元NPB戦士が沖縄でプロを続ける意味 始動から1年…「琉球球団」の可能性と課題

琉球ブルーオーシャンズの亀澤恭平【写真提供:琉球ブルーオーシャンズ】

「琉球ブルーオーシャンズ」でコーチ兼任でプレーした元中日の亀澤恭平

沖縄初のプロ野球球団「琉球ブルーオーシャンズ」が本格始動してから1年。新型コロナウイルスの感染拡大によって、予期せぬ船出を強いられた。産声を上げたばかりのチームを支えるのは、多くのNPB経験者たち。元中日の亀澤恭平内野手は、南国にプロ野球がある日常の可能性を感じるとともに、当事者のひとりとして未来に向けた課題も実感している。

2019年限りで中日を戦力外となった亀澤が新天地に沖縄を選んだのには、いくつか理由があった。「人生で1回は沖縄に住んでみたいなって」と笑って言うのは、何番目かの動機。決断の大半を占めたのは「新しい球団への好奇心」と「沖縄の人情」だった。15年から中日の春季キャンプで毎年訪れ、この土地の温かさに触れてきた。

まだ30代前半で、体はピンピンしている。周囲のほとんどは「好きなことをやればいい」と背中を押してくれた。創設メンバーのひとりとして、内野守備コーチ兼任として琉球に加入。心機一転迎えた20年は、いきなりコロナ禍で予想外の事態ばかりだった。

チームの活動は一時ストップ。再開して試合するにしても、県内では相手は限られていた。打撃マシンがないなど、練習環境も発展途上。「NPBっていいところだったんだな」と痛感することもあったが、沖縄ならではの魅力もすぐに惹かれた。

知名度まだまだ「いろんなところに出向いて、僕たちを知ってもらう活動を」

ここ数年多くのNPB選手を輩出し、高校野球の強豪も多い。「みんな野球が好きだなって感じますし、仲間意識が強い土地柄だなって。だから、仲良くなれば『応援するから頑張って』と言ってもらえる。そこに、やりがいは感じます」。沖縄でプロ野球選手を続ける意義を見出す。

ただ、県内ではプロバスケットボールチームの強豪「琉球ゴールデンキングス」や、サッカーJ2リーグに所属する「FC琉球」に比べると知名度はまだまだ。「もっといろんなところに出向いて、まずは僕たちを知ってもらう活動をしていかなきゃいけない」とも言う。

アピールの必要性は、身を以て感じてきた。岡山・作陽高から進学した環太平洋大では野球部1期生として活動。初めての経験ばかりで、うまくいかないことの方が多かった。それでも、4年間でリーグ4部だったチームは1部にまで昇格。自身は四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズをへて、ソフトバンク育成入団までつなげた。さらに15年からは支配下として中日でプレー。積極的な売り込みが奏功していた野球人生でもある。

新参者として球団が向き合う課題は、そのまま伸びしろであるとも思う。「もっとコミュニケーションをとっていければ、いい方向に進んでいくのかなと」。まだまだコロナ禍で不透明な状況は続くが、いつか“うちなーんちゅ”から真に愛される存在に――。これから二歩、三歩と歩みを進めていくことになる。

【画像】学生時代はやんちゃだった? 元中日・亀澤の貴重な「ド金髪」写真

学生時代はやんちゃだった? 元中日・亀澤の貴重な「ド金髪」写真【写真:本人提供】 signature

(小西亮 / Ryo Konishi)

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