バイデン一族の異常な「習近平愛」|石平 バイデン大統領の習近平に対する「偏愛ぶり」は異常だ!オバマ政権時代、副大統領としての8年間に中国とどう付き合ってきたのか――事あるごとに習近平との蜜月ぶりをアピールするばかりか、遂には習近平の暴挙を容認し同盟国日本と国際社会を裏切ってきた。断言する、バイデンは「罪人」である!

中国との癒着ぶり

この原稿を書いている2020年11月14日現在、トランプ大統領側は不正選挙の疑惑を追及して法廷闘争を展開、決着はいまだ付いていない。

一方で、日本の菅首相を含む各国首脳が続々とバイデン氏に祝電を送ったり祝福の電話をかけたりしている状況からすれば、来年(2021年)1月における「バイデン政権」の誕生はかなりの現実味を帯びてきている。

ならばわれわれとしては、来年1月からの4年間、「バイデン政権」の下で何が起きるかを一度、真剣に考える必要があろう。

中国の覇権主義政策が日本を含めたアジア諸国の安全を大いに脅かしているなかで、バイデン氏は一体、中国にどう対処していくのか。これはわれわれが特に関心を持たざるを得ない大問題である。 バイデン氏の対中姿勢を考えるとき、大統領選挙中の彼の発言からは手がかりを得ることはできない。なぜなら彼は選挙中、中国について多くを語らず、むしろこの話題を意図的に避けてきた感があるからだ。

時に中国に言及し、厳しい言葉を発したことがあっても、それが本心からなのか、単なる選挙対策なのか定かではなく、バイデン氏の対中姿勢はいまも未知の領域と言える。

それを解明するためには、バイデン氏が政治家としてこれまで中国といかにかかわってきたかを見る他ない。特に、彼が2009年に誕生したオバマ政権の副大統領となってからの8年間に中国とどう付き合ってきたのか。 それを徹底検証することによって、バイデン氏と中国との癒着ぶり、特に、彼と習近平国家主席との異様な親密ぶりが浮かびあがってくる。

初対面の習近平に

バイデン氏と習近平主席との親交は、9年前の2011年に遡る。この年の8月、バイデン氏は米国副大統領として中国を初訪問した。

バイデン氏が北京入りしたのは8月17日、同月22日までの6日間、中国に滞在した。大統領と比べれば閑職であるとはいえ、米国副大統領が特定の外国に連続6日間も滞在するのは異例といえる。

その時のバイデン副大統領のカウンターパートこそ、当時、国家副主席の習近平氏だった。この中国訪問も習近平副主席からの招待によるものであり、中国滞在中、習氏は終始バイデン氏のホスト役を務めた。

バイデン氏が北京に到着した翌18日の午前に、習氏はまず北京人民大会堂において彼のための歓迎式典を執り行った。その式典のあとで2人は早速首脳会談を行い、その日の夜、習氏はバイデン氏のための晩餐会を催している。

バイデン氏にとって習氏との初会談だったが、新華社通信が報じたところによれば、バイデン氏は会談のなかで次のように発言したという。 「台湾・チベットは中国の核心的利益であることを十分に理解しており、台湾独立は支持しない。チベットが中国の一部であると完全に認める」

バイデン氏がここで語ったことは当時のオバマ親中政権の基本方針ではあるが、「十分に理解している」 「完全に認める」と強調したバイデン氏の言葉遣いには、彼自身の強い気持ちが窺える。

つまりバイデン氏は、初対面の習氏に対してできる限りの媚びを売り、「良い関係」のスタートを切ろうとした。当時の習氏は、1年後の2012年秋開催予定の共産党大会において次期最高指導者となることが既定事項であったから、バイデン氏は当然、それを計算に入れて習氏に取り入ろうとしたのであろう。

2人の濃密な時間

バイデン氏訪中の3日目、19日の午前に習近平氏はバイデン氏とともに「米中企業家座談会」に出席し、昼食もともにした。午後からは当時の胡錦濤主席や温家宝首相がバイデン氏との会談に臨んだが、一連の会談には習氏も同席している。

訪中4日目の20日、北京を離れて四川省成都市を訪問したバイデン氏は、それから成都とその周辺で2泊3日滞在しているが、その間、ほぼ全日程にわたって習氏はバイデン氏と行動をともにしている。

