大量に飲んだ後、4時間しか眠れていない私には10分おきに繰り返される演奏はまるで地獄の目覚し時計のようだった。

2016年にオーストリアのレッドブル・リンクで開催されたヨーロピアン・トラック・レーシング・チャンピオンシップ(ETRC)

︎命短し、巨大なクルマの空力開発

 トラックレースは一度だけ見たことがあったが、ブランズハッチで行われたレースはお世辞にもレベルが高いとは言えない国内イベントで、私はあまり楽しめなかった。一方で、ETRCのプロフェッショナルなパドックには驚かされた。

 トラック自体はガレージに入れないほど大きいため、パドックの巨大な日除けの下に並んでいた。多くの点では通常のレーシングパドックと同じだったが、違うのはすべてが単に巨大であるということだ。

 私が予想していたような汚れた自作のマシンではなく、そこにはしっかりと仕上げられ、高度に開発がなされたレーシングマシンがあった。そこで私は“トラックレーシング界のエイドリアン・ニューウェイ”というあだ名をつけられたステファン・ホーネンスという男性に紹介された。

 ホーネンスは私に、この奇妙な形式のモーターレースのルールについて説明してくれた。ホーネンスが働くタンクプール24チームのトラックをドライブするのは当時の王者、ハンガリー人ドライバーであるノルベルト・キスだった。彼らはエンジンパワーが強力なため、トラックがツーリングカーのように加速するが、トップスピードは時速160kmに制限されていることを説明してくれた。

トラックはガレージに入れないため、巨大な日除けの下に並んでいた

 実際に正確なデータを見ると、トラックは時速30kmから160kmで走行することを示していた。ポルシェ911 GT3の市販車と同じペースだ。トップスピードが制限されているのは、それ以上速く走るとほとんどのコースでバリアに衝突した際、トラックを止めることができないからだという。

 私が一番混乱したのは、キスがレーシングトラックのことを“クルマ”と呼ぶことだった。「トラックをドライブするのはカートをドライブするようなものだ」と、キスは言ってのけたのだ。

 彼らに教えてもらったいくつかの数字は、まるで他の惑星のもののようだった。最低重量は5,300kgで、最大出力は1,500bhp。すべてのチームは排気量約13,000ccのディーゼルエンジンを使用しており、3,000rpmで5,500Nmのトルクを生み出していた。

 ETRCに参戦しているほとんどのトラックは、ヨーロッパで見られる典型的なレイアウトで、無骨なフロントキャブがシャシーの前部に搭載され、大体がフロントホイールよりも前にある。エンジンとトランスミッションは後部の2本の巨大なスチールのシャシーレールの間にあった。リヤホイールは6本あり、1本のアクスルに装着されて走行する。

 レイアウトのなかで例外だったのは、“キャブ-リヤ”と呼ばれるあまり一般的ではない北米式のトラックだ。エンジンがトラックの前部にあり、キャブは後方にあるトラックだが、このレイアウトを採用しているのは1チームだけだった。

 さらにこれほど巨大なクルマについて衝撃だったのは、空力開発も行われているということだった。ダウンフォースを増すためにパネルが取り付けられていたのだ。だが、ドライバーたちはすぐに互いのパネルをぶつけ合っていたので不思議に思ったことを覚えている。

 2日間で4レースが開催され、15台のトラックがグリッドに並んでいた。15台というと少ないように感じるかもしれないが、クルマの純粋なサイズを考えると、レッドブルリンクのようなコースには十分だった。

 レースではグランプリコースではなく、観客にとってより見やすい2.3kmの短いコースが使われていたからだ。サーキットに訪れていた約20,000人のファンの多くが自分のトラックで来場したようだ。彼らは旧サーキットの跡地にトラックを駐車していた。

 正直、レースは誰が優勝したか覚えていない。だが、そんなことは関係ないほどレース自体は素晴らしかった。まるでBTCC(イギリス・ツーリングカー選手権)を見ているような見事なバトルがコース上のいたるところで行われていた。私はコースのさまざまな場所からレースを見て、心のなかでトラックレースは素晴らしいと感じた。

 翌日、私は3戦目のトラックレースを見ていたのだが、これもバトルが満載で、どんどんトラックレース・チャンピオンシップにのめり込んでいった。私が気にいるだろうと言った主催者たちは正しかった。

2016年ヨーロピアン・トラック・レーシング・チャンピオンシップ(ETRC)のサポートレースとして開催されていたフォーミュラVee

 3戦目が終わったあと、私はサポートレースのパドックを訪れた。ヨーロッパの伝統的なフォーミュラVeeがサポートレースのひとつだったからだ。クルマを眺めながら歩き回ると、かつて私が所有していた1969年型オーストロ・ポルシェVeeが素晴らしく美しいコンディションを保っていた。それを見たときは、自分の古いクルマを売らなければよかったと少しだけ思った。

