70’sアメリカンロックに大きな影響を与えたオールマン・ブラザーズ・バンドの『アイドルワイルド・サウス』

『Idlewild South』(’70)/The Allman Brothers Band

1969年、デュアンとグレッグのオールマン兄弟を中心に結成されたオールマン・ブラザーズ・バンド(以下、オールマン・ブラザーズ)は、デビューアルバムの時点で、それまでのロックにはなかった新しいスタイルを提示してみせた。もちろん、デュアン・オールマンの卓越したギターワーク(スライドだけでなく指弾きのプレイも素晴らしい)だけでもロック史に残るが、何より重要なのは、ツインリードギターやツインドラムといった形態から生まれるダイナミックなサウンドが特徴の「サザンロック」という新たなジャンルを生み出したことだ。今回取り上げる彼らの2ndアルバム『アイドルワイルド・サウス』(’70)は、ブルース色の濃かったデビューアルバムと比べると、R&B;、カントリー、ラテンなどの音楽を採り入れ、より柔軟なサウンドになっている。『アイドルワイルド・サウス』こそがサザンロックの源流であり、70年代アメリカンロックの進むべき道を決定づけただけでなく、90年代に登場したジャムバンドの原型ともなった傑作である。

オールマン・ブラザーズの音楽性

ジョージア州メイコンで活動を開始したオールマン・ブラザーズは、人種差別が激しい南部にありながらブッカー・T&ザ・MGズと同様、珍しい白黒混合のグループであった。メンバーは、ブルースやサザンソウルに親しんだデュアン&グレッグ兄弟の他、R&B;やカントリー、ブルーグラスに影響されたディッキー・ベッツ(Gu)、ディッキーとはセカンド・カミングというグループで一緒だったベリー・オークリー(Ba)、ジャズを志しサム&デイブのツアーメンバーなども務めていたジェイモー・ジョハンソン(Dr/後にシー・レベルでコンビとなるラマー・ウィリアムス(Ba)とは古くからの友人)、オールマン・ブラザーズとは親戚グループにあたる2月31日(The 31st Of February)に在籍していたブッチ・トラックス(Dr/かのデレク・トラックスの叔父さん)からなる6人組だ。

デビューアルバム『オールマン・ブラザーズ・バンド』(’69)は、ブルースロックとして語られることも多いが、メンバーそれぞれの特徴を混ぜ合わせたその音楽性は、サザンロックとしての形態がほぼ出来上がっている。それまでになかった新しいジャンル、サザンロックの誕生である。ツインギター、ツインドラムというスタイルは、オールマンより前に西海岸で活動していたグレイトフル・デッドがやっていたが、フォークリバイバルの延長線上に存在していたデッドよりは、オールマンのほうがその編成には必然性があったと言えるだろう。

サザンロックの原型

オールマン・ブラザーズが他のブルースロックグループと決定的に違うのは、デュアンの個性的なスライドギタープレイはもちろん、時折見せるディッキー・ベッツとのツインリードや、独学で学んだと思われるグレッグのオルガンプレイにあり、どれもが独創性に満ちている。また、パーカッションを交えたツインドラムによるジャズっぽいグルーブ感も彼らの独壇場である。

デビューアルバムでは、どちらかと言えばクリームやレッド・ツェッペリンなどのイギリスのハードロックグループに近い音楽性であったものの、イギリスのグループがブルースの忠実なコピーを発展させた分厚いサウンドであったのに比べると、オールマン・ブラザーズはブルースやカントリーをミックスするなど、本場アメリカならではの豪快さが表れている。

オールマン・ブラザーズの登場を受けて、チャーリー・ダニエルズやエルヴィン・ビショップなどのベテラン勢をはじめ、マーシャル・タッカー・バンド、ウェット・ウィリー、グラインダースイッチといった南部出身のアーティストもサザンロックに開眼、69年にメイコンに設立されたカプリコーン・レコードから次々とデビューする。アル・クーパーに至っては、サザンロック専門のレーベル(サウンズ・オブ・ザ・サウス)を立ち上げ、そこから世界的なサザンロックバンドとなるレーナード・スキナードを世に出すなど、アメリカでは70年代中頃までサザンロックが大いに盛り上がった。

