中森明菜の浮遊感覚、多面体ポップ「D404ME」の宝石箱的きらめき 1985年 8月10日 中森明菜のアルバム「D404ME」リリースされた日

中森明菜のコンセプトアルバム「D404ME」

「夢がない。甘えがない。神秘がない。メルヘンがない。テーマがない。この年齢の少女によく見られる砂糖菓子のようなミスティフィケーションがこれっぽっちもなくて、この娘は夜は鉄屑のように眠って夢も見ないのではないかと思うほどだ」

全身批評家・平岡正明がデビュー当時の「少女A」=中森明菜を評した伝説的な一文を引用することから始めたのは、明菜史においてこの「糞リアリズム」観が覆されたアルバムを今回は取り上げるからだ。以前のコラム『プロデューサー中森明菜の慧眼際立つ!最大の問題作「不思議」を再評価』で取り上げた大問題作『不思議』の前作にあたる『D404ME』がそれ。

『D404ME』はコンセプトアルバムで、あまり楽曲世界とリンクしていないストーリーがおまけで付いている。この不思議なアルバムタイトルは物語上、明菜が “ママサンドラ” なる謎の青い瞳の人物に出会う、NYハドソン川沿いの倉庫に振られた番号に由来する。ファンの間では “出し惜しみ” の当て字ではないかという穿った見方もあり、なるほどそう考えるとシングルカットされなかった不統一な楽曲群に、取ってつけたコンセプト付けて「“出し惜しみ” せずまとめちゃおう」という魂胆が分かる。

とはいえ、今までの明菜のアルバムとは一線を画する楽曲の多様さ、そして(成功か失敗かはともかく)実験性に満ちていることは確か。キラキラ光る宝石を詰め込んだ玉手箱のようなワンダフルなアルバムだ。ゴスロックの傑作『不思議』に結晶する前段階として、このアルバムの要注目な5曲の聴きどころをご紹介しよう。

#1. ENDLESS

冒頭30秒は雷雲が轟くような不気味なサウンドエフェクト(以下、SE)が続くことでコンセプトアルバム感を演出(尚このSEは最終曲「ミ・アモーレ」の直前に反復される)。編曲はソロ作『架空庭園論』などで抜群のポップセンスを示した井上鑑。明菜史的には名盤と言われる前作『BITTER AND SWEET』から彼女のアルバムに参加するようになった人物で、そこでは明菜版シティポップ「BABYLON」、「恋人のいる時間」の編曲を担当。

#3. アレグロ・ビヴァーチェ

作曲・編曲は名ベーシスト後藤次利。アングラ歌手の浅川マキの楽曲(「時代に合わせて呼吸する積りはない」とか)を多く手掛けた人だから、マキの頽廃的で悲しげなイメージを、明菜のこの歌唱に重ねてみるのも面白い。作詞は三浦徳子で、文芸誌『ユリイカ』元編集長の三浦雅士の妹ゆえなのか、曲タイトルからして高踏的だ。

#6. BLUE OCEAN

作曲は矢沢永吉のバックメンバーだった二人組NOBODY。しかし複雑に屈折し乱反射するこのすさまじい編曲はいったい誰が? と思ったら、ジブリ作品で名高い久石譲。徹底したミニマリズムと逆再生さえも駆使したギミック性に満ちたニューウェーブ的実験、湯川れい子によるKYON×2感覚(小泉今日子、念のため)あふれる歌詞も合わさったトイポップの傑作。筒美京平作曲・松本隆作詞「ト・レ・モ・ロ」が80年代テクノ歌謡の表の顔だとしたら、「BLUE OCEAN」の先鋭性には裏番長的な凄みがある。軽妙でシュールな歌詞もあいまって明菜的な重さや暗さとは相反するが、こうした試行錯誤があったからこそ傑作『不思議』に結晶したのだと思う。元々は「蠱惑」というタイトルで、まったく別の歌詞だったらしい。

#7. マグネティック・ラヴ

大貫妙子作曲。ホーンセクションとファンキーなギターワークに、愛を磁力のメタファーで語るぶっとんだ歌詞がかぶさる。綺想を弄する形而上詩に近い(ジョン・ダンというシェイクスピア同時代の詩人はコンパスのメタファーで愛を歌ったりした)。この曲の終盤、不協和音のなかに名曲「ミ・アモーレ」の断片が紛れ込むあたりもうまい。

#8. STAR PILOT

忌野清志郎の作曲。キーボードの浮遊感、パンクな疾走感が眩い。RCサクセションの『HEART ACE』というアルバムに「SKY PILOT」と(やや高度を下げた)別タイトルでも収録。「星の王子様」的メルヘンというか、おもちゃの蝙蝠が飛び交うアルバムジャケに漂う、少年少女のそこはかとない飛行の夢をもっとも反映している。

次作「不思議」の “緊密の美” に結晶した多様な創造性

…という感じで、全体にバリエーションに富んでいて明菜のミュージシャンとしての可能性を模索するプロデュース陣の覇気が伝わる。『D404ME』の四方八方に拡散された創造のエネルギーを明菜自身正しく方向づけし、そこから凝縮、抽出された “緊密の美” こそが、ゴスロックの魅力を余すところなく伝えた幻想音楽『不思議』ではなかったか?

「少女A」からのリアリズム的発展様式を辿った平岡正明の分析も捨てがたい魅力があるが、マジカルでラブリーな浮遊感覚あふれるメルヘン明菜(※メンヘラ明菜に非ず)の側面さえ抉り出した本作の価値も認めざるを得ないだろう。シングルカットされた最終曲「ミ・アモーレ」に関しては語りたいことが多過ぎるので、別にもうひとつコラムを書く予定。乞うご期待。

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カタリベ: 後藤護

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