 突然、馴染みのある声が私の名前を呼んでいるのが聞こえた。イギリス選手権で私の古いチームメイトだったデトレフだ。彼がドイツに戻ってから私たちは連絡を取らなくなっていたのだが、彼がこのシリーズでレースをしていることが分かった。

 そのとき彼のクルマに座わらせてもらったのだが、シートと体が完璧にフィットした。一方で、シングルシーターでは数年間走行していなかった私は、どれだけ体が露出するかに驚き、危険にも思えた。それでも私はこのクルマを走らせてみたくてしょうがなくなり、再びレースを始めた(実のところ、今でもレースをやっている!)。

︎次にトラックレースを見られるのはいつになるのか

 次のトラックレースが始まる前に、デトレフに別れを告げた。明るい太陽は雨に変わっており、私はコース脇でレースを見ることにした。高速セクションのコースサイドに立っているのは奇妙な感じがした。

 ウエットコンディションのなか、スライドし、飛ぶように通り過ぎていく大きなトラックと私を隔てるものは薄いバリアしかなかった。私はびしょ濡れになりながらも多くの写真を撮ると、プレスルームに戻って残りのレースを観戦した。

 ETRCはテレビで完全放送はされていなかったが、レース主催者は数台の固定カメラとオンボードカメラを設置し、数台のドローンも飛ばしていた。そうして撮影したものを編集して、レース後にハイライトを集めた映像を作るのだ。

 リアルタイムのコース上の映像を見られるスクリーンは、プレスルームにしかなかった。そのためチームの関係者たちがプレスルームに足を運び、ジャーナリストと一緒にレースを見ているのは奇妙な経験だった。

 結局雨が激しくなり、レースは赤旗が掲示され、先頭のトラックがフィニッシュラインを超える瞬間を見た。その瞬間を注意深く見ていたことは大きな意味を持つことを私は後に理解することになるのだが、ひとまずレースは幕を閉じた。

2016年にオーストリアのレッドブル・リンクで開催されたヨーロピアン・トラック・レーシング・チャンピオンシップ(ETRC)

 レースウイークの終わりには、数百台のトラックがパレードラップを走ったが、見事な光景だった。明らかに素晴らしいペイントワークを見せつけているトラックがいたり、なかには作業トラックもいた。それはとても印象に残る光景だった。

 私はホテルに戻ったが、がっかりしたことにバーは閉まっていた。小さな村を歩いて、どこか食事とビールにありつけるところを探したが、どの店も閉まっている。オーストリアではすべてのものがとても早い時間に閉まってしまうのだった。

 ビールさえも手に入れることはほぼ不可能で、なんとか小さなピザショップを見つけたものの、お店を経営しているのはイスラム教徒の人だったために、ビールは置いていなかった。

 しばらくするとFIAの関係者とシリーズの主催者たちがコースから戻ってきたので、私はこの状況について教えると、彼らは震え上がった。これは重大な危機だったようだ。彼らは公式な申し立てに対する裁定を下さなければならなかったのだが、ビールを飲みながら議論をしたがっていたのだ。

 パリで私が出会った女性はビールを求めてクルマで出発したが、1時間後、FIAのシニアオフィシャルが、ビールなしで申し立てに対する裁定を決定することを決めた。

 議論は続いたが、だんだんと気まずくなってきた。私はジャーナリストであり、このミーティングにいるべきではないのだ。あるチームが最終的な順位に抗議をしており、優勝したのはコースで宣言されたチームではなく、自分たちであると申し立てていた。

 1時間ほど続いた議論と論争の後で、私は自分が何が起きたかを見ていたことに気づいた。私は礼儀正しく議論に割って入り、申し立てをしているチームが優勝チームをオーバーテイクしたのは、赤旗が出た周回であったことを指摘した。

 逆算すればもともとの結果が正しいことになる。FIAの男性は厳しい顔で私を見てから笑顔になり、「君にこの話し合いのすべてを聞いてもらうことが良いことであると思っていました」と言った。そして申し立ては却下された。

 数分後、クルマでビール探しの旅に出ていたあの女性がふたつの大きな木枠に入ったビールとともに戻ってきた。私たちは大いに飲み、とても楽しい夜を過ごした。何時にベッドに入ったかは覚えていないが、翌朝、電車の駅に着いた頃にはとても疲れを感じていたと思う。

 最後は悪天候のせいで電車がかなり遅れてしまい、家に帰るフライトを逃してしまったが、私は気にしなかった。トラックレースを見られたことに満足していたからだ。

 残念なことに、それ以来、トラックレースには行けていない。カレンダーを見るといつも他のレースと日程が重なってしまっていて本当に残念だと感じている。本当はもっと見たいと思っているのだが、テレビで放送されないというのも歯がゆいものだ。

2016年以来、他カテゴリーのレースとスケジュールがバッティングしていて、観戦できずにいるが、果たして次に見られるのはいつになるのか

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。

© 株式会社三栄