【東日本大震災10年】鉄橋の上の緊急停止、大津波警報… 「想定外」の先見据え 神奈川県温地研・加藤 照之所長

東日本大震災の発生当初とその後の対応を振り返る県温泉地学研究所の加藤照之さん=2020年12月、小田原市入生田

 「地震学の敗北」。批判にさらされたのは、国内観測史上最大となったマグニチュード(M)9.0の巨大地震を「想定外」と認めざるを得なかったからだ。東日本大震災の苦い経験を経て日本地震学会の会長を務めた後、県温泉地学研究所(小田原市)の所長に就いた加藤照之さん(68)は胸に刻む。「当時は固定観念にとらわれていた。批判も受け止め、研究を重ねていくしかない」

 「津波が来る。これはまずいぞ」。研究の一環で足を運んだ静岡からの帰路。揺れが伝わってくる中、加藤さんの乗る新幹線が緊急停止したのは、相模川に架かる鉄橋の上だった。2011年3月11日午後2時46分の本震からほどなく、携帯電話に届いたメールに肝を冷やした。相模湾には大津波警報(予想高さ3メートル)が出されていた。

 車掌に身分を明かし、車両を橋から移動させるよう求めた。当時は東大地震研究所(東京)の教授。東海地震の切迫性が指摘される静岡などで地殻変動の研究に取り組んでいた。

 しばらくして新幹線は橋上から前進。ひとまず安堵(あんど)したが、「今回起きたのは(30年以内の発生確率が99%と見積もられていた)宮城県沖地震(M7.5前後)だろう」という推測は、すぐに覆された。「M9級クラスであることを知らせるメールが海外の研究者から送られてきた」からだ。

 「三陸沖では2日前の3月9日にM7.3の地震が発生したばかりだった。11日が本震だと思ったが、まさかあんなに大きな地震が起きるとは」

 震度7を記録し、6400人余りが犠牲になった1995年1月17日の阪神大震災を教訓に軌道修正を図った地震研究は、またも見直しを迫られることになった。

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