被災体験は「明日の被災地」への未来の伝言 仙台の出版社「荒蝦夷」代表に聞く

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土方正志さん

 仙台市に、社員わずか2人の小さな出版社がある。「荒蝦夷(あらえみし)」。荒蝦夷とは、古代朝廷の支配に抵抗し続けた東北の民を指す。代表の土方正志さん(58)はフリーライターとして阪神・淡路大震災をはじめ全国の被災地で取材を重ね、2005年に同社を立ち上げた。そして、11年3月11日。東日本大震災に見舞われる。著書「瓦礫(がれき)から本を生む」(河出文庫)などに、生々しい記憶や抱え続ける苦悩、葛藤をつづる土方さん。今も神戸の書店や出版社、被災者らと交流を続けている。東北の被災地は3月、10回目の「あの日」を迎える。実際に会って、聞きたいことがたくさんあった。雪のちらつく仙台へ向かった。(末永陽子)

 -阪神・淡路大震災など多くの被災地に足を運んで取材を続けてきましたが、東日本大震災では自身も被災しました。

 「東日本大震災では自宅マンションが全壊、事務所も駄目になった。食料も燃料もない。気仙沼市出身のアルバイトの女性は津波で父親を失った。あのとき目にしたもの、感じた絶望は形容のしようがない。本当に、言いようがないんです。被災直後に真っ先に電話したのが、神戸の書店、海文堂(2013年に閉店)でした。『激励の言葉より本を売る』を合言葉に、本を販売してくれた。神戸との縁に励まされました」

 「取材で出会った阪神・淡路の被災地の皆さんの言葉が、改めて胸にきました。こういう意味だったのか、こんな気持ちだったのか、と。以前の取材が間違っていたとは思わない。でも、被災者になって初めて分かった気持ちもあった。何をどう伝えるか。正解は分からないし、まだ書けないこともある」

 -3月11日で、東日本大震災発生から丸10年を迎えます。被災地への思いは?

 「まず新型コロナウイルスの感染拡大でどうしよう、と。昨年も震災関連の追悼行事が中止になったり、縮小されたりした。でも、あのころはここまで状況がひどくなるとはみんな想像できなかった。戸惑っている被災者は多いでしょう。昨日まで当たり前だった生活が突然破壊される点で、コロナも災害と言えます。震災と比べる被災者は多く、出口が見えないという点で、たちが悪い」

 「どうしても風化はしてしまう。でもね、風化ってのは被災地の外での話です。10年たっても何十年たっても、被災者にとって風化はない。一生抱えていくんです。これは阪神・淡路大震災を知る神戸の皆さんも分かってくれると思う。被災者には節目はない。そう思う一方で、10回目の『3.11』が、被災地に目を向けてくれるきっかけになればいいとも捉えています」

 -被災地に残る課題をどう考えますか。

 「何と言っても原発問題でしょう。東日本大震災は、大きな津波被害で言えば1993年の北海道南西沖地震、仙台での都市型災害で言えば阪神・淡路大震災と、それぞれ復興のお手本がある。だけど、福島第1原発事故に関しては前例がない。放射性物質で汚染された土壌や処理水だけでなく、今も全国に数万の避難者数がいる。問題の多くが未解決のままです」

 「もう一つの課題は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)など心の問題です。経営する古本屋に体格のいい男性が来たことがありました。自衛隊員で、東日本大震災の被災地で活動したという。昨年体調を崩して病院へ行くと、PTSDと診断された、と。また、沖縄では戦後から数十年たって、沖縄戦を経験した高齢の女性に症状が出た例もあります。傷は目に見えないが、深い。私も11年秋に吐血したが、ストレスと診断された。医師に『被災地で暮らす人には、多かれ少なかれ、みんなある』と言われました」

 -兵庫では、阪神・淡路大震災を経験していない世代が増えています。私もその一人です。知らないことにどこか罪悪感や葛藤を抱きながら、取材を続けています。

 「想像力、だと思う。100パーセント分かり合えるのは難しい。かつての自分もそうだった。取材して聞いても、その苦しみや悲しみを完全には理解できない。体験した人、していない人の間には隔たりがある。それは仕方がない。でも、10パーセントでも20パーセントでもいいから、理解したい、寄り添いたいと思う気持ちが必要です。被災者の声を、被災者以外の人にも伝える。そうすることで何か生まれる。そう信じたいです」

 「熊本地震の被災地を訪れた際、多くの避難者から『仙台から来たの?』『仙台はどうだった?』と手を握りしめ、話しかけられた。東日本大震災の直後、神戸の関係者やボランティアの方々に対しても同じ光景が広がった。そうやって被災を経験した私たちが経験を伝える。それも防災の一つだと感じています」

 -著書にある「復興の公式など、正しい復興など、どこにもない」との言葉が印象的でした。

 「復興って何だろう、と考えます。神戸もそうですが、街はきれいになって元通りになったように見える。スーパー堤防ができ、街がかさ上げされ、特定の地域や見た目の復興は進んでいる。でも、その内実はどうか。空気や文化など、失ったものが完全に元通りにはならず、似て非なるものです。復興のプロセスをきちんと検証しながら、試行錯誤を繰り返すしかない」

 -2017年に「仙台短編文学賞」を創設しました。

 「多くの作家が住む仙台を冠した文学賞をつくりたい、と以前から考えていた。実は賞の構想が固まったのは、震災前夜のことでした。作家や関係者と具体的な内容も固めていました。震災後、経験や思いを残す場に、と再び動きだした。去年は国内外の14~92歳の人たちから、合わせて477編の応募があった。毎年、違う作家が一人で選考委員を務めるので、受賞作品はバラエティーに富んでいます。やはり震災をテーマにした作品が多いが、今後どうなるか。続けていきたい」

 -荒蝦夷の雑誌「震災学」には、幅広いジャンルの書き手が登場し、震災に関する総合的な分析や情報を発信し続けています。

 「“災害列島”日本にいる限り、被災は特別なことではない。明日どころか、1時間後、いや数分後に被災者になるかもしれない。『明日の被災地』への未来の伝言だと思って発信を続けるしかない。記録に残して伝え続ける。神戸新聞もそうだったでしょう。それが地元と生きる出版社の使命のようなものかな、と」

 【ひじかた・まさし】1962年生まれ。北海道出身。東北学院大卒。民俗学者赤坂憲雄氏に誘われ、2000年から仙台を拠点に雑誌「別冊東北学」などを出版。荒蝦夷では雑誌『震災学』などを刊行する。 〈ひとこと〉何て優しく笑うんだろう。そんな第一印象とは裏腹に、語る言葉はまっすぐ、力強い。つらい記憶をたどりながら質問に答えてくれた。言葉を選びながら、時折目を潤ませながら。土方さん、また会いに行きます。