成都の滞在中、バイデン氏は四川大学で講演したり、市内のレストランで習氏招待の非公式の夕食会に参加したり、習氏の同伴で郊外の都江堰という古代からの水利施設を見学するなど、至るところで習氏の姿が確認されている。この2泊3日の間、2人の「副」指導者は特に濃密な時間を共有した。

バイデン氏の6日間という異例に長い滞在で、両氏の間でかなり親密な個人的関係が結ばれたと考えられよう。

訪中の成果を日本にアピール

実は、これに関して2011年8月25日に日本経済新聞のウェブサイトに掲載された秋田浩之編集委員(当時)の署名記事が、興味深い話を披露している。

それによると、バイデン氏と習氏との一連の会談について、同行していたホワイトハウス高官は「全くメモなしで、さまざまな話題を縦横無尽に話し合った」と記者団に紹介した。

そしてバイデン氏は中国訪問を終えて日本に立ち寄った時、当時の菅直人首相との会談で、自ら「米中の対話を深め、習近平国家副主席との関係を深める機会になった」と語って訪中の成果をわざわざ日本側にアピールした、というのである。

これらはバイデン氏の対中姿勢、とりわけ彼の対習近平姿勢を考えるうえで忘れてはならない点である。

再び濃密な時間を共有

バイデン氏と習氏との親交は、これ以降も継続されている。 2012年2月13日から17日にかけて、今度は習氏が夫人とともに中国国家副主席として訪米した。それもバイデン初訪中と同様、5日間という異例の長さの訪問であった。

もちろんその時、米国副大統領のバイデン氏は最大の厚遇ぶりで、自分の老朋友(旧友)である習氏の接待に当たっている。習近平夫婦がアメリカに到着した時、バイデン副大統領夫婦はわざわざ空港まで彼らを出迎えた。相手は中国の国家副主席であるとはいえ、米国の副大統領が外国からの訪問客を空港で出迎えるのは異例のことで、バイデン氏は習氏に対する最大限の厚意を示した形だ。

その後、バイデン夫婦は習近平夫婦を晩餐会に招くなど、家族ぐるみの親交を深め、習氏がワシントンでの訪問日程を終えてアメリカの西海岸を訪問したときも、バイデン氏は当然のように同伴、習氏と終始行動をともにした。2人は再び濃密な時間を共有したわけである。

2013年12月、バイデン氏が副大統領として2回目の中国訪問を行った時、習氏はすでに中国の国家主席の椅子に座り、最高権力者となっていた。

実は、このバイデン訪中の1カ月前、ある重大な出来事が起っていた。習主席がアジアの安全保障に重大な脅威を与える冒険的行動に打って出たのだ。

習近平の暴挙を容認、同盟国日本と国際社会を裏切る

2013年11月23日、習近平政権の中国は東シナ海の上空で中国の防空識別圏を設定、政権成立後の軍事的冒険の第一歩を踏み出したのである。

簡単に説明すると、本来どの国の航空機でも自由に飛べる東シナ海上空の空域を、中国は勝手に自分たちの「防空圏だ」と設定し、それを中国軍の監視下に置いたのである。そんな暴挙は当然のことながら、民間機を含めた各国航空機が自由に飛行する権利の侵害であり、脅威であり、許されることではない。

本にとってこの問題は特に深刻だった。中国の防空識別圏が設定されている空域は、まさに日本の領空とは隣り合わせで、日本の航空機が頻繁かつ大量に飛ぶ空域でもある。日本と国際社会にとって、習近平政権の暴挙への対策は喫緊の課題となった。

この中国の防空識別圏設定の10日後、12月3日にバイデン副大統領はアジア歴訪の最初の訪問地として日本の東京を訪れている。

当時、日本の首相は安倍晋三氏。同盟国である米国の副大統領の来訪は、日本にとってはまさに日米が連携して中国の暴挙を食い止める好機のはずだった。

そのため、バイデン副大統領との会談で、安倍首相はまず日米が共同して防空識別圏設定の撤回を中国に強く求めようと米国側に働きかけた。しかし案の定というか、意外というのか、バイデン副大統領は安倍首相の提案をきっぱりと拒否して、中国に対して「撤回」を求めない考えを貫いたのだ。

