報道陣ら犠牲「定点」災害遺構に 安中地区連絡協 3月完工へ 雲仙・普賢岳大火砕流30年

野ざらしのままの報道機関の車などがある定点周辺を除草する参加者。後方は平成新山=島原市北上木場町

 消防団員や住民ら43人の死者・行方不明者が出た1991年6月3日の雲仙・普賢岳大火砕流惨事から30年を迎えるのを機に、長崎県島原市の安中地区町内会連絡協議会は17日、報道陣らが犠牲となった同市北上木場町の撮影拠点「定点」周辺で、野ざらしのままの報道機関の車などを災害遺構として整備する取り組みに着手した。
 定点には現在、三角すいの白い木製標柱だけが目印として立つ。実施主体の同協議会などによると、噴火災害を後世に伝え追悼の場を設けようとの報道関係者らの提案もあり、節目に合わせた整備が実現。事業費は約400万円で新聞・放送各社が主に協力。3月20日完工予定で整備面積は千平方メートル程度の見込み。
 草むらに埋もれ、放置されている報道各社の車とタクシー計3台を掘り出す計画で、すでに地元放送局が自社で保存整備している取材車両1台のそばに並べて屋外展示する。現在の標柱は新たに整備する場所に移すほか、当時の状況を説明する案内板も設ける。
 この日は周辺約3千平方メートルの除草を実施。安中地区の住民のほか、報道機関の関係者ら計約70人が参加。約1時間半をかけて生い茂った雑草を鎌や機械で刈った。同協議会の阿南達也会長(82)は「この地を後世に伝え継ぐ義務がある。住民や報道関係者、火山学者が噴火災害を考える場所にできれば」と話した。

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