【根岸S】メイショウボーラーが7馬身差の圧逃劇 名馬誕生の裏に陣営の大きな決断

砂転向で輝きを取り戻したメイショウボーラーはフェブラリーSまで一直線

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=2005年根岸S】

メイショウボーラーのキャリアを振り返ったとき、同馬を管理した白井寿昭調教師は二度の重要な選択をしたと言っていました。そして、その選択自体に迷いはなかったけど、松本好雄オーナーに進言することには勇気が必要だったようです。

「最初はダービーをやめてNHKマイルCに向かうと決めたとき。これに関してはオーナーだけでなく、その周辺の方々も快く思っていなかったと思う。皐月賞3着馬がダービーの出走をやめるなんて、普通は考えないことだから。でも、ボーラーのそれからを考えたとき、ダービー出走はマイナスにしかならないと思えた。ボーラー産駒でダービーに出走したのはエキマエ(2014年)だけで、ボーラーと違うタイプの馬でもあるんだけど、あの馬がダービーのレース中に競走を中止したとき、ボーラーを〝ダービーに使わなくて本当に良かった〟と失礼ながらとっさに考えてしまった。それくらい自分にとっては大切で難しい進言だったんだ」

そして、二度目の選択が今回のレースにも関連している〝ダート路線への転向〟です。父タイキシャトルで母父ストームキャット。その血統構成からダート適性の高さは早くから見込んでいたようですし、デイリー杯2歳Sを最後に勝利から遠ざかっていました。現在なら〝アリ〟の選択ですけど、当時はそこまで簡単な決断ではなかったみたいです。

「ダービー断念を直訴して出走したNHKマイルC(3着)だけど、あのレースを見てボーラーには芝のGⅠを勝つための瞬発力がないことが分かってしまった。でも、能力があるので芝の重賞でも差のないところまでは走ってくる。だから、難しかったんだ。当時はダートのほうが格下扱い。ダートから芝への転向は進言しやすいけど、芝からダートは都落ちのような印象で理解を得られにくかったから」

ダートへ転向した初戦のガーネットSは2番人気での出走でした。僕もダートのほうが絶対に合うと思っていましたけど、砂を被った場合にどうかとか、走ってみないと分からないこともありますからね。ファンの方々も似たような発想だったのでしょう。そのガーネットSを3馬身差で楽勝し、返す刀という感じで迎えたのが根岸Sでした。

好メンバーを相手にレコード勝ちしたフェブラリーSを推す声も多いでしょうけど、7馬身差で圧勝した根岸Sこそがメイショウボーラーのベストパフォーマンスと僕自身は考えていて、この馬の卓越したスピードとその持続力が証明されたレースだったと思っています。

直線で後続を突き放していくシーンを改めて見直したのですが、15年以上が経った現在でもシビれますね! 未見の方はぜひ、視聴してみてください。

フェブラリーS制覇後は勝ち星に恵まれなかったメイショウボーラー。このことについて白井調教師は、「ボーラーはストームキャットの影響が強い馬で晩年は気性のコントロールができなかった。ダート転向を急いだ理由はそこにもあって、まだコントロールができていた明け4歳のあのタイミングを逃せば、仮に路線を替えても走れなくなると考えていたんだよ。まさにベストタイミングでの路線変更だったし、オーナーをGⅠの表彰式に連れて行くことができたという意味でも大成功だった」と語っています。

戦略家の白井調教師らしいコメントですよね。陣営の決断が生んだ名馬と言っていいかもしれません。

© 株式会社東京スポーツ新聞社