そこで安倍首相は次善の策として、日米で「防空識別圏設定反対」の共同声明を出して中国を牽制しようとも提案したが、これもバイデン氏によって拒否された。バイデン氏は、中国の防空識別圏設定の危険性を顧みずに、同盟国首相からの懇願も同盟国日本の安全保障を無視する形で、中国を庇うことに徹したのである。

バイデン氏は一応、米国副大統領として中国の防空識別圏設定に反対の意思を表明したが、中国に対して「撤回」を求めず、事実上、習近平氏の軍事的冒険を容認した。

同盟国日本の安全が脅かされているこの肝心な時に、そして国際社会が習近平政権の暴走を封じ込めることができるかどうかという重大な時に、バイデン氏はあくまでも中国寄り、習近平寄りの姿勢を取り続け、同盟国日本と国際社会を裏切ったのである。

バイデンは「罪人」である

バイデン・安倍首相会談の翌日の十二月四日、中国国内の各メディアは一斉に日米首脳会談のニュースを報じ、バイデン氏が中国に防空識別圏の撤回を一緒に求めようという安倍首相の提案を拒否したことを嬉々として報じた。同時に、日本では全く報じられてないバイデン氏の重大な発言を報じている。何か──。

12月3日、安倍首相との会談を終えて、バイデン氏が当時の民主党代表の海江田万里氏と会談した時に、中国に防空識別圏の撤回を求めないことの理由について、海江田氏にこう語ったという。 「習近平主席の仕事はいま軌道に乗っている最中だから、われわれは彼に面倒をかけてはならない」

私は当時、ネット上で中国メディアが報じたバイデン氏の言葉をみてわが目を疑った。中国メディアに嘘が多いことは周知のとおりだが、さすがに外国首脳、特にアメリカ首脳の発言を捏造することはできまい。

バイデン氏の言葉が中国で報じられた12月4日は、バイデン氏本人が日本をあとにして中国に向かっている最中だった。中国の各メディアがバイデン氏の発言を捏造したのであれば、アメリカ政府や駐北京の米国大使館もそれを当然看過するわけもなく、中国にとっても米中関係を悪化させる事態になったに違いない。

ところが、実際にそのようなことは一切起きていない。つまり、バイデン氏が海江田氏に対して行った発言の信憑性は極めて高いといえる。

習近平氏が国家主席になって九カ月目、バイデン氏の「仕事を軌道に乗せたばかりの習近平主席に面倒をかけてはならない」との言葉からは、バイデン氏が親身になって習氏のために物事を考えているかが明々白々であろう。

単なる「習近平寄り」を通り越して、まさに習氏の立場に立った習氏のための発言であり、バイデン氏の習氏への「愛情」さえ感じさせる言葉といえる。

国家主席一年目の習氏からすれば、これによってオバマ政権の足元を見たことだろう。その後、オバマ、バイデン両氏が習氏の暴走に容認の態度を示したこともあり、習氏は南シナ海などでは何の躊躇いもなく軍事的な拡大を進めていった。いまになってはもはや、取り返しのつかないところまで中国の実効支配が強化されているが、事の始まりは中国の防空識別圏の設定に対するオバマ政権の許しがたい弱腰の態度であり、そのなかで重要な役割を果たした人物こそ、習氏に対して異様な「偏愛」を持つバイデン氏その人なのである。

そういう意味ではバイデン氏は、現代のヒトラーである習近平氏の暴走に加担して大きな罪を犯した「罪人」であると言える。

ハンター・バイデン疑惑

しかしバイデン氏は、はたして単なる自分自身の思い入れから、そこまで習氏の“協力者”になったのだろうか。彼と習近平、そして中国との関係には別の闇もあるのではないか、との疑念を禁じ得ない。

実は今年(2020年)になって、バイデン氏の中国あるいは習近平氏に対する異様な想い入れの謎の一つが解けそうになってきている。

バイデン氏の次男、ハンター・バイデン氏が修理店に出したパソコンから、ハンター氏自身のさまざまなスキャンダル・疑惑が露呈したからである。

10月15日、ニューヨークポスト紙は、ハンター氏のパソコンから発見された彼の中国関連の疑惑を報じた。

それによると、2017年、ハンター氏は中国の国営企業である「中国華信能源」との間で投資ベンチャーの合弁企業の設立を協議した時、彼自身が新会社の会長か副会長に就任し、「中国華信能源」から多額の報酬を受け取る約束を取り付けた。同時に、新株式の10%を「big guy」(大もの)のために確保する約束をも取り付けたという。