本作 『アイドルワイルド・サウス』について

前作はニューヨークのアトランティック・スタジオでレコーディングされ、プロデュースはイギリス人のエイドリアン・バーバーが担当した。デュアンもグレッグも彼のプロデュースを気に入っておらず、本作以降のレコーディングにはデレク&ザ・ドミノスなどでお馴染みのトム・ダウドが担当することとなった。また、録音場所についてはツアーの合間を縫って行われたため、設立されたばかりのカプリコーン・サウンド・スタジオ、マイアミのクライテリア・スタジオ、ニューヨークのリージェント・サウンド・スタジオの3カ所で行なわれている。

収録曲は7曲。「リバイバル」と「エリザベス・リードの追憶(原題:In Memory of Elizabeth Reed)」はディッキーの書いた曲で「リバイバル」には、途中で後の「ランブリンマン」を思わせるフレーズが登場する。インストの「エリザベス・リードの追憶」はラテンの香りがするオールマンの代表曲のひとつで、デュアンとディッキーの白熱したツインリードの他、全てのプレイが聴きものである。グレッグの書いた「キープ・ミー・ワンダリン(原題:Don’t Keep Me Wonderin’)」は、デュアンの粘っこいスライドとグレッグの黒っぽいヴォーカルが絶品のサザンロックになっている。マウスハープにはベリー・オークリーの友人、トム・ドゥーセットが客演している。

「ミッドナイト・ライダー」も彼らを代表する名曲のひとつで、多くのアーティストによってカバーされている。最も成功したのはカントリーチャートで6位となったウィリー・ネルソンによるものだろう。グレッグのアメリカーナ的なスタンスがよく分かるナンバーである。「フーチー・クーチー・マン」はマディ・ウォーターズのカバーで、ウィリー・ディクソン作。ディッキーとベリーのふたりが在籍したセカンド・カミング時代から演奏している曲で、あまり上手くないリードヴォーカルはベリーによるもの。マディのオリジナルと比べると倍くらいの速度になっているが、『アット・フィルモア・イースト』(’71)の1曲目の「ステイツボロ・ブルース」は「フーチー・クーチー・マン」のアレンジを参考にしていると思われる。

「プリーズ・コール・ホーム」のプロデュースはトム・ダウドではなく、ジャズ系のジョエル・ドーンが担当している。グレッグはジャクソン・ブラウンのセンチメンタルな「ジーズ・デイズ」をよく取り上げているが、グレッグはジャクソンを意識してこの曲を書いたのだろう。グレッグの初ソロアルバム『レイド・バック』(’73)に「ミッドナイト・ライダー」とともに収められている。

アルバムの最後を締め括るグレッグ作「マイ・ブルース・アット・ホーム(原題:Leave My Blues at Home)」はアーシーかつファンキーなナンバーで、よく練られたツイン・リードとグレッグのヴォーカルが素晴らしい。

ブルース色の濃いデビューアルバムと本作はどちらも秀作で、甲乙つけがたい仕上がりであるが、アメリカーナ的な性質をもつ本作のほうが、サザンロックの特徴がよく表れている。73年に1stと本作をカップリングした『ビギニングス』という2枚組アルバムがリリースされたが、単に2枚を合わせたものではなく、1stアルバムはトム・ダウドによるリミックスがなされている。

なお、アイドルワイルド・サウスというアルバムタイトルは、メイコンの人里離れた湖のほとりにあるバンガローの呼び名で、彼らはそこをレンタルし、リハーサルに使っていた。

TEXT:河崎直人

アルバム『Idlewild South』

1970年発表作品

<収録曲>
1. リバイバル/Revival
2. キープ・ミー・ワンダリン/Don't Keep Me Wonderin'
3. ミッドナイト・ライダー/Midnight Rider
4. エリザベス・リードの追憶/In Memory of Elizabeth Reed
5. フーチー・クーチー・マン/Hoochie Coochie Man
6. プリーズ・コール・ホーム/Please Call Home
7. マイ・ブルース・アット・ホーム/Leave My Blues at Home

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