ジョン・レノンが「ガール」から「ウーマン」にたどり着くまでの紆余曲折 1981年 1月16日 ジョン・レノンのシングル「ウーマン」が英国でリリースされた日

ジョン・レノン「ウーマン」日本初公開はNHK「ニュースセンター9時」?

ジョン・レノンの「ウーマン」に初めて触れたのは、NHKの『ニュースセンター9時』においてであった。

恐らく1981年に入ってから、この曲のMVが丸々流れた。日本初公開だったのではないか。1980年12月8日のジョンの不慮の逝去の衝撃は未だ冷めていなかった。

未亡人となったヨーコ・オノの姿、ニューヨーク・セントラルパークを歩く生前のジョンとヨーコの動画、狙撃犯にサインをするジョンの写真、隠し撮りされた永遠の眠りに就いたジョンの横顔の写真など、貴重な映像と衝撃的な静止画が混在したMVを観た時のことは40年経った今でも鮮明に憶えている。

「ウーマン」はジョンの遺作となった『ダブル・ファンタジー』からのセカンドシングルとして、1981年1月12日にアメリカ、16日にイギリスでリリースされた。ファーストシングル「スターティング・オーヴァー」ではMVは作られていず、「ウーマン」がジョンの実質的に初めてのMVが作られた曲となった。

ジョン逝去によって運命の変わった曲「ウーマン」

ジョンの逝去後初めてリリースされたシングル「ウーマン」は、生前最後のシングル「スターティング・オーヴァー」同様、ジョンの逝去によって運命の変わった曲と言っていいだろう。

「ウーマン」はイギリスで「スターディング・オーヴァー」、「イマジン」(4週)に続いて3曲めのNo.1(2週)をジョンにもたらした。この3曲がNo.1になったのは全てジョンが亡くなった後。そして今のところこの3曲がジョンの全英No.1ソングである。

アメリカのBillboard誌では惜しくも2位止まりだったが3週にわたってその位置に留まり、年間21位の大ヒットとなった。そして今は無きCashbox誌ではNo.1に輝いている。

やはりジョンの悲劇的な逝去がこのような大ヒットをもたらしたのだろうか。もちろんその一面もあるだろう。率直に言うと当時中3の僕には「スターティング・オーヴァー」程には響いてこなかった。しかし「ウーマン」は時の流れに耐える力も有して、今日まで聴き継がれているのである。

「ガール」から「ウーマン」へ、鍵となるもうひとつの曲

生前ジョンは「ウーマン」を、ビートルズの1965年の曲「ガール」の1980年版と評していた。

アルバム『ラバー・ソウル』の1曲で、イージーリスニングでもよく聴かれる、スタンダードとなったナンバーである。まだ見ぬ理想の女性像を描いた曲らしいのだが、敢えて息継ぎを前面に出してみたり、中間部分のコーラスがなんと「tit(おっぱい)」を繰り返していたりと、実験精神や茶目っ気も大いに発揮されている。

この曲から、女性への感謝を歌った「ウーマン」への発展は美しい流れだが、実はこの間にもう1曲、忘れてはならない曲があると僕は思う。

1972年の「女は世界の奴隷か!(Woman is the Nigger of the World)」である。

ジョンとヨーコの初めての共作アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』は政治性を前面に出したアルバムだった。このアルバムからのファーストシングルが「女は世界の奴隷か!」で、原題は “Nigger” という更に強烈な言葉を使っている。ジョンとヨーコの共作で、女性解放、フェミニズムを歌ったがBillboardでは最高57位に終わり、アルバムも48位までしか上がらないという、チャート的には芳しくない結果に終わった。

そして晩年のジョンも反省していたのだが、この曲を出していながらジョンは、ヨーコが先に新聞を読むと、男が先だろうと不機嫌になっていたというのである。更には宿敵ニクソン再選時、酒に酔っていたとはいえヨーコのいる隣りの部屋で他の女性と不貞を働き、遂にはヨーコと別居することになるのである。「女は世界の奴隷か!」を世に問うてから僅か1年半後のことだった。

“失われた週末” と呼ばれた、1年余りに及んだ別居から復縁を果たし、その後5年間の主夫生活を送った結果生まれたのが「ウーマン」であった。「ガール」との間には大きな曲折があったのである。それが故に「ウーマン」は説得力を増したのではないだろうか。

ちなみに「女は世界の奴隷か!」は2010年に初めてベスト盤から外れ、昨年の最新ベスト『ギミ・サム・トゥルース.』にも収められていない。  

今も愛される「ウーマン」、普遍性をもたらしたものとは?

改めて聴いてみると「ウーマン」はサビに歌詞が無い。

 Ooh well well
 Doo do do doo doo

曲の終わりのサビだけ漸く最低限の歌詞が入る

 I love you
 yeah yeah
 Now and forever

サビまでは饒舌に女性への謝意を語っているのだが、サビだけは寡黙とも呼べるほど言葉が乗っていない。この寡黙さこそが聴き手の想像力を縛ることなく、「ウーマン」に普遍性をもたらしたのではないだろうか。併せて、サビのメロディは本当に美しい。

「ウーマン」は日本では2000年代に車のCMソングに使われ、また各所でBGMとしても流れるようになった。2005年にはあのオジー・オズボーンもカヴァーした。最近では大江千里が『ニューズウィーク日本版』でこの曲を“一番愛してやまない”ジョンの曲と評している。

40年前、ジョンの逝去によってヒットしたかと思われた「ウーマン」は、時の流れに耐え今でも聴かれ続けている。

イントロでジョンがささやく「For the other half of the sky」は、毛沢東の『毛語録』の「婦女能頂半辺天(Women hold up half the sky:女性は空の半分を支えている)」という一節から来ているそう。

生前のジョンは自分の声が好きでないこともあり小さくミックスしがちであった。息子ショーンは最新ベスト『ギミ・サム・トゥルース.』でこの囁きを大きくリミックスした。天国のジョンは少し恥ずかしがっているかもしれない。

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カタリベ: 宮木宣嗣

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