そこで浮上してきたのが、「big guy」(大もの)が前副大統領のバイデン氏ではないか、という疑惑である。もしそれが真実であれば、次男のハンター氏だけでなくバイデン氏自身もすでに中国側に買収されている、ということになる。

10月23日、トランプ・バイデン両候補が大統領選の最終討論会に立った時、トランプ大統領がこの一件を取り上げて、「全てのEメール、キミと家族がかき集めた金に関するEメールについて、キミは米国民に説明する必要がある。キミは“大もの”らしいじゃないか。キミの息子は『10%を“大もの”に渡さなければならない』と言った」と、バイデン氏に問い詰めた。

それに対してバイデン氏は「私は1セントも受け取っていませんよ」と「買収疑惑」を否定したが、次男のハンター氏の「中国による買収疑惑」には一切触れていない。要するに、否定できなかったのだ。

たとえバイデン氏自身が中国側に買収されていないとしても、彼の息子が中国に買収されているのであれば、バイデン氏の中国に対する考えや政策に大きな影響を与えている可能性は十分にある。肉親の弱みを中国に握られているのであれば、バイデン氏の中国寄り・習近平寄りはより決定的なものとなる。

訪中に同行した若者の正体

さらにあまり知られていないが、ハンター氏と中国側の接点は、まさに父親のバイデン氏によって作られた可能性があるのだ。

前述のように、2013年12月4日、当時のバイデン副大統領は日本をあとにして2回目の中国訪問のために北京へ向かったが、彼が北京空港で専用機から降りようとした時、そばに付き添っている2人の若者がいた。

1人は高校生くらいの若い女性、新華社通信の配信した写真の説明によれば、それはバイデン氏と再婚した夫人との間のお嬢さんであるという。そしてもう1人の若くてハンサムな男、誰なのかは新華社通信は報じていなかったが、それがまさにバイデン氏の次男、いまや渦中の人物であるハンター・バイデンその人なのだ。

2度目の訪中時、ハンター氏は父親と一緒に北京を訪ねていたのである。

米国の大統領や副大統領が外国を訪問するときに夫人を同伴させることはよくあるが、娘や息子を連れていくことはあまり聞かない。公職についていないハンター氏を、バイデン副大統領は一体何のために中国へ連れていったのか。

ここで肝心なのは次のことである。 バイデン氏が前述のとおり、防空識別圏の一方的な設定という習近平政権の暴走を容認し、日米で中国に防空識別圏設定の撤回を一緒に求めようという安倍首相の提案を拒否した翌日に北京空港に着いたということである。

その時に彼が、公務とは全く無関係の息子を北京へ連れていくことの意味は何か。習近平主席を助けて恩を売ったバイデン氏は、この時に習氏に対して「うちの息子を頼んだぜ」と堂々と言ったのではないだろうか。

これはもちろん、筆者の個人的推測ではあるが、バイデン氏があの時、息子のハンター氏を北京へ連れていったことの意味は重要だ。

悪夢の到来

つの可能性として考えられるのは、バイデン親子はその時点ですでに中国に買収されていたということだ。あるいは買収がなかったとしても、ハンター氏のことも含めて、その時からバイデン氏と習近平氏の間に、すでに持ちつ持たれつの特別な関係ができていた──。

あれから7年。もしバイデン氏が来年(2021年)1月からアメリカ大統領となれば、北京の中南海で高笑いが止まらないのは彼の老朋友、習近平主席であることは間違いない。

もし「バイデン政権」の4年間が、かつての防空識別圏の一件の時と同じように、アメリカが習近平政権の暴走と冒険をひたすら容認するような四年間となれば、またアメリカの政権がひたすら「習近平氏に面倒をかけないこと」をモードとしているような四年間となれば、日本の安全保障とアジアの平和維持にとって、まさに悪夢の到来でしかない。(初出:月刊『Hanada』2021年1月号)

石平

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