少年ロボットが起こした革命 動かないアニメで「30分の1の合理化」 負の遺産は現代へ

 

「これがなければ事件に発展しなかったと思うとやるせないな」「アニメスタジオがやることじゃなかったんだよ」

京都アニメーション放火殺人事件から1年余りが過ぎた今年8月13日。「中二病でも恋がしたい!」や「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」など話題作を生み出してきた「京都アニメーション大賞」の休止が発表されるや、インターネットにさまざまな反応が書き込まれた。

 

殺人や現住建造物等放火などの罪で起訴された被告の青葉真司(42)が京都アニメーション大賞に小説を応募し、「盗用された」と供述したことが明るみになって以降、京アニ賞が存続するかどうかに大きな注目が集まっていた。

創設から10年余り。選考にかかる労力のみならず、応募者とのトラブルというリスクを抱えてまで、京アニはこの原作公募システムに何を託そうとしたのか。

この謎に迫るには、日本のテレビアニメの歴史を丁寧にひもとく必要がある。手探りで取材を続ける私たちにヒントをくれたのは、「10万馬力」で知られる、あの少年ロボットだ。

半世紀前の衝撃、生々しく

1963年に国産初の連続テレビアニメとして放映された「鉄腕アトム」は、最高視聴率が40%を超える歴史的ヒットを記録した。

「これほど成功するなんて、最初は誰も想像できなかった」

アニメ監督の杉井ギサブロー(80)は18歳で東映動画(現在の東映アニメーション)に入社すると、その4年後、手塚治虫が立ち上げた「虫プロダクション」に転職した。

のちに「まんが日本昔ばなし」や「タッチ」など数々の名作を手掛けたアニメ界の巨匠は、半世紀以上前に受けた衝撃をまるで昨日の事のように語る。

手塚治虫が鉄腕アトムで目指したのは、週1回放映の連続テレビアニメ。今では当たり前に思われる放映スケジュールだが、当時は技術や費用、労力の面から夢物語とされていた。

演出を手掛けた杉井によると、初期の虫プロにはアニメーターが30人ほどしかいなかった。「30分のアニメを毎週放映するには3千人のアニメーターが必要」とも言われた時代。手塚の計画は無謀とされ、業界には反対論が渦巻いた。

米国流と真逆のアイデア

当時のアニメ制作はディズニーに代表される「米国流」を踏襲していた。

フルアニメーションと呼ばれるもので、1秒間に24枚ものセル画をつなげることで自然に近いなめらかな動きを表現できた。

静止場面であっても同じ絵を何枚も描く緻密ぶりで、当然、多くの人手が必要とされた。

手塚の発想は米国流の真逆を向いていた。杉井によると、虫プロは1秒8枚を基本方針に掲げ、静止場面であれば1枚のセル画で対応した。

「自分がそれまでに習ってきたアニメは動かしてなんぼの世界。手塚さんから『動かないアニメでいい』って聞かされた時は、『そんなの詐欺じゃないか』ってがく然とした」

ヒット生んでも存続難しく

手塚に指示されるがままに作業し、迎えた試写会当日。杉井は「動かないアニメ」の神髄を知る。天才科学者の天馬博士が、子どもを亡くして叫び声を上げるシーン。静止時間は数秒間に及んだが、博士の嘆きは画面から十分に伝わってきた。

そして、杉井の頭に一つの考えが浮かんだ。「これはアニメ業界に革命が起きるぞ」

鉄腕アトムで初めて実践された制作手法は、アニメの低コスト化と大量生産を可能にした。
杉井は手塚のアイデアを「30分の1の合理化」と表現する。

その言葉の端々に「アトムなくして今のアニメ産業は存在しない」との自負がにじむ。

だが、もう一つの歴史に話が及ぶと、杉井の表情が曇った。虫プロは鉄腕アトムで成功を収め、その後も「ジャングル大帝」「千夜一夜物語」などヒット作を生みながら、73年に倒産するのだ。

人気作品を世に送り出しても、制作会社は存続することすら難しいという矛盾。それは、日本のアニメ産業が現代に至るまで抱え続ける負の遺産でもあった。(敬称略)

京アニ放火殺人事件は12月16日に容疑者が起訴され、大きな節目を迎えた。高品質の作品と優良な職場環境から同業者たちに「理想郷」と呼ばれた京アニ。連載「ユートピアの死角―京アニ事件」(計6回)では、業界が草創期から抱えるひずみを描き、未曽有の災厄が起きた背景に迫る。(岸本鉄平、本田貴信)

 

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「京都アニメーション大賞」の休止を告知する京アニのホームページ
鉄腕アトムがアニメ化された過程を「革命」と表現する杉井ギサブロー
1960年代の虫プロダクション制作室で作業に没頭する手塚治虫=写真提供:手塚プロダクション
ユーチューブの手塚プロダクション公式チャンネルで公開されている「鉄腕アトム」の一場面

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