「バーンアウト」で北京断念し、ジャンプに転向 平昌冬季五輪スキー複合代表の山元豪

 ノルディックスキー複合で2018年平昌冬季五輪代表の山元豪(ダイチ)は、25歳だった昨年10月にジャンプへの転向を表明、今季からジャンプ選手として再出発した。ワールドカップ(W杯)遠征の常連で、複合なら22年北京五輪出場も十分狙えたスキーヤーが下した異例の決断の背景に何があったのか。(共同通信=益吉数正) 

ジャンプ選手として新たなスタートを切った山元豪=2020年12月、名寄市

 ▽もぎ取った五輪切符

 2018年2月22日。個人2種目を終え、五輪で24年ぶりの団体のメダルを狙う日本の一員として、23歳の山元は雪が舞う平昌に立った。チームは前半飛躍3位。第3走者を務めた後半距離で、ノルウェー、オーストリアと2位争いを中盤まで繰り広げた。しかし最後まで持たなかった。アンカーへの引き継ぎ時点で2位集団とは1分近い差に。この遅れが致命傷となり、日本は4位で表彰台を逃した。責任を背負い込んだ山元は「ついていけなかった。チームに迷惑をかけた。申し訳ない気持ちでいっぱい」。人目をはばからず泣き崩れた。 

平昌五輪の複合団体の後半距離で2位集団を追走する第3走者の山元豪(右)=2018年2月、平昌(共同)

 山元にとっては、望外の五輪出場だった。「僕自身、出られると思っていなかったし、周りも多分出られると思っていなかった」と振り返る。厳しい挑戦だと感じていたからこそ、背水の覚悟で臨んだ。社会人1年目ながら「芽が出なさそうなら切ってください」と所属先に伝え、代表入りへの細い糸を離さぬよう、17年夏から懸命にチャンスをものにしていった。「ラストシーズンぐらいの勢いで張り詰めてやった」結果、走力がアップして、もともと得意だった飛躍が生かせるようになってきた。17年12月に初めてW杯で1桁順位に入るほど成長し、五輪切符をもぎ取った。

 ▽バーンアウト

 しかし思いが強かった分、反動は大きかった。平昌五輪後は「あの時の心の底から燃えるようなものがどこにあるんだろう、と探しながらやっていた」と言う。気持ちが切れてしまっていることに自分でもうすうす気づいていたそうで「バーンアウト(燃え尽き症候群)だった」と説明する。

 もちろん合宿になれば懸命に練習し、シーズンが近づけばモチベーションも上がった。19年世界選手権にも出場。試合で好結果を残せなければ、本当に悔しかった。だが「どこか本気じゃない」とも感じていた。心が晴れぬ中、自らを奮い立たせて2シーズンを過ごしたが、ついに20年夏に「戦えない」と限界が来た。

2019年世界選手権の複合個人ノーマルヒルの後半距離で力走する山元豪=2019年2月、ゼーフェルト(共同)

 冬季五輪で2大会連続の銀メダルに輝き、日本人2人目のW杯個人総合優勝を果たした渡部暁斗(北野建設)らのいる日本代表は、山元にとって昔から憧れだったという。「誰からも慕われ、尊敬できる存在だった。そんなチームに(今の)自分がいることが嫌だった。価値を下げたくなかった」。19~20年シーズン終盤にはミーティングで団体のメダル獲得を目指し、結束を誓い合っただけに「みんなに合わせる顔がない」。チームが好きだからこそ、もういられなかった。

 ▽気持ちが変わった

 「複合を辞めたい」。そんな悩みを家族以外で最初に相談した相手が渡部暁だった。「やりたいことをやっている方が、取り組んでいる時間は絶対楽しいと思う。次に進むためにも、辞めたいと思ったら辞めればいいんじゃない」。そんな言葉で、山元は気持ちが吹っ切れたという。当初は現役を引退するつもりだったが、渡部暁に「スペシャル(ジャンプ)やればいいじゃん」と転向を勧められて、気持ちが変わった。

W杯複合団体第1戦で2位に入り、サンタクロースと写真に納まる日本の(後列左2人目から)永井秀昭、渡部暁斗、渡部善斗。手前は山元豪=2018年11月、ルカ(AP=共同)

 渡部暁は平昌五輪の団体で、山元の後を受けてアンカーで走った。「その時の(泣いている)豪の姿も見ているし、課題を克服しようとする姿も見てきた。(複合で)もっと強くなってほしかったなという気持ちはあった」。北京でもう一度、一緒に五輪を戦いたいとの思いもあったが「辞めたくなった経緯を聞いて、そういう気持ちも分からなくもないなと。そこは本人の気持ちを尊重するべきだ」と受け入れた。

 ▽はい上がる覚悟

 山元は富山県出身。引退ではなく、転向を選んだ根底には、将来、地元の子どもたちに競技を教えたいとの思いがある。「自分の中でジャンプに対する哲学を確立させた方が教えやすいし、説得力がある。結果を求めてやることで、技術はアップデートされていく」と言葉に力を込める。

ジャンプ転向2試合目は33位だった山元豪=2020年12月、名寄市

 遠くに飛ぶことを競うジャンプと、走力も重要になる複合は、求められる肉体や技術が異なる。ジャンプに専念するようになって初めて出場した昨年12月の国内2試合は25位と33位だったが、3試合目のSTV杯(1月10日)は18位と順位を上げ、14位だった4試合目のHBC杯(1月11日)は1回目で2位につけた。当面の目標はジャンプでも海外遠征のメンバーに入ることで、国内大会やW杯の下部大会からはい上がる覚悟だ。

 「ゼロからのスタートで失うものもない。今は目的と目標がはっきりしている」。選んだ道は決して容易ではないが、晴れ晴れとした顔で、新たな挑戦を楽しんでいる。

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