献身的な代理人に元中日助っ人…元日ハム中村勝がコロナ禍で豪州デビューするまで

オーストラリアのウインターリーグでプレーする中村勝【写真:タカ植松】

豪州で現役続行した日本ハム09年ドラフト1位中村勝に潜入取材

昨年9月、中村勝に初めて会ったのは、日本でもオーストラリア随一の行楽地として知られるゴールドコーストの町外れの寂れた野球場だった。その日は、渡豪後最初の所属となったゴールドコーストのローカルクラブであるサーファーズパラダイス・ベースボールクラブが、ウインターリーグのファイナル・シリーズ進出をかけて臨む大事な試合。その重要な試合に中村が先発登板すると聞き、対戦相手のグラウンドに取材というよりは観戦に訪れたのだった。

初めて会う中村の姿は、試合前のブルペンにあった。場末感漂う球場のブルペンで登板前の軽い肩慣らしをする姿は、場違いなくらいの存在感を発していた。さすがに日本プロ野球で10年戦ってきた選手。その長い手足を振り抜く投球フォームはしなやかで、かつ全く無駄がない。決して、目利きでもなんでもないが、一見してモノの違いが見て取れた。その試合での中村は、実力の違いを反映させるかのようにアウトのほとんどを三振で奪う快投でお役御免。

「これは、モノが違うな。バンディッツに入ってからが楽しみだ」と得心。その日は、試合後に自己紹介を兼ねて幾つかの簡単な質問をするだけで、あっさりと引き上げた。完全なコンディションにないのは分かっていても、実力の違いは歴然。素人目にもブリスベンのご当地球団ブリスベン・バンディッツのユニホームを着るのは確実と思えたが、事実、ことはその通りに進んでいくことになる。

少し、時計の針を戻そう。その試合当日から遡ること1か月程だろうか、ブリスベン在住の旧知の友人から「元日本ハムのドラ1投手が今、ブリスベンにいる」という情報が届いたのが、今回の取材話のそもそもの始まり。オーストラリアに永住している期間が長くなるだけ日本プロ野球の情報量も心もとなくなってきているが、2009年ドラフトで日本ハムに1位指名を受け入団した“埼玉のダルビッシュ”のことは知っていた。日ハム入団後の経歴の詳細までは知り得なくとも、毎年かなり話題になる日ハムの“ドラ1”だけに、その名前はしっかりと記憶に残っていた。実は、しばらく野球の取材から離れていたのだが、今回の話を聞くと久々に好奇心がグイっと頭をもたげた。

その中村本人が、ブリスベンの地に降り立ったのは昨年3月。まさに、コロナ禍が世界中を蔓延しようかというタイミングでの海外挑戦。単身渡航で周りには、どうしてまたという声もあったかもしれない。確かに、オーストラリア、とりわけ挑戦の拠点に選んだブリスベンは、他国や他州に比べれば比較的コロナ禍の状況は落ち着いていた。それでも、先の見えない中で、ましてや言葉も不自由で文化も違うという環境でモチベーションを維持するのは、本人は多くは語らないが、決して簡単なことではなかったはずだ。

もちろん、渡豪当初からウインターリーグで実力をアピールしつつ、オーストラリア野球界の最高峰であるオーストラリア・ベースボール・リーグ(ABL)に辿り着くというシナリオを、中村は描いていた。しかし、コロナ禍の煽りで、そのシナリオを実現させるための舞台であるABLが実施されるかどうかも分からない不透明な状況下に置かれ続けた。仮に開催されるとしても、いったい、どこで、どのような形式で……。情報は錯綜、計画は二転三転した。

コロナ禍でも中村にブレなし、代理人「純粋に勝が自分自身で決断したんですよ」

それでも、中村はブレなかった。激動の中でも己の出来ることにフォーカスした結果、ウインターリーグでの活躍を経て、昨年9月にブリスベン・バンディッツとの正式契約を勝ち取った。その後、今季のABLも全豪数箇所のハブを巡回しての集中開催で24試合の短期決戦で行われることが、ようやく決まり、何とか中村の挑戦の“舞台”は整った。

ところで、「ブリスベン、プロ野球選手、日ハム」という3要素が揃うと、あるNPBの現役人気選手の顔が浮かぶ人も少なくないだろう。昨年まで自主トレをブリスベンで行う中村の1学年上の先輩にあたる日本ハム杉谷拳士内野手だ。かつてバンディッツで短期間プレーした経歴を持つ杉谷は、その滞在以来、あらゆる機会で“ブリスベン愛”を公言しており、今でもブリスベンとの浅からぬ縁がある。そのことを踏まえて、今回の中村のブリスベン行きにも杉谷が一役買っているかと聞けば、決してそうではない。

今回のブリスベンでの挑戦は、日ハム退団後の中村自身が、現役続行を決意、その先の日本球界への復帰など自身のキャリア設計の色々な可能性を模索した結果、「純粋に(中村)勝が自分自身で決断したんですよ」と事の経緯を教えてくれたのは、現地在住で中村のエージェントである貝沼竜輔だ。リュウの愛称で当地の野球界で非常によく顔が利く貝沼の存在があったからこそ、中村はブリスベンに腰を据え、コロナ禍の荒波の中でも挑戦を継続することができた。いわば、中村の豪州デビューの影の立役者であり、中村本人からの信頼も厚い。

その貝沼の献身的なサポートに加えて、日本のプロ野球通には懐かしい元中日の“ディンゴ”ことデーブ・ニルソンが監督を務めるバンディッツの親日的な球団カラーなどもあって、今回の入団話は比較的スムーズに進んだ。それでも忘れてはならないのは、中村がバンディッツのユニホームに袖を通せたのは、ひとえに中村自身の実力と強い意志があったからこそという事実。周りに支えられながらコロナ禍を乗り切り、自らの実力をもってして己の存在価値をアピールする“舞台”に上がる権利を勝ち取ったのは、他ならぬ中村本人なのだ。

バンディッツとの契約後は、チームの要請でABL開幕までブリスベンとその周辺地域のチームが争うローカルリーグ(GBL)の強豪ウィンザー・ロイヤルズでの登板機会を与えられ、開幕に向けて爪を研いだ。その間、紆余曲折を経て、今年1月5日からのブリスベンでのハブ開催でバンディッツは開幕を迎えることも決まった。ようやく、中村の調整の照準がピタリと「必ず訪れる本拠地での登板機会で好投、チームの勝利に貢献する」という1点に定まった。ここから、調整のピッチはグンと上がり、体のキレ、球のキレも増していった。それと軌を一にするかのように、中村の挑戦を温かく見守る日本からのファン、そして、当地の日系人の期待の声も次第に高まっていったのだ。

そして迎えた本拠地開幕シリーズだったが、好事魔多し。誰もが予想しなかった、まさかまさかのロックダウンで…というように、なかなか簡単には事が運ばないのが今年のABL。次回は、自ら勝ち取ったABLという挑戦の舞台での中村の現在進行形での奮闘の様子を開幕直前の独占インタビューや、試合後のコメントなど、中村自身の生きた言葉を交えつつダイジェストしていこうと思う。

取材協力:ブリスベン・バンディッツ、RK Global Education

【動画】11奪三振の快投! 全盛期と変わらぬキレで打者を翻弄する中村勝の投球映像

【動画】11奪三振の快投! 全盛期と変わらぬキレで打者を翻弄する中村勝の投球映像 signature

(タカ植松 / Taka Uematsu)

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