【インタビュー】メルセデスF1代表、サクヒールGPの危機を語る「12時間以内に代替ドライバーを見つける必要があった」

 ペトロナス主催のオンラインメディア会見にメルセデスF1代表のトト・ウォルフが出席。勝利を続けるチームでこれまで最も困難だった出来事やモチベーション維持の秘訣、そしてF1界に多くの人材を輩出している祖国オーストリアについて語った。

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──2014年以来、ドライバーズ、コンストラクターズの両選手権で7連覇を達成するという偉業を果たしてきたわけですが、この7年で最も困難だった出来事は何でしょう。

ウォルフ代表:人間の脳というのは幸いなことに忘れやすくできていて、これまで多くの困難に遭遇してきたはずだが、そのほとんどは忘れてしまって、いい思い出だけが残っている(笑)。真面目な話に戻ると、2013年に私がメルセデスのマネージング・ディレクターに就任したときには、もちろん全力を尽くすつもりだったけれど、まさかここまでの快挙を成し遂げることなど想像もしてなかった。

 翌年からすぐに強さを発揮できた一番の要因は、優れた人材を適切な場所に配置できたことに尽きる。その結果、ライバルたちに先駆けて、新しいパワーユニット(PU/エンジン)の開発ができた。ただパワーユニットの優位性だけが強調されがちだが、車体もかなり優秀だったことを改めて言っておきたいね。エンジンパワーだけでタイトルが独占できるほど、F1は甘くない。両者の複合効果の点で、メルセデスが最も優れたパッケージだったということだ。

──そこにはドライバーも含まれますよね。

ウォルフ代表:もちろんだ。ニコ(ロズベルグ)とルイス(ハミルトン)という超一流のドライバーラインナップも関わっていたわけだ。そしてあなたの最初の質問に戻るなら、このふたりのマネージメントが、私が最も困難を感じたことのひとつだったね。もちろんそれ以外にも、数え切れないほど多くの危機に直面してきた。

 最近で言えば、ルイスがサクヒールGP開催直前に新型コロナウィルスに感染して、欠場を余儀なくされたことだ。12時間以内に代替ドライバーを見つけて、契約する必要に迫られた。と同時にルイスが1日も早く回復するよう、最大限のサポートを心がけた。幸いジョージ(ラッセル)を抜擢でき、素晴らしい走りを披露してくれた。ルイスも無事に復帰できたしね。

2020年F1第16戦サクヒールGP ルイス・ハミルトンの代わりにメルセデスから出場したジョージ・ラッセル

■オーストリアがF1界に多くの人材を輩出できる理由

──これだけ勝ち続けているにもかかわらず、チームは高いモチベーションを保ち、2020年も圧倒的な強さを発揮しました。強さの秘密はたくさんあると思いますが、あえてひとつ挙げるとすると?

ウォルフ代表:これはあらゆるスポーツに言えることだと思うが、あるチーム、あるいはアスリートが勝利を重ねられないとしたら、そこには必ず理由があるはずだ。そんな中でメルセデスが果たした7連覇という記録は、F1に限らず非常に稀有なものと言っていい。その要因はあなたの想像通り非常に多岐に渡るもので、とてもこの場で言い尽くせるものではない。ただ今回はペトロナス主宰のインタビューでもあり、パートナーとの関係性がいかに重要かについて述べてみたい。

 F1というスポーツは、ドライバーひとりの能力だけでは絶対に勝てないし、チームスタッフの努力だけでもどうにもならない。たった2台のマシンを走らせるために、膨大なパートナー企業のサポートを必要とする。その中でもペトロナスとの協力関係は、直接パフォーマンスを左右するほど重要なものだ。特にここ数年、各メーカーのパワーユニットの性能差がどんどん接近するようになってからは特にね。そんな状況では、エンジンエンジニアと燃料、潤滑油の開発エンジニアとの緊密な協力が絶対に欠かせない。2020年の我々がパワーユニット単体でもライバルたちを凌ぐパフォーマンスを発揮できたのは、ペトロナスのサポートなしにはあり得なかったよ。

──以前から不思議に思っているのですが、あなたの祖国オーストリアはヨーロッパの小国です。にもかかわらずヨッヘン・リントやニキ・ラウダといった世界チャンピオンを輩出し、さらにあなたやヘルムート・マルコ博士などがF1界で重要な位置を占めています。これは、どう説明しますか。

ウォルフ代表:それはオーストリア人たちが昔から、空気の薄い山の中で生き抜いてきたからだ(笑)。というのはもちろん冗談で、この現象に関しては私なりにひとつの仮説を持っている。ただしそれが真実かどうか、確信は持てずにいる。それは、ロールモデルという考えだ。

 あなたもジャーナリストとして長くF1に関わっているから、当然知っていると思う。誰かひとりの傑出したドライバーが出てくると、その例に倣おうと次々にその国から後進が続く現象だ。オーストリアでそのロールモデルの役割を果たしたのは、ヨッヘン・リントだった。生前のリントは単にF1ドライバーという枠を超えて、オーストリア全国民にとってアイコンのような存在だった。人間的にも、ものすごくカリスマ性があったしね。そしてさほど間を置くことなく、ニキ・ラウダが登場した。

 ニキにとってリントはスーパースターで、彼の遺志を継ぐことがニキの力の源泉だったと言っていい。さらにニキの影響を受けてゲルハルト・ベルガーや、アレックス・ブルツが出てきた。彼らの才能とは比べ物にならないが、私もそんな大先輩たちの影響をもろに受けて、F1ドライバーを目指した。残念ながら実現はしなかったがね。

──しかし違う分野で、F1の頂点に立った。

ウォルフ代表:多くの幸運に恵まれてね。確かにドライバー以外にも、F1界にオーストリア人は今も山ほどいる。パドッククラブのケータリングや警備担当会社は、オーストリアの企業が担当している。バーニー・エクレストンの時代には、F1村の半分はオーストリア人だったと言っても大袈裟じゃないだろう。

──リントに始まって、幸福な連鎖反応が起きたということですね。

ウォルフ代表:その通りだ。そしてその鎖が途切れないよう、私も後輩たちに道を切り開いていければと思っているよ。ニキ以来のオーストリア人世界チャンピオンが誕生すれば最高だが、それ以外の分野でもどんどん進出してくれることを願っている。

2020年F1第13戦エミリア・ロマーニャGPで優勝したルイス・ハミルトンを祝福するトト・ウォルフ

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