村下孝蔵「春雨」は美しい歌詞が光る名曲【初恋だけじゃない】 1981年 1月21日 村下孝蔵のセカンドシングル「春雨」がリリースされた日

村下孝蔵、その美しい世界観

シンガーソングライター・村下孝蔵が1999年に46才の若さで亡くなってから、20年以上の時が経った。作詞・作曲・歌唱のクオリティの高さに、いまも新たなファンが後を絶たない。かくいう私も、最近になって彼の歌に魅せられたひとりである。

まず村下孝蔵の歌の特徴としてあげられるのが、歌詞の美しさだ。基本的に英語がでてこない。日本語を丁寧に選びとった彼の歌詞は、まぶたの裏にありありと情景を浮かばせる。そこに美しい日本語がぴたりとはまるメロディーと情感のある歌声が合わさって、ひとたび聴けばたちまちその歌の世界に引き込まれていく。

彼の代表曲「初恋」は、世代の人なら言わずと知れた名曲で、次点で「踊り子」「ゆうこ」も有名だ。しかし残念ながら、それ以外の曲の知名度は決して高くはない。

じゃあそのほかでどんな曲を聴けばいいの、という方に、私はぜひ「春雨」をお勧めしたい。「春雨」は村下孝蔵のセカンドシングルで、1981年に発売された。

「春雨」歌詞のひとつひとつが美しい

 心を編んだセーター
 渡す事もできず
 一人 部屋で 解く糸に
 想い出を辿りながら

 あの人が好きだった
 悲しい恋の歌
 いつも一人聞いた
 古いレコードに傷をつけた

恋愛のそばには、なぜかいつも音楽が寄り添う。

平成4年生まれの私が物心ついた時には、すでに家にパソコンがあり、携帯電話があった。音楽はもちろん CD で聴くものだったし、まもなくダウンロードに変わっていった。

しかし、私はレコードが好きでどうしても集めてしまう。60~80年代の音楽が好きということもあるけれど、それだけではない。多分、レコードの “溝” が好きなのだ。溝には、レコーディングの際の声や空気が、そのまま凸凹となり刻まれている。

時に愛する人を想って、時には言い出せない愛をかかえて、心のよりどころにするかのように音楽はかけられる。

レコードの溝には、そんなふうに聴いた日々の思い出もそのまま詰まっていて、針はその溝の上をなぞっていく… 音が流れるたび、そこに詰まった思い出をやさしく掻き出すかのように。

「春雨」の歌詞から状況から察するに主人公は、恋人が都会へと行ってしまい遠距離恋愛の末別れてしまった女性。一緒にいられることがあたりまえでないからこそ、そばにいない人を思って聴く音楽は切なかったはずだ。

 いつも 一人 聞いた 古い
 レコードに傷をつけた

だからこそ、このフレーズに胸が痛む。レコードに含まれた思い出ごと傷をつける心境というのは、いったいどんなものだろうか。

きっと “あの人が好きだった悲しい恋の歌” を聴いていたころは、自分の身に同じような現実が降りかかるとは思いもよらなかっただろう。いや、もしかしたら、いつかそんな日が来ることを恐れていたかもしれない。いずれにせよ、この歌を聴くことはもうないのだ。あの人を思ってレコードを聴いていたころのような関係は、今はもう終わってしまった。

そんな “もう絶対に取り戻すことのできない現実” を、“糸をほどいてしまえば二度と同じものはできないセーター”、そして “傷をつけてしまったらもう聴くことはできないレコード” に投影する村下孝蔵。この人の表現は、大げさに飾りたてるところがなく、自然だ。かつ直接的でないから、品があって美しい。

村下孝蔵が表現する恋の終わりは、決して絶望ではない

彼は “本当の終わり” を、こうも表現している。

 電話の度に サヨナラ 言ったのに
 どうして最後は黙っていたの
 悲しすぎるわ

いつも電話で言っていたさよならは、きっと「またね」としてのさよならだ。また次の電話があると信じているから、さよならが言える。これが最後とわかっている電話で「さよなら」なんて言えないだろう。

しかしそれを言わないことで、かえって本当の別離の訪れを示唆してしまっている。

 せめてもう少しだけ
 知らずにいたかった
 春の雨に 頬を濡らし
 涙を隠したいから

しかし不思議なことに、「春雨」は絶望的なようでいて、そうではない。一曲聴き終わった後の余韻は暗さや怨恨をのこすようなものではなく、かといって明るく前を向こう!というものでもない。

村下孝蔵の歌はただそこにある悲しみを認知し、受容し、包摂してくれるのだ。まるでからだを冷やしたさまよう子猫のような心細さを、包んでくれるような気分になる。そんなふうに思えるのは、彼のやさしい歌声のせいだろうか。

まだ春は遠い。それでも村下孝蔵の優しく降る雨のような声に紛れて泣けば、涙を隠せるような気がしてしまう。

過小評価された天才・村下孝蔵

何度も書くが、村下氏は美しい作詞・作曲・歌唱の三拍子が揃った稀有なシンガーソングライターだった。しかし80年代当時にギター一本をひっさげて歌うフォーク的スタイルは、その時まだ生まれてすらいない私が考えても、すこし時代遅れであっただろう。そのせいもあって「初恋」以外の彼の歌がはたして正当な評価されていたのかは、疑問が残るところでもある。

私が思うに彼の歌詞やメロディーラインは古かったのではなく、ただただ普遍的だったのではないかと思う。「春雨」のリリースからちょうど40年が経ったが、私自身、いまだその旋律や詩に胸を熱くさせられる。時が経とうと流行りが変わろうとけっして変わらないものを、彼はその当時から伝えようとしていたのかもしれない。

いまは流行の音楽というものがなくなりつつあり、どの国の、いつの時代の音楽でも簡単に聴ける時代となった。そんな時代だからこそ、今度は曇りなきまなこで、村下孝蔵の音楽そのものが多くの人に評価されてほしいと願っている。

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追記
『あなたの知らない昭和ポップスの世界』というサイトで70~80年代のヒット曲について紹介させて頂いています! よろしければこちらもご覧ください。

※2019年2月28日に掲載された記事をアップデート

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